悲しむ命がない世界。
家中が、暖かな春の光に満ちました。
とうさんはウォーキングから戻ると、その日の桜の開花情報を伝えてくれますが、
川沿いの桜並木が見頃になるのは、まだ少しかかりそうです。
以前は日課だった川縁りの散歩は、老犬となって脚が遠のいていますが、
もう少し暖かくなったら、頑張ってゆっくりでも歩きに行こうねと、かあさんは子供達に話し掛けます。
開け放した窓辺で、眩しい陽差しを楽しむ子供達です。
FBより、 HUG さんの投稿をシェアさせて頂きます。青字は転載です。
![](https://scontent-nrt1-1.xx.fbcdn.net/v/t1.0-1/c0.0.50.50a/p50x50/48413841_1954915447958027_5731227359332270080_n.jpg?_nc_cat=107&_nc_ht=scontent-nrt1-1.xx&oh=a9fe693f0efe6e725d32654000bc9705&oe=5D0E008E)
悲しむ命がない世界。
動物たちが殺処分されない世界。
災害が起きても動物たちと一緒に安心して暮らせる社会。
それを実現させる為には普段から この国の社会が「人と動物たちが共生する社会」でなければいけません。
「人と動物たちが共生する社会」に参加するのは
「動物を護る人たち」や「動物好きな人たち」だけではありません。
「動物が苦手な人たち」やこの問題に「無関心な人たち」と共に
「人と動物たちが共生する社会」を作り上げなければ意味はありません。
動物愛護を特別な活動に祭り上げたり、動物愛護に無関心な人たちを非難したりしていたら
相互理解なんて無理な話です。
動物愛護の人々が汚い言葉で「知らない人たち」をSNSで罵倒し、
「人から何と言われようが 犬と猫たちの為ならなんでもする」などど自己陶酔していては
いつまで経っても何も変わらず、悲しむ命はなくなる事はありません。
動物愛護は「命の問題」であり、命がけなのは私たちではなく、犬と猫たちです。
動物愛護に感情は不要です。
動物愛護に必要なもの、それは冷静さと愛です。
第一線で動物達を救う活動をされている、動物愛護団体の皆様のご努力には、
いつも感歎し感謝しています。そして、皆様の動物達への深い愛情も、強く感じています。
一方、特定の方だけに精神的・肉体的な自己犠牲の負担が圧し掛かることに、疑問を感じることも事実です。
一人が背負うのではなく、たくさんの人がそれぞれの立場で可能なことを、少しづつ担うことが出来れば、
社会全体がどんなにか、良くなるのではないかと思うのです。
今日もお出で下さいまして、ありがとうございました。