飼い主の葬儀で鳴き声をあげていた犬 | フィリオとショコラのちいさなおうち

飼い主の葬儀で鳴き声をあげていた犬

今年は暖冬との予報ですが、老人・老犬家族には、寒さが厳しくなってきました。

ヌクヌクと暖かな居場所で、お昼寝(朝寝・昼寝・夕寝・夜寝をします。)三昧の子供達です。

クークーと寝言を言い、足を漕ぎ、身じろいでプンとおならをしたり、小さく ワン! と言ったりします。

フィリオは必ず、ちょこっとチッコを漏らします。

幸せな夢をみてね、子供達。

君たちの幸せな寝顔を眺めているかあさんは、もっと幸せだから。

 

 

 

 

写真は

Westies United - Murphy and Dakota's Page

よりお借りしました。

 

 

愛犬を亡くした飼い主の悲嘆はいうまでもありませんが、

飼い主を失くした犬の悲嘆も、同様或はそれ以上かもしれません。

FBより、イミシンさんの投稿をシェアします。字は転載です。

イミシン

https://www.imishin.me/

飼い主の葬儀で鳴き声をあげていた犬

https://www.imishin.me/kid-vinil2/

 

キッド・ヴィニルさんは、地元のブラジルで人気シンガーでした。

キッドさんは2016年、家族、友人、そして愛犬のコスモに見守られながら、

ガンとの闘病の末に62歳で亡くなりました。

 

葬式の日、参列者が目にしたのはお棺の側に伏せ、クンクンと悲しそうな鳴き声を上げ続けるコスモでした。

コスモはキッドさんの相棒的存在で、

生前、キッドさんの足元には必ずと言っていいほどコスモの姿があったそうです。

参列者が順に別れを告げる中、ずっとコスモはずっと鳴いていました

 

やがて、見かねたキッドさんの友人の一人がコスモを抱え上げてやり、

コスモは棺の中のキッドさんをのぞき込んで最後のお別れを告げます。

そのときのコスモの表情と最後に上げた絞り出すような鳴き声に、

その場にいた人々は涙せずにはいられませんでした。

 

ペットの死は飼い主にとって非常に悲しいものですが、

逆もまた然りなのだということを改めて考えさせられました。

(写真を省略しています。リンクの元記事よりご覧ください)

 

そして、こちらは飼い主さんの悲嘆です。

「私に何の関係があるというのだ」さんのブログより、一昨日昨日に続き、3つ目のエピソードをご紹介します。

人と犬との絆は、こんなにも深く強く、私達の人生を支えてくれています。

いつも転載させて頂き、ありがとうございます。字は転載です。

 

カテゴリ:ペットロス

誰か私の人生を許可なくアレンジし直したようだ

http://catsanddogs75.blog136.fc2.com/blog-entry-494.html

 

ワシントン・ポストの記者ジョー・ヨナンの場合

もう4ヶ月も過ぎるのに、あの日のことを聞かれると、喉が詰まる。
帰宅して、ドーベルマンのレッドが寝室で死んでいるのを発見したあの日だ。
まだ身体は温かかったのに。何度振り払おうとしても消すことのできない光景である。

死に慣れていないわけではない。
父が脳溢血逝ったときも、その3年後、愛する姉が脳腫瘍との闘いに敗れたときも、心臓が破れそうだった。

しかしレッドが死んだときは、5年前に前の犬が死んだときは、私は長い間、立ち直れなかった。
なぜ家族と同じくらい、あるいはそれ以上の悲しみに襲われるのか。

ペットロス、カウンセラーでもあるヴァージニア大学のサンドラ・バーカーは分析する。
「ペットは永遠不滅の忠誠心と自分に完全に依存していた存在であるからです」
同感だ。
レッドが死んだ時も前のグロミットの時も、一人暮らしの私の心に穴が開いたぐらいの話ではなかった。
まるで誰かが私の人生を許可なしにアレンジし直したかのようであった。

たとえば、グロミットは、毎朝私がベッドに腰掛け、靴を履こうとすると、私の足にじゃれついてくる。

彼を撫でると、彼は私の顔を舐める。それが13年間続いた。

私の人生がアレンジし直されたというのはそこである。
犬が寄ってこない朝の行動に途方にくれたのである。
グロミットが駆け寄ってこなくとも

靴紐を結ぶという行為が成り立つのだということに気付くまで何ヶ月もかかった。

9ヵ月後、ノンキル・センターのデュポンセンターへ登録し、ドーベルマンのレッドを貰ってきた。
ソファに座る私の足の上に頭をもたせかける彼の長い鼻を撫でながら、私たちはうまくいくと話した。

レッドとグロミット、そして猫のコンスーラと私の関係は、端的にいうとシンプルである。

姉や父との関係を見るとよくわかる。
特に父とはよく揉めた。家族の愛やサポートはいつも糸のように絡みついてくる。

バーカー氏の話に戻ろう。
「ペットは無条件であなたを愛してくれます。あなたの正邪を批判しない。
あなたがそこにいるだけでそれだけで幸せなのです。
そこがペットロスの根源と言えましょう。
加えて、別れが突然であれば衝撃の度合いは大きくなります。
前米大統領、ビル・クリントンの愛犬バディが交通事故死したとき、
ホワイトハウスを後にしたときよりもずっとひどい気分であったと語っています」

バーカー氏は正しい。
グロミットは13のときにガンに罹り、あっという間に逝ってしまった。
しかし最後の数週間を一緒に過ごし、彼の死の準備をすることができた。
私の腕の中で獣医に注射をしてもらったのは本当に辛い経験だったが、
それでも彼が安らかに逝ったということは確信があったし、
少なくとも私がそこに一緒にいることが彼の安らぎのひとつだったと思っている。

健康だったはずの7歳のレッドは10月の終わり、咳をし始めた。
獣医はアレルギーだと思ったが、改善しなければ数週間後また来るように言った。
2週間後、胸のレントゲンは肺炎を指し示していた。
抗生物質が2,3日で効を発するだろうと家に戻された。
午後一時に薬を飲ませ、仕事に出た。その夜戻ったときには死んでいたのだ。

そのときの私のリアクションを描写するのは非常に痛みが伴う。
その夜、翌日、翌週、そして何ヶ月も何ヶ月もの私のリアクション。

グロミットが死んでいく時、「ありがとう」と何度も繰り返し見送った。
レッドの場合は彼の耳に届くのは叶わなかった。私はただ「すまない」を繰り返すのみであった。

気がつかなかったのか。できる事は全部したのか。もしああしていれば。もっと早く獣医につれていけば。
入院させるように無理を言えばよかったのかもしれない。家にいたら助かっていたか。
少なくとも最後の瞬間私がそばにいるとわかってくれたのではないか。
そうすれば私は辛くとも、レッドにとっては少しは楽だったかもしれない。

私はライターであり、書く事によって悲しみを昇華しようとしている。
ペットロス・カウンセラーの友人は仕事を通して、自分の逝ってしまった猫に思いを送り、
同時に自分自身の悲しみを確認していると言う。

私の記事があなたに何等かの答えを出したかどうかわからないが、
私たち一人ひとり自分たちのやり方で悲しみを乗り越えていかなければならないと思う。
そしてあなたがその方法を一番よく知っているはずである。

もう一仕事残っている。
5年前グロミットの遺灰と首輪と、手紙と一緒に写っている写真と
彼の好きだったベーグルを一緒に埋葬し、墓石にはありがとうと刻んだ。
レッドの遺灰は雪がとけてから埋葬するつもりだ。
それまでに墓石を見つけ、そしてもっと大切なことはレッドに送る言葉を考えることだ。

たぶん来年には また犬と一緒に暮らしていると思う。


By Joe Yonan
Washington Post

 

 

 

人はこんなにも犬を愛し、犬はこんなにも人を愛します。

今日もお出で下さいまして、ありがとうございました。


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