死んだ母親犬の元をはなれない仔犬のこと | フィリオとショコラのちいさなおうち

死んだ母親犬の元をはなれない仔犬のこと

 

 

フィリオが自分のベッドで眠っていますと、ショコラはおにいちゃんを静かに見つめています。

すり寄ったり甘えたりすることなく、距離を保って、ただ黙って、静かに見守り続けます。

まるで小さなママのように。

 

この子が産んでは取り上げられ、産んでは取り上げられた、沢山の我が子たちのことを、

数もわからないそれはたくさんの、別れたきりの我が子たちのことを、

この子は覚えているでしょうか?

 

 

大阪は、今日、真夏日になりました。

リビングとベッドルームにエアコンをつけ、玄関にいたいフィリオには、冷風扇で風を送ります。

和室の座卓の下にいたいショコラには、クールマットを敷いて、

サーキュレーターで隣室のエアコンの冷気を送ります。

まだ夏の始めでさほどでもありませんが、身体も夏に慣れない時期ですし、

揃って老犬ですから注意予報です。

今年は猛暑の夏と言われていますが、なんとしても元気に乗り越えさせなければなりません。

 

 

    

 

    

 

 

 

 

 

 

 

「弥生、スコットランドはエジンバラ発」さんのブログより、転載させて頂きます。青字は転載です。

「死んだ母親犬の元をはなれない仔犬のこと」

http://scotyakko.exblog.jp/19768557/

 

一頭の仔犬。
ミャンマーは、ある村で撮られた写真。
この仔犬は、死んで何日も経つ母親犬のそばを離れようとはしない。
紛争にて焼かれた村で撮られた写真。
その母親犬の死に関する、はっきりしたことは不明だ。

写真を撮った写真家からのコメント :

 

ぼくが、焼き尽くされた村を歩いているとき、その胸を痛める光景を見たんだ
この写真を撮る前に、近辺の住民に この仔犬を養ってくれるか と尋ねた
内紛争で、自身が困難を強いられているため、誰もうなずきはしなかった
それから、ぼくは提げていたカメラをすべて下ろした
膝を折って座り、深い同情と悲痛、胸のうちで泣きながら仔犬を見つめていた

そして、ぼくは、この写真を撮った

 
 
ぼくは、仔犬の頭を撫でた … 仔犬は、ぼくの手を舐めた …
そして数分後に、もう一度、写真を撮った …
 
 
ぼくがもう、そこを去らなくてはならない時間が来た
その仔犬を、ホテルに連れて帰ろうとした
すると、ぼくと仔犬を見ていた地元の親切な若者が近付いてきた

彼は言った

できることなら、彼がこの仔犬を育てたいが、とても貧しくてそれはできない
私たちは、話し合った
そして、村の僧院に仔犬を連れて行こう、ということになった
ミャンマーでは、僧院は、どの場所よりも平和な場所だと信じられている
あの状況下で、ぼくは、ぼくができ得る最大の選択をしたと信じている

ぼくは、あの仔犬がどうなったかを確かめに、近いうちに必ず村に戻りたい
ぼくと、そして、仔犬を母親犬の元から抱え上げた、親切な若者と共に …

 
 
この記事は2013年に投稿されました。
2021年のこのコロナ禍の中でさえ、いつも世界のどこかで戦争や紛争に苦しむ人たちがいます。
そして、犠牲になるのはいつも、子供や罪もない民衆や動物達の、弱い立場の命です。
 
今日もお出で下さいまして、ありがとうございました。
 


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