今週も幼稚園に足を運ぶことが出来ませんでした。
提出用の願書を貰いに行かねばならないのですが......今月いっぱい受け付けしているので、別に急がなくてもいいかな、と......
というのは嘘で、言い訳で。
この時期、子育てカテゴリでは幼稚園就園前の記事を多く見ます。
前回の記事で、運動系?勉強系?○○式?××式?とか迷われているお母さんが羨ましいと書きました。
なんともそれは遠い世界の話で。
この時期に多く見かけるその話は、同時に過去の辛かったことを起想した記事も少なからず見かけます。
それは、こっとりと落ちてくる感じ。
どういうことかというと、
障害のある子どもが、短い期間に繰り返し拒絶された辛い記憶。
複数の園から、うちでは見られませんと、うちに合うかよく考えてくださいと、うちにはこのような活動がありますがついてこれますかと、
率直に、遠回しに、
何度も何度も繰り返し拒絶された時期。
自分の子どもが拒絶された記憶というのは、自分がそうされた過去のそれよりずっと辛い。
嫌な記憶とか、辛い出来事というよりも、トラウマに近い。私は。
頭では上の子と下の子は違う、下の子に発達障害があっても、重い知的障害の上の子と同じではないとわかっていても、それでも、どうしても、やっぱり、
行きたくない行きたくない行きたくない行きたくない........
幼稚園って行かなきゃダメなのかなぁ?
別に行かなくてもいいんじゃないかなぁ?少なくとも来年度は見送ってもいいんじゃないかなぁ?
もう何ヵ月、この思考で停止しているのか.....
今月から行き始めた児発のスタッフさんからは、
お友だちと一緒に遊んでいても、相手の様子を見て遠慮したり譲ったりする様子がある。同時に、自分が先に行っていて邪魔されそうになったときには、嫌だという意思を表すことも出来て、社会性は高い、
との評価を聞いている。
運動面や認知は年齢相応で、社会性も特に問題がないとすれば、あと発語がないことの原因はどこにあるの?
なにか大きな原因が潜んでいるのか、また脳神経系の病気?それともこれから折れたりすることがあるのか?
表題の嬉しいこと、は、
前回の通所日の朝、兄の学校のリュックと妹子さんのリュックを並べて置いておいて、
家を出る10分くらい前に、
「もうちょっとしたら出るよ」
と声かけすると、妹子さんは自らリュックを背負ってストラップのバックルをパッチンと留めた。
次に
「靴下をはいておいて」
と言うと、チェストの自分の段から靴下を出してはき、
更に、兄の衣類の段から靴下を出してお兄ちゃんに手渡していた。
本当に、ただそれだけのことなんだけど、
私はもうそれにビックリして嬉しくて。
この歳でもう兄の世話を焼いてくれるんだと、もちろん兄が年相応でないとか、兄が普通ではないとかはわかっていなくて、純粋にお兄ちゃんのも一緒に出してあげようくらいに考えたのだと思います。
このとき、確かに社会性には取り合えず難はなさそうだ、と思いました。
そして兄がトイレに行っている間に自分は靴をはいて玄関待機。
児発に行く気マンマン。
なにはともあれ、兄妹が仲良くしてくれたら母は一番嬉しいです。
二学期から兄が午前中で帰ってくるようになって、私は一日に何度も送迎で車に乗っている時間が増えて、なんなら送迎の隙間時間で家事をやっつける感じになって、前にも増して妹子さんにかまってやる時間がなくなった。
(来週は片道20分の放課デイ/児発に4往復しなきゃいけない日がある...)
二人で外遊びに行くこともなくなったし、対面で遊びにつきあう時間も全くなくなってしまった。
親子教室もペアトレもキャンセルしてしまったし、幼稚園の園庭解放にも時間的に行けない。園の説明会なんかも行けない(行こうと思ったら、兄に学校を休ませて一緒に連れていくか、家で一人で留守番させないといけない)
なんか、兄も妹子さんも、かわいそうだなぁ。
ああ、きょうだい児ってこういうことかぁ...
って。
でも、誰も悪くないよね。
コロナが悪いだけ。
大人の社会はだいぶ通常運転っぽい雰囲気になってきたけど、学校はぜんぜん現状維持。完全に取り残されている。
きっと低年齢の子どもたちにワクチンが行き渡るようになるまで、この生活が続くんだろうな。あと何ヵ月?あと何年?
最後に...
さっき、妹子さんが描いていた落書き。