さて、このシリーズはこれが最後です。みなさんお疲れ様でした。m(_ _ )m
読み切ればきっと善いことがあるよ!!ウソですが、台湾がなぜ親日なのかは理解出来ると思います。
それに比べて同じ統治でも朝鮮半島ときたら、、、DNAの違いとしか言いようがありませんよね。残念です。
5 台湾日本語世代への感謝状
私を変えた台湾
私は当初、元台湾少年工の人々とのお付合いは、父親の遣り残した仕事の後始末ぐらいに軽く考えていました。しかし最近になって、これは私にとって予想外に大きな仕事になるような予感がしてきました。文豪司馬遼太郎は、「台湾に目覚めたことは、私の人生にとって事件となった」と述べていますが、私もそのスケールこそ違え、司馬遼太郎さんと同じ思いをもつに至りました。台湾は、それほど私を惹き付けるところです。
私の台湾に対する目を開かせてくれたのは、私が「腹違いの兄」とも考える多くの元台湾少年工の人たちでした。彼らから実に多くのことを学びました。次に私を惹きつけたのは、故人となられた呉建堂さんとその門人たちの台湾万葉集でした。
日本人も中国人も忘れたる 仁義礼智信台湾にあり
万葉に返れの信念ゆるぎなし 国籍などに関わりのなく
吾子は今手術受け居り父われは 医師にしあれど全身振ふ
台湾の人々の優れた短歌を詠んで私も還暦を過ぎてから短歌を習うことにしました。また、陳絢暉さんを会長とする日本語研究グループの質の高い活動にも教えられました。
それに加えて、蔡焜燦、許文龍、楊基銓、周英明、黄文雄、金美齢、黄昭堂、張超英、林健良など台湾人論客の日本に対する高い評価と筋の通った論説が、台湾と日本の問題へ新しい視点を与えてくれました。
それは、私が忘れかけていた日本精神や日本文化を再認識させてくれました。同時に第二次世界大戦の連合国が、民主主義国家だったという虚像を、見事に打ち砕いてくれました。日本にとっての台湾の重要性、台湾と表裏の関係にある中国の現状と問題点も知ることができました。
知日の決定版「武士道解題」
そういう時期に、李登輝前台湾総統の手になる「武士道解題」が日本で出版されました。台北李登輝友の会蔡焜燦会長から贈呈を受け、私は一気に読了し、もう一度ゆっくり読み直しました。素晴らしい本でした。「台湾人は、日本統治時代に学んだ武士道精神で、戦後の難局を乗り切り、今日の台湾を築いた」と李登輝さんは言います。それは、私が十年前に台湾少年工の皆さんから聞いた、「私たちは大和魂があったから、戦後の血の弾圧時代を乗り越えられたのだ」という証言とまったく一致するものでした。
「武士道解題」は、淡々とした簡潔な文章で、深い内容を実にわかりやすく述べています。知識の広さ、哲学書から小説まで、ものすごい読書量に圧倒されてしまいます。そうした知識と数多くの体験を基にした深い考察。これこそ、今日の最高峰をゆく日本精神論と言えるでしょう。李登輝さんを哲人政治家と呼ぶ意味がよくわかります。
「戦後、台湾に戻ってからも、新渡戸先生をはじめとする日本の大先達たちが、いかに真剣かつ真摯に台湾の経済的自立のために献身的な努力を捧げてくださっていたかが痛いほどよくわかり、本当に日本文化のもとで基本的な教育や教養を受けてきてよかったなあと、しみじみ思い返したものです。特に、新渡戸先生が「武士道」の中で強く強調している、「信」や「義」や「仁」といった徳目は、その後私が台湾の総統となって「新・台湾人」を率いて国造りを推し進めていくうえでの、またとない大きな心の支えとなりました。」
そのような意味では、私ばかりでなく、古き良き日の輝かしき日本の「伝統」に触れることのできた世代は、大なり小なり、「台湾の今日あるは日本のおかげ」と感謝しているのです。「伝統」とは、それほどまでに大切なものであり、何千年の星霜を経ようとも絶対に色褪せないものです。」 武士道解題 P19
日本に与えられる、これ以上のほめ言葉があるでしょうか。
なぜ今、日本と台湾で武士道なのか。
李登輝さんは、「本書の中で、私は繰り返し「いま、なぜ武士道か」という問題を、日本および日本人に対してだけでなく、私自身に対しても問いかけています。それは、このような危急存亡の秋にこそ一人一人の社会の成員が「生き方の心得」とも言うべきものを再認識し再点検しなければならない、と固く信じているからにほかなりません。この大命題を自他ともに厳しく問い詰めなければ、とても国家や国民の未来は見えてこない、と確信しているからです。」と述べられています。
本書で李登輝さんは、今日の日本の指導者に対し、「日本の指導者や、しっかりせよ」と心から叫んでいるのではないでしょうか。李登輝さんは、その生涯を通じて武士道精神を貫かれてきました。二度にわたる人生の危機の時代、戦後の狂乱の時期と大中国を相手に一歩も引かない闘いの時期には、特に武士道精神を必要とされたようです。
その意味で、武士道精神で実際に難局を乗り切った李登輝さんの呼びかけは、日本の指導者に大いに参考になるでしょうし、その言葉はたいへん重いものを含んでいます。
最近、私は改革解放後の中国の経済状態を知り、暗然たる気持ちにさせられました。そのやり方が、第二次大戦後の中国国民党による台湾収奪の経過と、きわめて似通っていたからでした。そこには、公私の区別のない、中国人特有の経済行動が共通して見られます。この精神的な腐敗のほうが、目に見えないだけSARSよりも、たちが悪いのです。日本人も台湾人も、市場を求めて中国大陸へ行くのはよいが、利のみ求めて義を忘れた行動をとると、国家社会にとんでもない病原菌を持ち込むことになります。李登輝さんの心配も、そのへんにあるのではと、私は睨んでいます。
台湾を知らずに日本の近代は語れない
司馬遼太郎をして、「台湾に目覚めたことは、私の人生にとって事件となった」と言わしめたのは何だろうと、ぼんやりと考えていた私の眼に、西尾幹二教授が大著「国民の歴史」で、司馬遼太郎の歴史観を述べた文章が飛び込んできました。
「司馬遼太郎は明治維新を近代革命とみなし、日露戦争を祖国防衛戦争ととらえ、日本人が素朴に国を信じた時代のあったことを絵解きした。けれども、明治に対する高い評価とあまりに著しいコントラストをなすのは、昭和の否定である。昭和初期から敗戦までの十数年は、「別国の感があり、別の民族だった」とし、この間を「長い日本史のなかで、特に非連続な時代」とみなしている」。
歴史に全く素人の私が、こんな推測をするのはたいへん僭越ですが、司馬遼太郎は明治維新の精神とその成果が台湾で脈々と息づいていたことを、発見したのではないでしょうか。台湾での体験は、司馬遼太郎にとって、歴史観を修正するほどの事件ではなかったのかと考えたのです。司馬という文豪であろうと、戦後の贖罪意識刷込み計画と全く無縁とは考えられませんし、一方台湾についてもそれほど深い知識があったとは考えられません。
歴史小説の文豪といわれる人にとって、「人生の事件」といえるものが、それ以外にあるでしょうか。台湾は歴史小説の分野で文豪と呼ばれる人の歴史観さえ変えてしまう要素を持ってします。台湾を知らずして、日本の近代を語ることはできないのです。
日本精神復活のためのプロジェクトX
元台湾少年工の方々の強い要望を受けて、私たちはここ数年間にわたり、彼らが夢にまで見た中等学校卒業の免状を得る運動を続けてきました。その結果は、必ずしも満足のいくものではありませんが、来る2003年10月20日に台湾から元少年工の人々を招き、神奈川県座間市の市民会館で、六十年ぶりの修了式を開催する運びとなりました。
思い起こせば、当初この運動の提案者であった台湾高座会新竹区会の李保松氏が、卒業証明書の中に絶対入れてほしいと強く望んだ言葉があります。それは、「正にその責と業を終えたり」という言葉でした。
彼は当時十五歳の少年でしたが、配属された霞ヶ浦の航空隊では、敵にやられた戦闘機修理のため、幾晩も徹夜をしながら、がんばり抜きました。老境に入ったいま、望むのはただ一言、日本政府からの「あなたは立派にその責任を果たした」という言葉だけです。
十五歳の少年が抱いていた烈々たる責任感、これこそ当時の日本精神が育て上げ、今日もなお台湾日本語世代の人々の心の中に息づいているものなのです。私たち日本人は、こうした人々の熱き心に、どのように応えるべきでしょうか。
それには、李登輝総統も言われるように、日本を再び仁義礼智信の国として再興することです。NHKの好評番組に、プロジェクトXがあります。日本の各分野の人たちが、戦後、種々の障害を苦しみながら、最後にそれを乗り越え目的を達する苦闘のドキュメンタリーです。今こそ私たちは、日本精神再興のプロジェクトXに本腰で取組まなくてはならない時です。それに成功することこそ、李登輝さんをはじめとする台湾日本語世代への期待に応えることであり、台湾日本語世代への最高の感謝状になると思うのです。
おわり。
今回掲載した記事は
台湾日本語世代への感謝状 http://members.jcom.home.ne.jp/kouzakai/koukoku.htm
から転載しました。
最後まで読んでいただいて本当にありがとうございました。これに懲りずにこれからもよろ!m(_ _ )m
by westwolf
読み切ればきっと善いことがあるよ!!ウソですが、台湾がなぜ親日なのかは理解出来ると思います。
それに比べて同じ統治でも朝鮮半島ときたら、、、DNAの違いとしか言いようがありませんよね。残念です。
5 台湾日本語世代への感謝状
私を変えた台湾
私は当初、元台湾少年工の人々とのお付合いは、父親の遣り残した仕事の後始末ぐらいに軽く考えていました。しかし最近になって、これは私にとって予想外に大きな仕事になるような予感がしてきました。文豪司馬遼太郎は、「台湾に目覚めたことは、私の人生にとって事件となった」と述べていますが、私もそのスケールこそ違え、司馬遼太郎さんと同じ思いをもつに至りました。台湾は、それほど私を惹き付けるところです。
私の台湾に対する目を開かせてくれたのは、私が「腹違いの兄」とも考える多くの元台湾少年工の人たちでした。彼らから実に多くのことを学びました。次に私を惹きつけたのは、故人となられた呉建堂さんとその門人たちの台湾万葉集でした。
日本人も中国人も忘れたる 仁義礼智信台湾にあり
万葉に返れの信念ゆるぎなし 国籍などに関わりのなく
吾子は今手術受け居り父われは 医師にしあれど全身振ふ
台湾の人々の優れた短歌を詠んで私も還暦を過ぎてから短歌を習うことにしました。また、陳絢暉さんを会長とする日本語研究グループの質の高い活動にも教えられました。
それに加えて、蔡焜燦、許文龍、楊基銓、周英明、黄文雄、金美齢、黄昭堂、張超英、林健良など台湾人論客の日本に対する高い評価と筋の通った論説が、台湾と日本の問題へ新しい視点を与えてくれました。
それは、私が忘れかけていた日本精神や日本文化を再認識させてくれました。同時に第二次世界大戦の連合国が、民主主義国家だったという虚像を、見事に打ち砕いてくれました。日本にとっての台湾の重要性、台湾と表裏の関係にある中国の現状と問題点も知ることができました。
知日の決定版「武士道解題」
そういう時期に、李登輝前台湾総統の手になる「武士道解題」が日本で出版されました。台北李登輝友の会蔡焜燦会長から贈呈を受け、私は一気に読了し、もう一度ゆっくり読み直しました。素晴らしい本でした。「台湾人は、日本統治時代に学んだ武士道精神で、戦後の難局を乗り切り、今日の台湾を築いた」と李登輝さんは言います。それは、私が十年前に台湾少年工の皆さんから聞いた、「私たちは大和魂があったから、戦後の血の弾圧時代を乗り越えられたのだ」という証言とまったく一致するものでした。
「武士道解題」は、淡々とした簡潔な文章で、深い内容を実にわかりやすく述べています。知識の広さ、哲学書から小説まで、ものすごい読書量に圧倒されてしまいます。そうした知識と数多くの体験を基にした深い考察。これこそ、今日の最高峰をゆく日本精神論と言えるでしょう。李登輝さんを哲人政治家と呼ぶ意味がよくわかります。
「戦後、台湾に戻ってからも、新渡戸先生をはじめとする日本の大先達たちが、いかに真剣かつ真摯に台湾の経済的自立のために献身的な努力を捧げてくださっていたかが痛いほどよくわかり、本当に日本文化のもとで基本的な教育や教養を受けてきてよかったなあと、しみじみ思い返したものです。特に、新渡戸先生が「武士道」の中で強く強調している、「信」や「義」や「仁」といった徳目は、その後私が台湾の総統となって「新・台湾人」を率いて国造りを推し進めていくうえでの、またとない大きな心の支えとなりました。」
そのような意味では、私ばかりでなく、古き良き日の輝かしき日本の「伝統」に触れることのできた世代は、大なり小なり、「台湾の今日あるは日本のおかげ」と感謝しているのです。「伝統」とは、それほどまでに大切なものであり、何千年の星霜を経ようとも絶対に色褪せないものです。」 武士道解題 P19
日本に与えられる、これ以上のほめ言葉があるでしょうか。
なぜ今、日本と台湾で武士道なのか。
李登輝さんは、「本書の中で、私は繰り返し「いま、なぜ武士道か」という問題を、日本および日本人に対してだけでなく、私自身に対しても問いかけています。それは、このような危急存亡の秋にこそ一人一人の社会の成員が「生き方の心得」とも言うべきものを再認識し再点検しなければならない、と固く信じているからにほかなりません。この大命題を自他ともに厳しく問い詰めなければ、とても国家や国民の未来は見えてこない、と確信しているからです。」と述べられています。
本書で李登輝さんは、今日の日本の指導者に対し、「日本の指導者や、しっかりせよ」と心から叫んでいるのではないでしょうか。李登輝さんは、その生涯を通じて武士道精神を貫かれてきました。二度にわたる人生の危機の時代、戦後の狂乱の時期と大中国を相手に一歩も引かない闘いの時期には、特に武士道精神を必要とされたようです。
その意味で、武士道精神で実際に難局を乗り切った李登輝さんの呼びかけは、日本の指導者に大いに参考になるでしょうし、その言葉はたいへん重いものを含んでいます。
最近、私は改革解放後の中国の経済状態を知り、暗然たる気持ちにさせられました。そのやり方が、第二次大戦後の中国国民党による台湾収奪の経過と、きわめて似通っていたからでした。そこには、公私の区別のない、中国人特有の経済行動が共通して見られます。この精神的な腐敗のほうが、目に見えないだけSARSよりも、たちが悪いのです。日本人も台湾人も、市場を求めて中国大陸へ行くのはよいが、利のみ求めて義を忘れた行動をとると、国家社会にとんでもない病原菌を持ち込むことになります。李登輝さんの心配も、そのへんにあるのではと、私は睨んでいます。
台湾を知らずに日本の近代は語れない
司馬遼太郎をして、「台湾に目覚めたことは、私の人生にとって事件となった」と言わしめたのは何だろうと、ぼんやりと考えていた私の眼に、西尾幹二教授が大著「国民の歴史」で、司馬遼太郎の歴史観を述べた文章が飛び込んできました。
「司馬遼太郎は明治維新を近代革命とみなし、日露戦争を祖国防衛戦争ととらえ、日本人が素朴に国を信じた時代のあったことを絵解きした。けれども、明治に対する高い評価とあまりに著しいコントラストをなすのは、昭和の否定である。昭和初期から敗戦までの十数年は、「別国の感があり、別の民族だった」とし、この間を「長い日本史のなかで、特に非連続な時代」とみなしている」。
歴史に全く素人の私が、こんな推測をするのはたいへん僭越ですが、司馬遼太郎は明治維新の精神とその成果が台湾で脈々と息づいていたことを、発見したのではないでしょうか。台湾での体験は、司馬遼太郎にとって、歴史観を修正するほどの事件ではなかったのかと考えたのです。司馬という文豪であろうと、戦後の贖罪意識刷込み計画と全く無縁とは考えられませんし、一方台湾についてもそれほど深い知識があったとは考えられません。
歴史小説の文豪といわれる人にとって、「人生の事件」といえるものが、それ以外にあるでしょうか。台湾は歴史小説の分野で文豪と呼ばれる人の歴史観さえ変えてしまう要素を持ってします。台湾を知らずして、日本の近代を語ることはできないのです。
日本精神復活のためのプロジェクトX
元台湾少年工の方々の強い要望を受けて、私たちはここ数年間にわたり、彼らが夢にまで見た中等学校卒業の免状を得る運動を続けてきました。その結果は、必ずしも満足のいくものではありませんが、来る2003年10月20日に台湾から元少年工の人々を招き、神奈川県座間市の市民会館で、六十年ぶりの修了式を開催する運びとなりました。
思い起こせば、当初この運動の提案者であった台湾高座会新竹区会の李保松氏が、卒業証明書の中に絶対入れてほしいと強く望んだ言葉があります。それは、「正にその責と業を終えたり」という言葉でした。
彼は当時十五歳の少年でしたが、配属された霞ヶ浦の航空隊では、敵にやられた戦闘機修理のため、幾晩も徹夜をしながら、がんばり抜きました。老境に入ったいま、望むのはただ一言、日本政府からの「あなたは立派にその責任を果たした」という言葉だけです。
十五歳の少年が抱いていた烈々たる責任感、これこそ当時の日本精神が育て上げ、今日もなお台湾日本語世代の人々の心の中に息づいているものなのです。私たち日本人は、こうした人々の熱き心に、どのように応えるべきでしょうか。
それには、李登輝総統も言われるように、日本を再び仁義礼智信の国として再興することです。NHKの好評番組に、プロジェクトXがあります。日本の各分野の人たちが、戦後、種々の障害を苦しみながら、最後にそれを乗り越え目的を達する苦闘のドキュメンタリーです。今こそ私たちは、日本精神再興のプロジェクトXに本腰で取組まなくてはならない時です。それに成功することこそ、李登輝さんをはじめとする台湾日本語世代への期待に応えることであり、台湾日本語世代への最高の感謝状になると思うのです。
おわり。
今回掲載した記事は
台湾日本語世代への感謝状 http://members.jcom.home.ne.jp/kouzakai/koukoku.htm
から転載しました。
最後まで読んでいただいて本当にありがとうございました。これに懲りずにこれからもよろ!m(_ _ )m

by westwolf