さて、ココまで辿り着いた人は何人いるのかな?
青地に白の文字は目が疲れますよね。すみません。m(_ _ )m 頑張ってください。(笑)
3 自虐の罠にはまった日本人
終戦の日から始まった贖罪意識刷込み計画
同じ日本人だった台湾日本語族が、日本の近代史を肯定しているのに、肝心の日本人の方は自分たちの父祖の時代を無惨に否定し、ことあるごとに近隣諸国へ謝罪しつづけています。特にそれは、一部政治家、マスコミ、教育界に著しい現象です。外国で謝罪して来たことを、己れの政治的得点であるかのように自慢げに報告した総理までいます。
何ゆえにかくも大きな差が存在するのでしょうか。台湾から帰った私は、早速その原因を探ることにしました。その結果、私が辿り着いたのは、高等学校の一年先輩、江藤淳氏の「閉ざされた言語空間」という一冊の本でした。
江藤氏はその書物の中で、戦後占領軍として日本に駐留した米軍が、日本人から日本精神なるものを骨抜きにするため、いかに用意周到な作戦計画をもち、それを確実に実行したかを調査し、詳細に報告しています。
それは「ウオーギルドインフォメーションシステム」(戦争罪悪感刷込み計画)と言われるもので、全ての日本人に自ら行った戦争に対し罪悪感をもたせることを狙っていました。そのシステムは、東京軍事裁判と新聞の検閲という、二つの大きな柱から成り立っています。1945年8月15日、日本人は、だれもが戦争は終わったものと考えていましたが、しかしアメリカの方は、その日から日本精神と日本文化の殲滅戦を始めていたのです。
東京裁判のカラクリ
半世紀も経って、私は東京裁判がいかにデタラメなものであったかを知りました。私にも中立国などを全然入れず、勝者が敗者を裁くという方法に違和感はありましたが、しかしそれは国際的な良識のなかで適切に行われたものと考えていました。第二次世界大戦は、ファッシズムと民主勢力との戦いであったという前提も、残念ながらさして抵抗無く受け入れていました。なにしろ日本が同盟を組んだナチスドイツのユダヤ人大量虐殺計画のすさまじさを見せられると、いやでもそれを肯定しなければならない雰囲気がありました。
でも、南京事件やバターン死の行進などが日本軍の残虐行為として大いに喧伝されてはいましたが、それでは東京や横浜への無差別爆撃はその範疇へ入らないのか、特に一瞬のうちにあらゆるものを焼き尽くしてしまった広島や長崎への原爆投下が、なぜ人道への罪に該当しないのか疑問に思ってはいました。
東京裁判が非常にデタラメであったのを知ったのは、日本海軍の公式的な立場から、終始一貫この裁判を傍聴された富士信夫さんの著作を読んだり講演を聞いたりしてからです。戦争捕虜の裁判でのほとんどの検察側資料は、九割以上が反対尋問を全く受けなくてすむ文書であり、それがそのまま証拠として採用されたと聞いておどろきました。正常な裁判なら、そんな証拠はとうてい有効とは考えらません。また連合国側に都合の悪い証言や質問のときは、通訳をさせなかったり、ひどいときは電気を停めたのだそうです。
「言論の自由の国」にあった厳しい検閲
また新聞雑誌やラジオはもちろん、短歌や俳句という趣味の刊行物に至るまで、実に綿密な検閲制度が張り巡らされていたことを聞いて、暗然とした気持ちになりました。検閲については、ほんとうに驚きました。終戦後、私たち日本人は、完全な言論の自由を与えられ、それを謳歌してきたと考えていたからです。私だけの思い過ごしではいけないので、私は自分の住む市の市長と教育長に聞いてみましたが、両者とも私と同意見でした。私たちが便利に使っているセロテープは、当時開封した信書を塞ぐのに使われたものとか。
戦いの矛を収めるに当たって、日本はボッタム宣言を受託しました。確かボッタム宣言の第10項は、言論・表現の自由でした。それを強制したはずのアメリカが、その条項に反して密かに検閲をしていたとは、全く理解できないことです。
しかし、勝岡寛次教授は、雑誌「祖国と青年」に、「抹殺された大東亜戦争」と題して、新聞や雑誌への生々しい検閲の証拠を、冷厳な事実として提示しています。すでに戦争の終わった国に対して、自由を標榜するアメリカが検閲をしていたことなど信じられないと、誰もが考えるでしょう。そのためアメリカ軍は、アメリカ国内に対してさえ、最後までそれを秘密にしていたのです。また日本語の新聞雑誌の検閲ですから、日本人の協力が必要でした。後年、革新市長になった人などを含め、約一万人の日本人がその検閲に協力していたとのことです。
とにかく日本人は素直で順応しやすい民族で、相手の長所を見つけるのが上手く、それをすぐ自分のものにすることができる一方、過剰なほど反省好きです。そうした特性を遺憾なくアメリカに利用され、私たちはいつの間にか魂を抜かれていたのです。
何故、日本人はかくも素直に、贖罪体質に陥ってしまったのでしょうか。それは我々を占領したアメリカが、我々にない文明や政治制度を持っていたからとも考えられ、また何よりも我々をあの飢餓状態から救出してくれたからとも考えられます。ひもじさ、飢餓に直面していた日本人は、昨日までの敵国が白いパンを与えるのをよく理解できませんでした。敵に白いパンを与える、ただそれだけで当時の日本人は魂を抜かれてしまったのかも知れません。豪華な乗用車、軽快に走り回るジープ。それに、民主主義、言論の自由、多くの小作人を自作農に変えた農地改革もありました。
そうしたものに目がくらんで、不公平な東京裁判も、受け入れてしまったのです。しかし台湾では事情が全く逆でした。やって来た方がひどくみすぼらしく、文化レベルも比較にならないほど低かったのです。そんな連中に台湾人はいやというほど痛めつけられました。ただ、弁明のチャンスも与えられず、名誉を失った父祖の時代の日本人のことを考えると、どちらが幸せであったかは、一概には言えません。
占領軍総司令官マッカーサー将軍も、日本国民の高い評価を受けていました。朝鮮戦争でトルーマンアメリカ大統領に解任された同元帥を、日本人は最大限の愛惜の情で送りました。当日の毎日新聞夕刊は、次のように報道していました。
「ああマッカーサー元帥、日本を混迷と飢餓から救ってくれた元帥、元帥!その窓から、あおい麦が風にそよいでいるのを御覧になりましたか。今年もみのりは豊かでしょう。それはみな元帥の五年八ヶ月にわたる努力の賜であり、同時に日本国民の感謝のしるしでもあるのです。元帥! 日本はどうやら一人歩きが出来るようになりました。何とお礼を言っていいか。元帥! どうかおからだをお大事に」。当時高校生であった私は、そうした新聞報道を読んでいたせいか、「トルーマンのバカヤロウ」と叫んでいた記憶があります。
「日本は自衛のための戦争だった」と証言したマッカーサー
解任されたマッカーサー元帥は、日本であまりにも賞賛されたせいか、「太平洋戦争は、日本にとって自衛のための戦争であった」とアメリカ議会で証言したというのです。
これは極めて重大なことです。マッカーサーは、連合国最高司令官として東京裁判を組織し、この戦争を侵略戦争と断罪させ、責任者を処罰させました。それが一転して自衛のための戦争だと宣誓をして証言するとは、当時の世界が急速に冷戦構造に再編されていた時期とはいえ、この矛盾は驚くべきことです。
私の疑問は、ここから始まります。マッカーサーが日本の戦いは自衛のための戦争であったとアメリカ議会で証言したとき、日本人はなぜそれを歓迎しなかったのでしょうか。情報が伝えられなかったのでしょうか。もう戦争への態度が固まってしまい、今さらそんなことを言われても困るとでも考えたのでしょうか。敵方の司令官でさえ、そう考える世界情勢なのに、なぜ日本人は勝者の立場をそのまま素直に受け入れ、今もなお受け入れ続けているのでしょうか。敗戦という現実に、動転してしまったのでしょうか。
戦後半世紀経っても、なお自らを世界に向かって戦争加害者と卑下し、やたらと謝罪してまわる醜態、相手がそんなことで敬意を払うとでも考えるのであれば、とんでもない思い違いというものでしょう。おそらく贖罪感刷込み計画を思いついたアメリカも、その効果の大きさと永続性にびっくり仰天しているでしょう。
贖罪意識から脱却するもう一つのチャンスは、占領が終り独立するときでした。もう占領軍はいないのだから、検閲を受けていた新聞もラジオも雑誌も、これまで自分たちが検閲を受け、心ならずも自由に表現できなかったことを国民に向かって告白すべきでした。正式にそれを表明したマスコミを、私は寡聞にして聞きません。それどころか、戦後の論調を、一貫して変えない大新聞さえあるのです。検閲をされているうちに、日本人はいつの間にか、お得意の自己規制を身につけ、検閲を必要としないまでに変身してしまったのでしょうか。
一時期の大新聞による中国報道などを見ても、わが国のマスコミにそうした体質のあることは、容易に想像できます。戦時中、軍部に一番すりよったのは、マスコミと教育界という話ですが、その罪滅ぼしのために今度は180度姿勢を変えたのでしょう。180度姿勢を変えたのでは、ファシズムから民主主義に変わるのでなく、今度は左の全体主義に行き着いてしまったのでしょうか。戦後半世紀を経ても、アメリカ占領軍が刷り込んだ贖罪意識から脱け出せない日本人、これこそ今日の日本民族の最重要課題だと私は考えます。
4 日本人の自虐史観につけ込む中国
戦後日本人が抱えていた二大コンプレックス 社会主義と贖罪意識
戦後の日本人は、二つのコンプレックスを抱えていました。一つは社会主義に対するコンプレックスであり、もう一つは戦後アメリカに刷り込まれて贖罪意識でした。社会主義を近未来の体制として幻想した日本のよい例が、左翼を革新という言葉に表したことによく表れています。次の時代は資本主義に変わって社会主義、保守に変わって革新の時代になる、日本社会にはそうした風潮が漫然と流れていたものです。多くの新聞論調もそれを暗示していました。
しかし、全世界を席捲する勢いだった社会主義も、急速に衰退に向かい、東欧や東ドイツにおける敗退、それに続くソ連邦の崩壊、中国の市場主義経済という名の資本主義化、地上の楽園と謳われた北朝鮮の地獄とも言える惨状を知って、多くの日本人は完全に社会主義離れをしてしまいました。いまや社会主義への幻想は日本に関する限り、ほとんど影をひそめつつあると言ってもよいでしょう。
だが、日本人のもつもう一つのコンプレックス、自国の行った戦争への贖罪意識は、依然として多くの国民の心に根強く残っています。自国の歴史を謙虚に反省するのは、ある程度必要ですが、程度によったものです。特に政治家、マスコミ、教育界に贖罪意識の強いのがわが国の問題点です。それが、深刻な影響を与えています。
一番の問題は、お隣の中国や韓国が、日本の国論の不一致という間隙をついて、脅しをかけてくることです。靖国問題や旧植民地時代の評価について、閣僚や政治家が何か発言をすると、一部の日本のマスコミがまるで蜂の巣をつついたように騒ぎ、相手国にご注進に及び、肝心の日本国民がまだその発言を知らないうちに、中国や韓国の怒り狂った反応を報道するという、何とも異様な事態を私たちは何度も経験しています。
不用意な発言をして、そのたびに取り消しをする政治家の不勉強も責められますが、どこの国の新聞かと問いたくなるようなマスコミの態度も見苦しい限りです。私は靖国問題は、日本民族から国家に対する防衛意識を失わせるための、巧妙に仕掛けてきた罠ではないかと思います。いかに国家や民族に殉じて死んでも、国家や民族がその死に対して敬意を払わないのであれば、国に殉じる人は当然いなくなるからです。
国内の不満を日本に向けさせる中国の国内事情
なぜ、中国が日本人の贖罪意識につけこんで横柄な態度をとるのでしょうか。私はそうせざるをえない事情が中国側にあるのだと思います。中国は共産主義をタテマエにした国、労働者と農民の国のはずです。少なくとも彼らはそう称しているし、憲法にも謳われています。しかし、実態は全く違うのです。特に鄧小平が改革開放路線を正式に採択し実施するようになってから、中国は全く変わってしまいました。今や中国は中国共産党特権階級の国なのです。
社会主義から市場主義経済へ移行する過程で、中国共産党の指導部は、権力を公然と金に換えるという独裁政権でなくては実行できない方法を採用しました。国有企業は株式会社化されましたが、その株式は共産党の権力者とその身内や仲間に配分されました。その過程で汚職や腐敗は限りなく進行しています。中国共産党大会の重要テーマに、腐敗防止が常に掲げられていることは、この問題の深刻さを逆に裏づけています。
何清漣という新進気鋭の中国のエコノミストの「現代中国の落とし穴」という本は、この間の事情を詳しく述べています。体制腐敗の段階は常に、個人の腐敗、組織の腐敗、制度的な腐敗へと段階を追って進むのですが、現代中国の腐敗はその全てを含みつつ、すでに制度的な腐敗まで行きついているのです。民衆の不満は、地球のマグマのようにいつ噴出するか予想できないのです。
共産主義国家を標榜し、労働者と農民の国といいながら人口の圧倒的多数を占めるこれら労働者農民はその繁栄の外側に置かれています。貧富の差を解消するはずの共産党独裁政権下で、貧富の差がますます拡大しているのです。当然不満はたまります。その不満の捌け口が反日なのです。今日、社会主義の名にふさわしい国家を建設できない共産党政権の政権基盤は、半世紀以上昔の抗日戦争の勝利にしか求められないのです。日本という国が、極悪非道であればあるほどその価値が上がると考えているのです。そのためか最近、過去の戦争による死傷者の数が、年を経る毎にうなぎのぼりに増えています。戦後の大躍進時代や文化大革命時代に発生した大量の犠牲者まで、それに含めているのでしょうか。
私のたまに顔を出す倫理実践団体の誓いに、「今日一日、人の悪を言わず、己れの善を言わず、喜んで進んで働きます」という言葉がありますが、中国に限らず共産主義者の言動には、全くその逆が多いと私は常に感じています。
国内の政策の失敗を外に求めるのは、独裁政権の常套手段ですが、そのために人口十二億以上の人々に反日思想を植え込まれたのでは、日本人はまったものではありません。日本といえば戦時中の虐殺だけを教え、戦後日本の平和と繁栄、ODAによる中国への貢献については、中国の教科書でほとんど触れないというのですから、中国には他国の教科書について文句を言う資格など全くないのです。
目を覆いたくなる政治家の勉強不足
日本の政治家や外交官は、その点悲しくなるほど弱腰で、彼らに共通するのは、自国の歴史に対する目を覆いたくなるような知識の欠如と情報の不足です。最近中国との関係で話題になった日本の外務大臣の、自国に対する歴史認識は、おそらく彼らが大学受験したころのレベルを出ていないのです。学校で日教組の先生に教わった自虐的歴史観を一歩出ることなく、自国も知らず他国も知らず、国や民族を代表して交渉するのですから、したたかな中国の政治家や外交官にひとたまりもなくやられてしまうのです。
例えば、中国がよく話題にする南京事件、六週間のうちにどうして30万人もの人を殺すことができるのですか。原子爆弾でもあれば可能かもしれませんが、とうてい人間業では不可能です。アホウドリでもあるまいし、あのしたたかな中国人が、静かに死の順番を待っていたとは到底考えられません。30万もの人を殺すのは尋常な手段ではできないのです。そのとき、中国の軍隊はどうしていたのですか。みんな逃げてしまったのですか。中国軍の名誉の問題はないのですか。敗北したのは国民党、勝利したのは共産党、虐殺したのは日本軍という中国共産党の描く単純な図式では、すぐ歴史の評価に耐えられなくなってしまうでしょう。事実、台湾では南京で日本軍による暴行が全然無かったとは言えないが、その相当部分は国民党の敗残兵の仕業のはずだという意見が根強くあります。戦後の台湾の実体験がそれを言わせるのです。日本国内における最近の中国人による凶悪犯罪の急激な増加は、そうした推定を補強する材料です。
自分たちの父祖を信じ主張すべきは主張しよう。
戦前、私は南京近郊で中国人の子供たちに囲まれ、にこやかに微笑む伯父の写真を見たことがあります。子供たちもみな微笑んでいました。もし南京で大虐殺が行われていたら、いくら子供でも日本の兵隊と微笑んで写真を撮ることなど考えられません。私の伯父は、極めて温厚篤実な人で、それこそ無益な殺生などできる人間ではありません。当時の私の周辺にはみなそのような人ばかりでした。
簡単に謝罪をする日本の政治家の周囲には、無辜の人民を30万人も虐殺する殺人マシンのような人間がいるのでしょうか。心当たりでもあるのでしょうか。それでなければ、軽々に国家を代表して謝罪などしてほしくないと思います。自分はあるいは自分の身内はそうしたことをしないが、だれか悪いことをしたはずだ。俺は関係ないが他人は関係しているはずでは、あまりに無責任です。村山富市元総理に、ぜひ聞いてみたいものです。
半世紀もたつと、軍国主義者は悪、人民は無罪という図式は通用しなくなりました。だから中国人は現在、日本人をそうは区別せず日本人全体に贖罪を求めているそうです。そうでないと、半世紀以上たった今日、責任を取る人はもういないからです。
私たちが考えなければならないのは、中国が中国共産党の国家であり、中国軍は真の意味の国軍ではなく、中国共産党の軍隊であり、中国の教科書は中国共産党の政治教育を目的としていることです。天安門事件に見られるように、中国の軍隊は中国共産党政権が危なくなれば、平気で人民を虐殺することができますし、事実そうしました。
台湾の蔡焜燦氏も言われていますが、中国は軟土深耕の国柄で、弱みをこちらが見せればますますそこへ付け込んできます。日本人のよくやる良識的な対応など、相手を付け上がらせるだけです。
私はかって、市議会の議長をしているとき、共産党の議員から執拗に攻撃をされたことがありました。穏便に済まそうとすればするほど、相手は手ごわくなりました。そこで覚悟を決め反撃に出ました。共産党というのは、攻撃は得意ですが守りにはきわめて弱いのです。彼らはその後、何も言わなくなりました。中国に対し、日本の政治家も大胆に主張すべきは主張し、批判すべきは堂々と批判すべきです。
つづく
westwolf
青地に白の文字は目が疲れますよね。すみません。m(_ _ )m 頑張ってください。(笑)
3 自虐の罠にはまった日本人
終戦の日から始まった贖罪意識刷込み計画
同じ日本人だった台湾日本語族が、日本の近代史を肯定しているのに、肝心の日本人の方は自分たちの父祖の時代を無惨に否定し、ことあるごとに近隣諸国へ謝罪しつづけています。特にそれは、一部政治家、マスコミ、教育界に著しい現象です。外国で謝罪して来たことを、己れの政治的得点であるかのように自慢げに報告した総理までいます。
何ゆえにかくも大きな差が存在するのでしょうか。台湾から帰った私は、早速その原因を探ることにしました。その結果、私が辿り着いたのは、高等学校の一年先輩、江藤淳氏の「閉ざされた言語空間」という一冊の本でした。
江藤氏はその書物の中で、戦後占領軍として日本に駐留した米軍が、日本人から日本精神なるものを骨抜きにするため、いかに用意周到な作戦計画をもち、それを確実に実行したかを調査し、詳細に報告しています。
それは「ウオーギルドインフォメーションシステム」(戦争罪悪感刷込み計画)と言われるもので、全ての日本人に自ら行った戦争に対し罪悪感をもたせることを狙っていました。そのシステムは、東京軍事裁判と新聞の検閲という、二つの大きな柱から成り立っています。1945年8月15日、日本人は、だれもが戦争は終わったものと考えていましたが、しかしアメリカの方は、その日から日本精神と日本文化の殲滅戦を始めていたのです。
東京裁判のカラクリ
半世紀も経って、私は東京裁判がいかにデタラメなものであったかを知りました。私にも中立国などを全然入れず、勝者が敗者を裁くという方法に違和感はありましたが、しかしそれは国際的な良識のなかで適切に行われたものと考えていました。第二次世界大戦は、ファッシズムと民主勢力との戦いであったという前提も、残念ながらさして抵抗無く受け入れていました。なにしろ日本が同盟を組んだナチスドイツのユダヤ人大量虐殺計画のすさまじさを見せられると、いやでもそれを肯定しなければならない雰囲気がありました。
でも、南京事件やバターン死の行進などが日本軍の残虐行為として大いに喧伝されてはいましたが、それでは東京や横浜への無差別爆撃はその範疇へ入らないのか、特に一瞬のうちにあらゆるものを焼き尽くしてしまった広島や長崎への原爆投下が、なぜ人道への罪に該当しないのか疑問に思ってはいました。
東京裁判が非常にデタラメであったのを知ったのは、日本海軍の公式的な立場から、終始一貫この裁判を傍聴された富士信夫さんの著作を読んだり講演を聞いたりしてからです。戦争捕虜の裁判でのほとんどの検察側資料は、九割以上が反対尋問を全く受けなくてすむ文書であり、それがそのまま証拠として採用されたと聞いておどろきました。正常な裁判なら、そんな証拠はとうてい有効とは考えらません。また連合国側に都合の悪い証言や質問のときは、通訳をさせなかったり、ひどいときは電気を停めたのだそうです。
「言論の自由の国」にあった厳しい検閲
また新聞雑誌やラジオはもちろん、短歌や俳句という趣味の刊行物に至るまで、実に綿密な検閲制度が張り巡らされていたことを聞いて、暗然とした気持ちになりました。検閲については、ほんとうに驚きました。終戦後、私たち日本人は、完全な言論の自由を与えられ、それを謳歌してきたと考えていたからです。私だけの思い過ごしではいけないので、私は自分の住む市の市長と教育長に聞いてみましたが、両者とも私と同意見でした。私たちが便利に使っているセロテープは、当時開封した信書を塞ぐのに使われたものとか。
戦いの矛を収めるに当たって、日本はボッタム宣言を受託しました。確かボッタム宣言の第10項は、言論・表現の自由でした。それを強制したはずのアメリカが、その条項に反して密かに検閲をしていたとは、全く理解できないことです。
しかし、勝岡寛次教授は、雑誌「祖国と青年」に、「抹殺された大東亜戦争」と題して、新聞や雑誌への生々しい検閲の証拠を、冷厳な事実として提示しています。すでに戦争の終わった国に対して、自由を標榜するアメリカが検閲をしていたことなど信じられないと、誰もが考えるでしょう。そのためアメリカ軍は、アメリカ国内に対してさえ、最後までそれを秘密にしていたのです。また日本語の新聞雑誌の検閲ですから、日本人の協力が必要でした。後年、革新市長になった人などを含め、約一万人の日本人がその検閲に協力していたとのことです。
とにかく日本人は素直で順応しやすい民族で、相手の長所を見つけるのが上手く、それをすぐ自分のものにすることができる一方、過剰なほど反省好きです。そうした特性を遺憾なくアメリカに利用され、私たちはいつの間にか魂を抜かれていたのです。
何故、日本人はかくも素直に、贖罪体質に陥ってしまったのでしょうか。それは我々を占領したアメリカが、我々にない文明や政治制度を持っていたからとも考えられ、また何よりも我々をあの飢餓状態から救出してくれたからとも考えられます。ひもじさ、飢餓に直面していた日本人は、昨日までの敵国が白いパンを与えるのをよく理解できませんでした。敵に白いパンを与える、ただそれだけで当時の日本人は魂を抜かれてしまったのかも知れません。豪華な乗用車、軽快に走り回るジープ。それに、民主主義、言論の自由、多くの小作人を自作農に変えた農地改革もありました。
そうしたものに目がくらんで、不公平な東京裁判も、受け入れてしまったのです。しかし台湾では事情が全く逆でした。やって来た方がひどくみすぼらしく、文化レベルも比較にならないほど低かったのです。そんな連中に台湾人はいやというほど痛めつけられました。ただ、弁明のチャンスも与えられず、名誉を失った父祖の時代の日本人のことを考えると、どちらが幸せであったかは、一概には言えません。
占領軍総司令官マッカーサー将軍も、日本国民の高い評価を受けていました。朝鮮戦争でトルーマンアメリカ大統領に解任された同元帥を、日本人は最大限の愛惜の情で送りました。当日の毎日新聞夕刊は、次のように報道していました。
「ああマッカーサー元帥、日本を混迷と飢餓から救ってくれた元帥、元帥!その窓から、あおい麦が風にそよいでいるのを御覧になりましたか。今年もみのりは豊かでしょう。それはみな元帥の五年八ヶ月にわたる努力の賜であり、同時に日本国民の感謝のしるしでもあるのです。元帥! 日本はどうやら一人歩きが出来るようになりました。何とお礼を言っていいか。元帥! どうかおからだをお大事に」。当時高校生であった私は、そうした新聞報道を読んでいたせいか、「トルーマンのバカヤロウ」と叫んでいた記憶があります。
「日本は自衛のための戦争だった」と証言したマッカーサー
解任されたマッカーサー元帥は、日本であまりにも賞賛されたせいか、「太平洋戦争は、日本にとって自衛のための戦争であった」とアメリカ議会で証言したというのです。
これは極めて重大なことです。マッカーサーは、連合国最高司令官として東京裁判を組織し、この戦争を侵略戦争と断罪させ、責任者を処罰させました。それが一転して自衛のための戦争だと宣誓をして証言するとは、当時の世界が急速に冷戦構造に再編されていた時期とはいえ、この矛盾は驚くべきことです。
私の疑問は、ここから始まります。マッカーサーが日本の戦いは自衛のための戦争であったとアメリカ議会で証言したとき、日本人はなぜそれを歓迎しなかったのでしょうか。情報が伝えられなかったのでしょうか。もう戦争への態度が固まってしまい、今さらそんなことを言われても困るとでも考えたのでしょうか。敵方の司令官でさえ、そう考える世界情勢なのに、なぜ日本人は勝者の立場をそのまま素直に受け入れ、今もなお受け入れ続けているのでしょうか。敗戦という現実に、動転してしまったのでしょうか。
戦後半世紀経っても、なお自らを世界に向かって戦争加害者と卑下し、やたらと謝罪してまわる醜態、相手がそんなことで敬意を払うとでも考えるのであれば、とんでもない思い違いというものでしょう。おそらく贖罪感刷込み計画を思いついたアメリカも、その効果の大きさと永続性にびっくり仰天しているでしょう。
贖罪意識から脱却するもう一つのチャンスは、占領が終り独立するときでした。もう占領軍はいないのだから、検閲を受けていた新聞もラジオも雑誌も、これまで自分たちが検閲を受け、心ならずも自由に表現できなかったことを国民に向かって告白すべきでした。正式にそれを表明したマスコミを、私は寡聞にして聞きません。それどころか、戦後の論調を、一貫して変えない大新聞さえあるのです。検閲をされているうちに、日本人はいつの間にか、お得意の自己規制を身につけ、検閲を必要としないまでに変身してしまったのでしょうか。
一時期の大新聞による中国報道などを見ても、わが国のマスコミにそうした体質のあることは、容易に想像できます。戦時中、軍部に一番すりよったのは、マスコミと教育界という話ですが、その罪滅ぼしのために今度は180度姿勢を変えたのでしょう。180度姿勢を変えたのでは、ファシズムから民主主義に変わるのでなく、今度は左の全体主義に行き着いてしまったのでしょうか。戦後半世紀を経ても、アメリカ占領軍が刷り込んだ贖罪意識から脱け出せない日本人、これこそ今日の日本民族の最重要課題だと私は考えます。
4 日本人の自虐史観につけ込む中国
戦後日本人が抱えていた二大コンプレックス 社会主義と贖罪意識
戦後の日本人は、二つのコンプレックスを抱えていました。一つは社会主義に対するコンプレックスであり、もう一つは戦後アメリカに刷り込まれて贖罪意識でした。社会主義を近未来の体制として幻想した日本のよい例が、左翼を革新という言葉に表したことによく表れています。次の時代は資本主義に変わって社会主義、保守に変わって革新の時代になる、日本社会にはそうした風潮が漫然と流れていたものです。多くの新聞論調もそれを暗示していました。
しかし、全世界を席捲する勢いだった社会主義も、急速に衰退に向かい、東欧や東ドイツにおける敗退、それに続くソ連邦の崩壊、中国の市場主義経済という名の資本主義化、地上の楽園と謳われた北朝鮮の地獄とも言える惨状を知って、多くの日本人は完全に社会主義離れをしてしまいました。いまや社会主義への幻想は日本に関する限り、ほとんど影をひそめつつあると言ってもよいでしょう。
だが、日本人のもつもう一つのコンプレックス、自国の行った戦争への贖罪意識は、依然として多くの国民の心に根強く残っています。自国の歴史を謙虚に反省するのは、ある程度必要ですが、程度によったものです。特に政治家、マスコミ、教育界に贖罪意識の強いのがわが国の問題点です。それが、深刻な影響を与えています。
一番の問題は、お隣の中国や韓国が、日本の国論の不一致という間隙をついて、脅しをかけてくることです。靖国問題や旧植民地時代の評価について、閣僚や政治家が何か発言をすると、一部の日本のマスコミがまるで蜂の巣をつついたように騒ぎ、相手国にご注進に及び、肝心の日本国民がまだその発言を知らないうちに、中国や韓国の怒り狂った反応を報道するという、何とも異様な事態を私たちは何度も経験しています。
不用意な発言をして、そのたびに取り消しをする政治家の不勉強も責められますが、どこの国の新聞かと問いたくなるようなマスコミの態度も見苦しい限りです。私は靖国問題は、日本民族から国家に対する防衛意識を失わせるための、巧妙に仕掛けてきた罠ではないかと思います。いかに国家や民族に殉じて死んでも、国家や民族がその死に対して敬意を払わないのであれば、国に殉じる人は当然いなくなるからです。
国内の不満を日本に向けさせる中国の国内事情
なぜ、中国が日本人の贖罪意識につけこんで横柄な態度をとるのでしょうか。私はそうせざるをえない事情が中国側にあるのだと思います。中国は共産主義をタテマエにした国、労働者と農民の国のはずです。少なくとも彼らはそう称しているし、憲法にも謳われています。しかし、実態は全く違うのです。特に鄧小平が改革開放路線を正式に採択し実施するようになってから、中国は全く変わってしまいました。今や中国は中国共産党特権階級の国なのです。
社会主義から市場主義経済へ移行する過程で、中国共産党の指導部は、権力を公然と金に換えるという独裁政権でなくては実行できない方法を採用しました。国有企業は株式会社化されましたが、その株式は共産党の権力者とその身内や仲間に配分されました。その過程で汚職や腐敗は限りなく進行しています。中国共産党大会の重要テーマに、腐敗防止が常に掲げられていることは、この問題の深刻さを逆に裏づけています。
何清漣という新進気鋭の中国のエコノミストの「現代中国の落とし穴」という本は、この間の事情を詳しく述べています。体制腐敗の段階は常に、個人の腐敗、組織の腐敗、制度的な腐敗へと段階を追って進むのですが、現代中国の腐敗はその全てを含みつつ、すでに制度的な腐敗まで行きついているのです。民衆の不満は、地球のマグマのようにいつ噴出するか予想できないのです。
共産主義国家を標榜し、労働者と農民の国といいながら人口の圧倒的多数を占めるこれら労働者農民はその繁栄の外側に置かれています。貧富の差を解消するはずの共産党独裁政権下で、貧富の差がますます拡大しているのです。当然不満はたまります。その不満の捌け口が反日なのです。今日、社会主義の名にふさわしい国家を建設できない共産党政権の政権基盤は、半世紀以上昔の抗日戦争の勝利にしか求められないのです。日本という国が、極悪非道であればあるほどその価値が上がると考えているのです。そのためか最近、過去の戦争による死傷者の数が、年を経る毎にうなぎのぼりに増えています。戦後の大躍進時代や文化大革命時代に発生した大量の犠牲者まで、それに含めているのでしょうか。
私のたまに顔を出す倫理実践団体の誓いに、「今日一日、人の悪を言わず、己れの善を言わず、喜んで進んで働きます」という言葉がありますが、中国に限らず共産主義者の言動には、全くその逆が多いと私は常に感じています。
国内の政策の失敗を外に求めるのは、独裁政権の常套手段ですが、そのために人口十二億以上の人々に反日思想を植え込まれたのでは、日本人はまったものではありません。日本といえば戦時中の虐殺だけを教え、戦後日本の平和と繁栄、ODAによる中国への貢献については、中国の教科書でほとんど触れないというのですから、中国には他国の教科書について文句を言う資格など全くないのです。
目を覆いたくなる政治家の勉強不足
日本の政治家や外交官は、その点悲しくなるほど弱腰で、彼らに共通するのは、自国の歴史に対する目を覆いたくなるような知識の欠如と情報の不足です。最近中国との関係で話題になった日本の外務大臣の、自国に対する歴史認識は、おそらく彼らが大学受験したころのレベルを出ていないのです。学校で日教組の先生に教わった自虐的歴史観を一歩出ることなく、自国も知らず他国も知らず、国や民族を代表して交渉するのですから、したたかな中国の政治家や外交官にひとたまりもなくやられてしまうのです。
例えば、中国がよく話題にする南京事件、六週間のうちにどうして30万人もの人を殺すことができるのですか。原子爆弾でもあれば可能かもしれませんが、とうてい人間業では不可能です。アホウドリでもあるまいし、あのしたたかな中国人が、静かに死の順番を待っていたとは到底考えられません。30万もの人を殺すのは尋常な手段ではできないのです。そのとき、中国の軍隊はどうしていたのですか。みんな逃げてしまったのですか。中国軍の名誉の問題はないのですか。敗北したのは国民党、勝利したのは共産党、虐殺したのは日本軍という中国共産党の描く単純な図式では、すぐ歴史の評価に耐えられなくなってしまうでしょう。事実、台湾では南京で日本軍による暴行が全然無かったとは言えないが、その相当部分は国民党の敗残兵の仕業のはずだという意見が根強くあります。戦後の台湾の実体験がそれを言わせるのです。日本国内における最近の中国人による凶悪犯罪の急激な増加は、そうした推定を補強する材料です。
自分たちの父祖を信じ主張すべきは主張しよう。
戦前、私は南京近郊で中国人の子供たちに囲まれ、にこやかに微笑む伯父の写真を見たことがあります。子供たちもみな微笑んでいました。もし南京で大虐殺が行われていたら、いくら子供でも日本の兵隊と微笑んで写真を撮ることなど考えられません。私の伯父は、極めて温厚篤実な人で、それこそ無益な殺生などできる人間ではありません。当時の私の周辺にはみなそのような人ばかりでした。
簡単に謝罪をする日本の政治家の周囲には、無辜の人民を30万人も虐殺する殺人マシンのような人間がいるのでしょうか。心当たりでもあるのでしょうか。それでなければ、軽々に国家を代表して謝罪などしてほしくないと思います。自分はあるいは自分の身内はそうしたことをしないが、だれか悪いことをしたはずだ。俺は関係ないが他人は関係しているはずでは、あまりに無責任です。村山富市元総理に、ぜひ聞いてみたいものです。
半世紀もたつと、軍国主義者は悪、人民は無罪という図式は通用しなくなりました。だから中国人は現在、日本人をそうは区別せず日本人全体に贖罪を求めているそうです。そうでないと、半世紀以上たった今日、責任を取る人はもういないからです。
私たちが考えなければならないのは、中国が中国共産党の国家であり、中国軍は真の意味の国軍ではなく、中国共産党の軍隊であり、中国の教科書は中国共産党の政治教育を目的としていることです。天安門事件に見られるように、中国の軍隊は中国共産党政権が危なくなれば、平気で人民を虐殺することができますし、事実そうしました。
台湾の蔡焜燦氏も言われていますが、中国は軟土深耕の国柄で、弱みをこちらが見せればますますそこへ付け込んできます。日本人のよくやる良識的な対応など、相手を付け上がらせるだけです。
私はかって、市議会の議長をしているとき、共産党の議員から執拗に攻撃をされたことがありました。穏便に済まそうとすればするほど、相手は手ごわくなりました。そこで覚悟を決め反撃に出ました。共産党というのは、攻撃は得意ですが守りにはきわめて弱いのです。彼らはその後、何も言わなくなりました。中国に対し、日本の政治家も大胆に主張すべきは主張し、批判すべきは堂々と批判すべきです。
つづく
westwolf