「情報の宝庫」切手ブログ

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世界の多くの国・地域から現在も発行され続ける切手、印面に描かれる図案は情報の宝庫であらゆるテーマ、ジャンルの図案に出会うことができるのです。切手から得られる情報を日々気まぐれに綴っていきます。

昨日、セントヘレナ島の風景が描かれた切手を紹介しましたが、その関連で、下はセントヘレナ島へ流されたナポレオンが島で過ごした建物が図案になった切手です。

 

 

昨日の切手と同じく、1953年に英領セントヘレナから発行された普通切手の1種で、エリザベス2世の肖像とともに建物が描かれています。この建物は元々セントヘレナ副総督の夏用の住居として使われていたもので、ロングウッド・ハウスと呼ばれるものです。流刑によってセントヘレナ島に送られたナポレオンはここで過ごすことになります。ナポレオンはヨーロッパの大半を勢力下に置く大躍進を遂げますが、1815年のワーテルローの戦いに敗れた後、セントヘレナ島に幽閉されることになり、その後この地で死亡する1821年まで過ごすことになったわけです。ロングウッド・ハウス周辺は現在もロングウッド地区として地名に残っています。

 

セントヘレナ島には1730年代にイエメンのモカからコーヒーが伝わり栽培が始まっていましたが、コーヒーの愛飲家として知られるナポレオンもその味を気に入ったとされ、自らもロングウッド・ハウスの庭にコーヒーの木を植えたと言われています。同島では現在も少量ながらコーヒーの栽培が行われていますが、下はその”ナポレオン”の名が銘柄になったセントヘレナ産コーヒーの商品パッケージのラベルです。

 

 

日本にも少量しか輸入されない希少品ということですが、希少品と思いながら飲むとさらに美味しく感じられます。切手を眺めながらこのコーヒーを飲んだ時はまさに至福の一杯でした。ただ、このコーヒーと同種のコーヒーをナポレオンが飲んでいたかどうかは分かりません。

 

 

昨日、アセンション島の風景が描かれた切手を紹介しましたが、その続きで、下は同じく大西洋中央海嶺上の孤島であるセントヘレナ島の風景が図案の切手です。

 

 

1953年に英領セントヘレナから発行された普通切手の1種です。印面には発行前年の1952年に即位した若き日のエリザベス2世の肖像とともにセントヘレナ島の風景が描かれています。セントヘレナ島はアセンション島の南東方向に位置する同じく孤島の島で、ナポレオンの流刑の地として知られる島です。アセンション島が大西洋中央海嶺の中央開口軸(プレートの境界に当たる)近くに噴出した火山であるのに対して、セントヘレナ島は中央軸からは東へ700km程離れた位置に噴き出した火山です。すなわち大西洋中央海嶺の幅は非常に広く東西約1000~1500kmにも及ぶ大海底山脈ということになります。

 

印面に描かれているのは島の北東部、ブラックスタッフとザ・バーンと呼ばれるいずれも標高600m台の2つの小さな寄生火山が連続して並んでいる場所の遠景です。前者(左側)は円錐形、後者(右側)は上面が平坦な岩塊で、細長い尾根でつながっており、同島の観光地の一つになっています。同島には南アフリカ共和国からの週数回の定期便があり、アセンション島よりはアクセスが良くなっています。なお、セントヘレナ島の人口は約4000人とアセンション島より多く、漁業やコーヒー栽培が主産業で、アセンション島の基地への出稼ぎも見られます。

一昨日、フォークランド紛争の関連で大西洋中央部のアセンション島の位置が示された地図が描かれた切手を紹介しましたが、その続きで、下はアセンション島の風景が図案になった切手です。

 

 

1934年に英領アセンション島から発行された印紙兼用の普通切手です。大西洋中央部の孤島であるアセンション島は、大西洋中央部を南北に延々と連なる大西洋中央海嶺と呼ばれる海底山脈の頂上部の一部が海面上に姿を現した島になります。印面には英国王ジョージ5世の肖像とともにアセンション島の風景が描かれていますが、この風景は同島中央部のスリーシスターズと呼ばれる三つの円錐形の火山群です。これら3つの火山は大きな火山の寄生火山として噴出した小さい火山で、火山砕屑物が積み重なって形成されたものです。

 

アセンション島は自然条件の厳しい孤島で、通信基地の職員やその家族など1000人程度の人口の少ない島になります。印面をじっくり眺めると荒涼たる火山の風景という感じがよく伝わってくる見事な凹版切手です。このスリーシスターズ周辺は観光コースの一つですが、月一回程度のセントヘレナ島経由のチャーター機しか運航されないので、世界でも最も行きにくい観光国(地域)の一つになっています。

 

昨日、2つの国から発行されたフォークランド(マルビナス)諸島の地図が描かれた切手を紹介しましたが、その両国間で勃発したフォークランド紛争の時、イギリス軍の中継基地になったのが大西洋の孤島アセンション島でした。ということで、下はそのアセンション島の位置を示した地図が図案の切手です。

 

 

1956年に英領アセンション島から発行された普通切手の1種で、エリザベス2世の肖像とともに大西洋の地図が描かれています。アセンション島は大西洋中央部、赤道より少し南に位置する火山島の孤島です。1982年のフォークランド紛争の際には、北緯50度の北に位置するイギリスと片や南緯51度付近に位置するフォークランドという距離の離れた位置関係から、両者の中間に近い位置にあるこのアセンション島は、英軍がフォークランド諸島へ向かう時に航空機や艦船の給油中継基地として非常に重要な役割を果たし、イギリスの勝利に貢献しました。

 

印面の地図ではアセンション島の位置がよく分かりますが、アセンション島からいくつかの線が引かれています。これは印面下部に小さく表記されている様に、大西洋を横断する通信用海底ケーブルのルートを示しており、同島はその中継基地としても重要な役割を果たしています。

昨日、アルゼンチンの領有主張切手を紹介しましたが、その領有主張の島として含まれるのがフォークランド諸島(マルビナス諸島)ということで、下は英領フォークランド諸島、アルゼンチンの両国から発行された同諸島の地図が図案の切手です。

 

 

上は1952年に英領フォークランド諸島から発行された普通切手の1種で、英国王ジョージ6世の肖像とともにフォークランド諸島の地図が描かれています。下は1964年にアルゼンチンから発行された昨日と同様のセット切手の1種で航空切手になり、同じくマルビナス諸島の地図が描かれています。英領の切手には経緯線が示され、南緯51度と52度、西経58度と61度の表記があることが分かります。南緯60度以北なので、領有権が凍結されている南極条約の対象地域ではありません。

 

両方の切手図案の地図とも、同諸島の形状がよく分かる地図になっていますが、同諸島は東フォークランド島と西フォークランド島の東西2つの主島とその周囲の小さい島々から形成されています。島のほとんどは荒地で樹木はなく、3600人程が暮らす同諸島の主産業は羊の放牧や漁業です。島の海岸線が複雑な形状になっているのが分かりますが、これは日本でもおなじみのリアス(式)海岸で、チリ南部や北欧、グリーンランドなど高緯度地域によく見られる氷河の侵食した谷が沈水したフィヨルドではありません。これはフォークランド諸島がかつて氷河に覆われていなかったことを物語っています。ちなみに、同じくアルゼンチンも領有を主張する近くのサウスジョージア島の海岸線にはフィヨルドが存在します。

昨日、南極大陸の一部の領有も主張するチリの地図が描かれた切手を紹介しましたが、その続きで、下は同じように南極大陸の一部の領有も主張するアルゼンチンの切手です。

 

 

1964年にアルゼンチンから南極大陸の一部及び周辺島嶼部の領有をアピールするために発行されたセット切手の1種です。図案にはアルゼンチンの領土及び領有権を主張する地域を示す地図が描かれており、細長く突き出した南極半島の部分を含む南極点までの扇形部分も領有を主張していることが分かります。この部分は昨日のチリの切手でも示されたように、南極半島の部分は完全に重なりって主張していることになります。1961年発効の南極条約では、南緯60度以南の地域については領有権が凍結されていますが、この条約締結以前に領有を主張していた7つの国については現在も領有主張が続けられているのです。アルゼンチン、チリ以外にイギリス(アルゼンチン、チリと重なる)、フランス、ノルウェー、オーストラリア、ニュージーランドが南極大陸を扇形に分割するように領有権を主張しています。アメリカは含まれていませんが、初期の南極探検の実績を基に、南極条約から脱退して領有主張をはじめる可能性もあります。

 

さらに、図案の地図で分かるようにアルゼンチン東方の島々についても国旗を描いてアルゼンチンの領有を主張しています。このうち、最も南極大陸に近いサウスオークニー諸島は南緯60度以南に位置するため領有権が凍結されていますが、それ以外のフォークランド(マルビナス)諸島、サウスジョージア島、サウスサンドウィッチ諸島についてはイギリス領としてイギリスが実効支配しています。複雑な歴史的経緯もあり、これらの島についてはアルゼンチンも領有を主張しているのです。特にアルゼンチン本土に近い大きな島であるフォークランド(マルビナス)諸島は、ご存じのようにその領有を巡ってイギリスとアルゼンチンの間でフォークランド紛争が1982年に勃発しています。

 

チリ発見400周年記念の切手に関連した記事が続きましたが、さらにチリの続きということで、下はチリの特徴ある国土が描かれた地図が図案の一部になった切手です。

 

 

2001年にチリからアントファガスタロータリークラブ75周年を記念して発行された切手です。チリは南米大陸西岸(太平洋岸)の南北に4300kmにもおよぶ細長い国土の国ですが、アントファガスタはその北部の中心都市で、チリでは首都のサンティアゴに次いで多い人口を有し、北部最大の貿易港でもあります。図案の中で注目されるのは右上から左下にかけて斜めに描かれたチリの国土を表す地図です。横長の切手に対応して、本来は南北に長い国土を斜めに描いて印面に収めたという感じです。よく見ると、北から黄、緑、青、白と色が変化しているのが分かりますが、これはチリの変化に富んだ気候、植生の移り変わりを示しており、北部の砂漠から中部の温帯、南部の冷涼な森林地帯、そして最南部には氷河も存在する国土になっています。さらに、南端部の先には南極条約で領有権が凍結されている南極大陸の一部も領有権を主張するように描くという領有権主張の切手図案でもあるのです。

 

印面上部には”南回帰線への道標”との表記があり、その下には小さくアントファガスタの緯度、経度の数字が示され、南緯23.44度、西経70.4度となっています。すなわち、アントファガスタは南回帰線(南緯23.4度)上に位置する都市で、図案の地図の中では赤い破線で南回帰線が示されています。この赤い破線の所は黄色で描かれた砂漠地帯で、アントファガスタはチリ北部に分布するアタカマ砂漠の一部でほとんど降水が見られないという砂漠気候なのです。

昨日、アルマグロのチリ発見400年記念のセット切手で、チリの羊が描かれた切手を紹介しましたが、その関連で、下はインカ帝国を征服したピサロとアルマグロそれぞれが図案になった切手です。

 

 

上は1900年にペルーから発行された普通切手の穿孔見本でピサロが描かれています。下は1936年にチリから発行された、昨日の切手同様アルマグロのチリ発見400年記念のセット切手の1種でアルマグロが描かれています。二人は協力関係にあり数回の南米遠征でインカ帝国の領土を探検し、1533年にインカ帝国を滅ぼしましたが、征服者が受け取る権限を巡り対立が起こります。スペイン王室は南緯14度を境に新しい植民地を分割し、北部をピサロ、南部をアルマグロにそれぞれ総督の地位を与えます。

 

アルマグロはさらにアンデス山脈を南下して1536年にチリに到達することになります。より多くの権限を与えられたピサロに不満を持つアルマグロとの対立はその後も続き、チリ発見の2年後、1538年の両者の戦いに敗れたアルマグロは処刑されることになります。アルマグロの切手印面には小さな字で1463ー1538の表記がありますが、これはアルマグロの生年と没年を示しています。1538年の没年は間違いないのですが、切手発行後の近年の歴史的検証では彼の生年は1475年というのが定説になっています。ちなみに、ピサロの見本切手には赤字で SPECIMEN の文字と印面右上部に穿孔が入っています。

 

一昨日、ニュージーランドの子羊が描かれた切手を紹介しましたが、その続きで、下は南米のチリの羊が図案になった切手です。

 

 

1936年にチリからアルマグロのチリ発見400年を記念して発行されたセット切手の1種です。チリは南米大陸西岸(太平洋岸)に位置し、アンデス山脈西側に南北に細長く伸びる国ですが、羊が多く分布するのは南部地域で隣国アルゼンチンから続くパタゴニアと呼ばれる地域の一部です。氷河あり、砂漠あり(アルゼンチン側)、アンデスの山地ありと自然の変化に富むパタゴニア、自然条件の厳しい地で、牛などとくらべて悪条件に強い羊が飼育されて牧羊業が盛んです。

 

図案に描かれている羊はニュージーランド原産のコリデール種で、スペイン原産でオーストラリアなどに多い毛用種のメリノ種とは異なり、毛肉兼用種の羊です。すなわち、羊毛用でもあり肉用でもあるというちょっと可哀想な羊ということになります。毛用種のメリノ種が顔や足先まで毛でおおわれているのに対して、コリデール種は鼻の周囲や足先には毛がないのが特徴で、図案の羊もその特徴を備えているのが分かります。

 

ちなみに、アルマグロはピサロとともにインカ帝国を滅ぼした征服探検家(コンキスタドール)で、後にはピサロと対立してペルーから南へ進んでチリに到達しますが、最終的にピサロによって処刑されるという人物です。

 

 

昨日、ニュージーランドの海洋資源をテーマにした200海里経済水域の地図が描かれた切手を紹介しましたが、一方、同国の陸上の動物では羊もよく知られているということで、下はニュージーランドの子羊が描かれた切手です。

 

 

1957年にニュージーランドから羊肉輸出貿易開始75年を記念して発行された2種セット切手のうちの1種で、1882年に羊肉貿易が開始されたということになります。1882年2月15日に約5000頭分の羊肉(ラムとマトン)がイギリスへ向けて輸出され、5月24日にロンドンに到着しました。この5月24日がニュージーランドではナショナル・ラム・デーという記念日になっています。この地球のほぼ真裏側への肉の長距離輸送を可能にしたのは冷凍設備を備えたいわゆる冷凍船の恩恵です。1870年代にフランスで発明された冷凍船は、1880年代にイギリスで本格的に実用化されます。

 

ご存じのように、ラムは生後1年未満の子羊の柔らかい肉ですが、一方生後2年以上の羊の肉であるマトンはしっかりとした肉質で歯ごたえのある肉です。ちなみに、中間の生後1~2年の羊の肉はホゲットと呼ばれますが、これは流通量が少ないためほとんど見かけません。印面には子羊と並んで左側に船が2隻描かれていますが、上に1882年の最初の冷凍肉を運んだ冷凍帆船ダニーデン号、下に1957年(切手発行年)当時の近代的冷凍船が描かれています。