安楽死について | フィリオとショコラのちいさなおうち

安楽死について

 

 

出窓の蘭たち。

今年も綺麗に咲いてくれて、ありがとう。

 

    

    

 

ショコちゃん、日溜まりが好きなんだね。

でも、程々でお部屋に入らないと、熱中症になるよ。

 

おにいちゃんが呼ぶから、アタチ、仕方なく入ってあげました。

 

ボクの妹は手がかかるのよ。

 

兵庫県に住んでいます次男のお嫁さんが、母の日に紫陽花の鉢植えを送ってくれました。

かあさんは、この綺麗なブルーの紫陽花が大好きです。

ありがとう、いつも変わらない優しいお心遣いをしてくれて。

大切に育てます。

今年のゴールデンウィークは、コロナウィルスのせいで会えなかったけれど、

早く収束して、又笑顔で会えるといいね。

どうぞ、元気で楽しく暮らして下さいね。

 

 

 

 

ボクが死んだら、

「もう他の犬は飼わないわ」なんて、どうぞ言わないで。

愛されない、捨てられた、保護されている子を捜して、

ボクの居場所をあげてほしいの。

(訳:フィーママ)
映像は、Dog Lovers さんよりお借りしました。

 

 

2018年5月の拙ブログを転載致します。

以下転載。

安楽死について

https://ameblo.jp/westy-figlio/entry-12379112721.html

 

かあさんのお買い物ルートの途中に、10キロ位の雑種犬を外飼いされているおうちがあります。

玄関へのアプローチが駐車場を兼ねているので、事故への配慮と思いますが、

彼はリビングの軒先にとても短い綱で繋がれ、綱一杯の場所でいつも怠惰に寝転んでいます。

犬小屋には日除けのスダレが立て掛けてありますし、うんちも落ちていませんから、

散歩も連れ行ってもらっているのでしょう。

水は置いてありませんが、ご飯の時に貰えるのかもしれません。

つまり、何も文句をいう筋合いではないのです。

他人様の飼い方を批判するつもりもありません。

 

それなのにかあさんは、毎回この子のいる道を通ってしまいます。

もう見るまい、通るまいと思うのに、彼が元気なのを確認しなくてはいられません。

家族の団欒が聞こえるリビングの軒下にひとりぼっちで、

一日のほとんどの時間を短い綱で拘束される暮らしは、哀しくはないか寂しくはないだろうかと、

かあさんの胸の奥に、かすかに一筋の涙が流れます。

 

 

 

 

「私に何の関係があるというのだ」さんのブログよりご紹介します。

いつもありがとうございます。  青字は転載です。

 

安楽死(Good Death)-ベンジャミン先生の手紙2

http://catsanddogs75.blog136.fc2.com/blog-entry-59.html

 

「安楽死」についてのご質問ですが、非常に大きな問題です。
個人によって見方も状況も違います。
何時間も何時間も討論し続けることができるでしょう。

ペットとしての動物は私たちに全面的に依存しています。
食物、水、寝床、暖、仲間、保護、愛、そして病気になったときのケア。
特に彼らの最後の日々は飼い主の精一杯の優しさと愛情が必要です。

血液検査技術の進歩により、獣医は動物の残された時間を

ほぼ正確に推測することができるようになりました。
確かに自然にまかせるという選択もあります。これが一番簡単な方法でしょう。
安楽死という選択をしなくてもいいからです。
また文化的、宗教的な観点から安楽死以外は考えられない人たちもいるでしょう。

私は、この非常に個人的なことがらに関して、強要すべきではないが、
たいていの飼い主より何千倍もの経験をもってして ある程度の方向性を指し示す義務が、
―飼い主とペット両方のためにー あると思っています。

動物にとって不必要な苦しみは何の得にもなりません。
自由意志を与えられ、苦しみが浄化の過程だと考えられたり、
天国での良い場所を約束する悔い改めの苦行として みなされたりする人間の場合とまったく異なります。

動物はいかなる状況に置かれても 苦しみを良いことだとか望ましいことだと思うことはありません。
ただただ苦しみのみです。
自然界では傷ついたリ病気になった動物はそんなに長く苦しむことはありません。
その前に他の動物に食べられてしまうからです。

安楽死を「自分の決定がこの動物の命を絶つ」というネガティブなものではなく、
長引く無用な苦しみを愛する動物に味あわせてはならないという愛情の行為であるという
ポジティブなものとしてとらえてみてはどうでしょうか。

その決定をなかなかできない人たちがいます。
私が見た限りでは 人間の医師が自分たちのペットを安楽死させることが困難なようです。
おそらく彼らは人間の臨終のときと比べてしまうのでしょう。

私は動物の立場にたって考えることにしています。
飼い主にとって苦しい選択である「安楽死」は ペットを苦しみや痛みから解放することができる救いなのです。
致死量の麻酔薬を投入する痛みのないものです。
不要な痛みを取り去って見送ることができることは 私たちのありがたい特権だと考えています。

自然ではないと反論する人があるかもしれません。
自然に死なせるということは 必ずしも早く、痛みのないものではありません。
ときとして残酷にもゆっくり 、呼吸困難や痙攣を起こしたりと 悶絶の苦しみを味わうこともあります。
安楽死 Euthanasia―ギリシャ語で「良い死」という意味を もう一度考えてみてください。

お役にたつかどうかわかりませんが、
この複雑な問題をできるだけ理にかなうような言葉にしようと最善の努力をしました。
私の写真を使用されたいとのご希望に関してですが、私の人生の野望は「絶対有名にならないこと」です。
しかし、どうぞ使ってください。

最後にあなたの猫イランの安楽死のときの記録を見直してみました。
私は断言します。
あなたはイランのために正しい決定を、正しい時に、そして正しい理由で下したということに

まったく疑いの余地はないことを。

Ben Shorten MVB MRCVS
Veterinary Surgeon

 

 

かあさんは、もし子供達が余命を宣告される事態となったら、

彼らが生きたい意志がある限りは、懸命の延命治療をすると思います。

最後に息を引き取るまで看護し、自然に看取るかもしれません。

でももし、助かる可能性が全くなく残酷な苦痛だけが彼らを苦しめるのなら、
最終手段として断腸の思いで決断するかもしれません。

どうするのがベターなのか、その時がきたら、それは子供達自身が教えてくれるでしょう。

 

転載以上。

今日もお出で下さいまして、ありがとうございました。

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