彼女は去っていったけれど | フィリオとショコラのちいさなおうち

彼女は去っていったけれど

 

我が家は東南の角部屋ですが、東と南の両側にそれぞれ、小さなベランダと庭が付いています。

垣根は2mを越える高さで、それを越えようと木蓮たちは、小さな庭に不釣り合いな大木に育ちました。

春になりますと、2方向の掃き出し窓を全開にして、陽光と風を取り込みます。

窓が開けられますと、ショコラはすぐに飛び出して日向ぼっこを楽しみますが、

何故かフィリオは出たくなくて、窓辺で鼻をうごめかせて春の匂いを嗅ぎ取っています。

ショコラは何度も振り返って、お兄ちゃんを誘いますが、彼には出るつもりはありません。

この子達の為に、庭付きのマンションを選びましたのにね。

 

 

    

 

 

もう春ですのに、いつまでも炬燵を片付けないかあさんです。

それは勿論かあさんが未練がましいからなのですが、

子供達がいつも、ここを居場所にしてるからでもあるのです。

チョイ漏れフィリオがちょこちょこチッコ漏らしをして、炬燵布団はシミだらけですが、

もうすぐ大洗濯して片付けだから、もうすぐなんだからと言い訳して、先送りばかりのかあさんです。

 

    

 

今日も今日とて、

我が家は老犬日和です。

 

 

 

「私に何の関係があるというのだ」さんのブログよりご紹介します。

いつも転載させて頂きまして、ありがとうございます。青字は転載です。

 

彼女は去っていったけれど

 


どの街にも名物人物がいる。

英国のケイト・ウォードさんも例外ではない。
通称カンバリーのケイトは1979年に死去するその日まで
住民からよく知られ愛された人物である。

犬を愛する人であった。出会う犬を次から次へと保護した。
生涯に保護した数は600匹以上と言われる。
彼女は去っていったけれど、思い出と功績は世界中の人々の胸に永遠に残る。

1943年600ポンドで その後犬たちの保護の場所となる最初の家を買う。 
足を痛め、安楽死の運命にあったグレイハウンドを 家に連れ帰ったのが保護犬第一号であった。
その後犬の保護活動が始まるのだが、出会った犬たちは一匹残らず保護したと胸を張る。

隣人たちが作ってくれた緑の木車をひいて、毎日犬たちと一緒に出掛ける。
寄付を集めたり、自分と犬が一緒に映ったハガキを売って歩いた。
それだけでなくカートのもうひとつの大切な役割があった。
帰りみちに警察に立ち寄りさらに多くの野犬をひきとってかえることだ。

街を歩くケイトと犬たちは写真を撮る人たちに囲まれていた。
彼らは少々の寄付を置いていく。ケイトは喧嘩っ早かったらしく、
近所の人たちはケイトの怒鳴り声を聞いていた思い出を語る。

地元の獣医も彼女が84歳で亡くなるまで 儲けをなしにできる限りケイトを助けた。
「犬はみんな驚くほど健康で、寿命を全うしたよ。
ケイトはユーモアがあり、素晴らしい性格、決意の人だった。
本当にさびしいよ」と獣医は語った。

犬の数が多すぎるとか、ケイトのちょっと変わった行動などで中傷や苦情も受けていたが、

市警察は非常に協力的で、ケイトの往復の道すがらが安全なように取り計らってくれた。

ケイトは段々有名になり、オーストラリア、アメリカでもニュースになった。
1973年11月12日アメリカのNBC ニュースのインタビュー記事が残っている。

どうして犬が好きなのかという問いにケイトはこう答えている。
「私は寂しい独りぼっちな身の上で人間より犬のほうが好きだから」

とは言ったが、実際は地元民の人たちには心を尽くした。
教会に新しい讃美歌集を買うための寄付をしたり、障害児童たちに揺り木馬を、
ベトナム孤児に100ポンド寄付したりしていた。日々の暮らしを少額の年金でまかない、
裕福ではなかったが、自分より弱い立場の人たちには匿名で寄付を続けた。
また自分の死後の遺された犬たちの世話をしてくれるための基金も設立したのである。



 

 

私がケイトさんを見つけたのは以下のインパクト溢れる写真から。
この素晴らしい写真の女性のことを調べられずにはいられませんでした。
ケイトさんの愛と功績は永遠に残りますが、
受け継ぐべき私たちは、弱い人たちや動物たちの立場を
あの頃より改善できているのでしょうか・・


kate.jpg

camberley-kate-and-her-stray-dogs-8.jpg

BBC SURREY

 

 

 

 

今日もお出で下さいまして、ありがとうございました。


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