「情報の宝庫」切手ブログ

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世界の多くの国・地域から現在も発行され続ける切手、印面に描かれる図案は情報の宝庫であらゆるテーマ、ジャンルの図案に出会うことができるのです。切手から得られる情報を日々気まぐれに綴っていきます。

昨日、リベリアのコーヒー農園にシェードツリーのヤシの木が植わった図案の切手を紹介しましたが、その続きで、下は同じくリベリアのヤシの木が図案の一部に描かれた切手です。

 

 

1952年にリベリアから発行された普通切手の1種ですが、リベリアは独立が1847年と、多くのアフリカの国が第二次大戦後、特に1960年以降の独立国が多い中、それより100年以上も前に独立しています。これはアメリカの影響によるもので、アメリカで奴隷制度廃止運動が進む中1816年にアメリカ植民協会が結成され、解放奴隷の一部をリベリアの地に送り込み再移住地区を建設して独立へと発展します。印面左上には、そのアメリカ植民協会から派遣されたリベリアの指導者で、解放奴隷の入植支援に当たったジェフディ・アシュマンの肖像が描かれています。

 

そして印面中央部から下、メインの図案として描かれているのがリベリアの国章です。大西洋に浮かぶ解放奴隷を運んだ帆船、独立宣言書をくわえた鳩、ヤシの木が描かれています。このヤシの木、公式の国章の説明では単にヤシの木という表現になっており、ヤシの種類が分かりません。リベリアにおけるヤシとしては、リベリアの位置する西アフリカが原産のアブラヤシが圧倒的に多く、ココヤシはそれより少なくなっています。アブラヤシから生産されるパーム油はリベリアの重要な輸出品になっている一方、コーヒーの生産は現在わずかになっています。

 

 

 

 

先日、マレーシアのリベリカ種のコーヒー切手を紹介しましたが、そのリベリカ種の原産地はアフリカのリベリアということで、下はリベリアのコーヒー農園が図案の切手です。

 

 

1909年にリベリアから発行された公用切手の無目打切手で、同年に発行された普通切手に公用の加刷を入れています。左上の赤い文字がそれで、公用を示す OS のデザイン文字が加刷されています。図案にはコーヒー農園が描かれているのですが、その中にコーヒーの木より高くヤシの木がそびえ立っています。これはシェードツリー(日陰樹)と呼ばれるもので、強い日射しや強風に弱いコーヒーの木を守るために植えられるもので、日陰(適度な木漏れ日)を作ることによってコーヒーの実がゆっくりと成熟して品質、風味の良い豆ができます。

 

また、ヤシの木からの副収入が得られるといった利点や、シェードツリーを植えることによって鳥や昆虫の棲み処が増え、害虫を駆除してくれるという側面もあります。赤道周辺地域ではシェードツリーとしてバナナやグアバなどの木も多く植えられていますが、緯度がやや高く日射しが少し弱い地域では植えないこともあります。ブラジルのコーヒー産地がこれに該当し、機械化による大量栽培と相まってシェードツリーを植えない場合が多くなっています。

 

 

昨日、マレーシアのリベリカ種のコーヒー切手を紹介しましたが、その関連で、下はその栽培地の1つである北ボルネオ(現サバ州)周辺の地図が図案の切手です。

 

 

1954年に英領北ボルネオ(現サバ州)から発行された切手で、図案の地図にはボルネオ島北部地域が描かれており、北ボルネオ、サラワク、ブルネイの3地域とその境界線が示されています。北ボルネオ(サバ)とサラワクは現在マレーシアの一部(州)ですが、ブルネイは独立国となっています。

 

切手に押されている消印が注目で、丸型印の下部に北ボルネオの表記、そして上部に”TRAIN MAIL”の表記がある北ボルネオ鉄道の鉄郵印です。北ボルネオ鉄道はイギリス植民地時代の19世紀末に農産物などの輸送を目的に開通した鉄道で、路線の延長により西海岸の港町ジェセルトン(現コタキナバル)と内陸部のテノムを結んでいます。押されている”TRAIN MAIL”表記の鉄郵印は初期の戦前型と1945年~1950年代後半に使用された戦後型がありますが、切手の発行が1954年、消印の日付が1956年ということで戦後型に該当し、D9タイプに分類されるものです。

マレー半島の農産物を描いた切手の紹介が続いていますが、さらにその続きで、下はマレーシアのコーヒーの実が図案になった切手です。

 

 

1986年にマレーシアから発行された農産品を描いたシリーズ切手7種のうちの1種です。このシリーズは同農産品図案、同額面の切手が各州ごとに発行され、国名とは別に州名も表記され、さらに各州の紋章、スルタンの肖像もそれぞれ描かれています。マレーシアには13の州および連邦直轄領があり、14種発行されたことになります。上の切手はそのうちの連邦直轄領発行分で、印面下部の国名表記の上にマレー語で”連邦直轄領”の表記があります。連邦直轄領のため紋章はマレーシアの国章で、スルタンの肖像はありません。ちなみに、連邦直轄領は首都のクアラルンプール、行政首都のプトラジャヤ、国際金融センターの島ラブアンの3地域です。

 

農産品図案7種のうち1c切手に描かれたのがこのコーヒーで、実の付いたコーヒーの木の枝が描かれており(赤く熟した実は特にコーヒーチェリーと呼ばれる)、よく見るとその右下に”Coffea liberica”(リベリカコーヒーノキ)の表記があります。コーヒーの3原種のうち、現在はアラビカ種とロブスタ種で世界で栽培されるコーヒーのほとんどを占めますが、リベリカ種もわずかに栽培されます。マレーシアはそのわずかな栽培国の1つでジョホール州やボルネオ島のサバ州、サラワク州などが生産地です。さらに”KOPI”という表記もありますが、これはマレー語でコーヒーを意味しており、マレーシアでは練乳と砂糖をコーヒーに入れて飲むのが代表的な飲み方で、とても甘いのが特徴です。

 

 

昨日、マラヤ連邦の天然ゴムの苗木が描かれた切手を紹介しましたが、その続きで、下は天然ゴム採取の様子が図案になった切手です。

 

 

1957年にマラヤ連邦から発行された普通切手の1種で、ゴム農園で天然ゴムの木から樹液を採取している風景が描かれています。ゴムの木は植付けてから5~6年で樹液の採取を始め、多年生のためその後は毎年採取が可能になります。採取方法は、木の幹の表面にナイフで斜め(らせん状)に切り目を入れて溝を作るとゴムの樹液(ラテックス)が出てきます。これを切り口の下に設置した受け皿に集めますが、印面右側の木にはその受け皿がはっきりと描かれています。数時間で切り口が固まって樹液の流出が止まりますが、1~3日おきにこれを繰り返します。

 

この幹の表面だけに浅い溝の切り目を入れる作業は機械化するのがなかなか難しく、人間の手による熟練した作業になり多くの労働力が必要でコストがかかります。また、ゴムの木から樹液が採れる寿命は25~30年で、その年数に達すると植替えが必要となります。昨日の記事でも書いたようにマレーシアが現在油ヤシに転換した理由も、こういったコスト面が影響しています。

 

印面左側には当時のマラヤ連邦の国旗が描かれており、現在のマレーシア国旗とほぼ同じデザインですが、当時はマレー半島のみが領土で11の州があったため、赤い縞が6本とその間の白い縞が5本で11州を表しています。現在の国旗はこの紅白の縞の数が増えています。

昨日、マレー半島ケダ州の米が描かれた切手を紹介しましたが、その関連で、下はマレー半島に生産の多い天然ゴムの苗木が図案の切手です。

 

 

1960年にマラヤ連邦から天然ゴム研究会議を記念して発行さてた切手で、マレー半島の地図を背景に天然ゴムの苗木が描かれた図案になっています。マレー半島における天然ゴムの栽培はイギリス領時代の19世紀後半に始まります。原産地のブラジルからイギリス人が種子の持ち出しに成功し、イギリスへ持ち帰って植物園で発芽させた苗木をマレー半島に移植して栽培化を成し遂げ、その数を増やしていきました。年中高温多雨という栽培条件に合致したマレー半島で生産量が急増し、20世紀後半はマレーシアが世界一の生産国の座を続けます。

 

天然ゴム生産増加の背景には、ゴムタイヤの発明や自動車産業の発展による需要の急増があり、その需要を満たすためにマレー半島にゴムプランテーションが次々と開かれることになったわけです。なお、マレー半島の天然ゴム生産は、ゴムの木の老木化や合成ゴムの生産増に伴い、より収益性の高い油ヤシ(パーム油の原料)への転換が進んだため現在では大きく減少して、隣国タイが世界一の生産国になっています。

米を描いた切手の紹介が続いていますが、もう1枚ということで、下は稲束が図案になった切手です。

 

 

1922年にマレー半島のケダ(クダ)州から発行された切手の1種で、稲の束が切手印面に大きく描かれた図案になっています。18世紀のマレー半島は王国が分立する状態でしたが、イギリスが進出して保護領となります。各王国はその中の州という形態をとり、郵政も独立して各州が独自の切手を発行していました。第二次大戦中に日本が占領していわゆる南方占領地マライ切手が登場するまで、その発行は続きます。

 

ケダ州はマレー半島北西部に位置して平野が広がっており、マレーシア有数の穀倉地帯として米の生産が伝統的に盛んで、この図案もケダの象徴として採用されたものです。印面右側にはアラビア文字を改良したジャウィ文字で”ケダ政府”と表記がありますが、14世紀にイスラム教が伝来したマレーシアではマレー語をこのジャウィ文字で表記してきました。現在ではラテン文字の表記が一般的ですが、伝統色の強いこのケダ州など一部では、現在でも学校教育、新聞、雑誌などでジャウィ文字が生き残って使われている地域があります。

 

 

 

 

一昨日は、セイロンの米が描かれた切手を紹介しましたが、その続きで、下はセイロンの切手と同様、国際米穀年を記念した日本の切手です。

 

 

1966年に日本から国際米穀年を記念して発行された切手です。セイロンの切手には FAO のロゴが小さく描かれていましたが、この日本の切手の図案は国際米穀年のロゴマークそのものがデザインされています。束ねた稲穂と米粒がデザイン化され、円形に文字列が表記されていますが、上部半円に”国際米穀年1966”、下部半円に”飢餓からの解放”という英語の表記です。

 

印面下部には国際米穀年・農業祭記念と表記されていますが、元来1962年から農業祭という行事が開催されていましたが、この年の第5回目の農業祭は国際米穀年に合わせて明治神宮をメイン会場に大規模に開催され、切手だけでなく記念タバコも発売された他、地方の各自治体や農協などがそれぞれ第1回の農業祭を始めるなど盛り上がった年でした。

 

高度経済成長期であった当時の日本の”米”事情は、食糧管理制度(食管制度)のもと、生産がどんどん上昇するとともに、国民の食生活の変化を受けて米が余るという状況が生まれ、1970年から減反政策を導入することになったわけです。

昨日、セイロン島の地図が描かれた切手を紹介しましたが、その続きで、下はセイロン島の地図を背景にした米が図案の切手です。

 

 

1966年にセイロン(現スリランカ)から国際米穀年を記念して発行された切手で、セイロン島の形が非常に分かりやすい地図を背景に黄金に実った稲穂が描かれています。1966年の国際米穀年は FAO(国連食糧農業機関)が設定した国際記念年で、アジアの国を中心に世界の主食作物である米の重要性や生産を高めることを目的としたものです。

 

印面左上には FAO のロゴマークが描かれていますが、その下部には FIAT PANIS と表記があり、ラテン語で「(人々に)食べ物あれ」という意味になります。ちなみに、スリランカでは茶の栽培は昨日の記事でも書いたように南部山地の南西斜面を中心に行われていますが、米の栽培は山地の谷底平野や海岸に近い低地部が中心になります。

昨日、リプトン紅茶のポスタースタンプを紹介しましたが、その関連で、下は茶園の分布に関係するセイロン島の地図が図案になった切手です。

 

 

1991年にスリランカからスリランカ測量局設立190周年を記念して発行された切手で、実際にはイギリス植民地時代の1800年に設立され1990年が190周年となり、その数字が印面中央部に表記されています。印面左側と右側に2つの地図が描かれていますが、左側は設立時の測量によって製作された地形図で、左下には当時の測量方法である平板測量の測量版も描かれています。右側は1990年の衛星画像による画像地図で、右上には観測衛星も描かれています。

 

両方の地図から分かることとして、左側の地形図で島の中央部南寄りのやや黒くなっている所に山地(高地)が分布しています。この山地に夏のインド洋からの湿った季節風が吹いてきて、山地の南西側の斜面に多くの降水量をもたらすのです。右側の衛星画像地図ではその部分が緑色で示され、森林が分布しています。この森林地帯の一画に多くの茶園が開発されて広がっているわけです。