「情報の宝庫」切手ブログ

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世界の多くの国・地域から現在も発行され続ける切手、印面に描かれる図案は情報の宝庫であらゆるテーマ、ジャンルの図案に出会うことができるのです。切手から得られる情報を日々気まぐれに綴っていきます。

「切手を眺めてコーヒーブレイク」をコンセプトにしている当ブログということで、これに関連する切手を取り上げてみました。下の切手はオランダ生まれでポスト印象派の代表的画家であるゴッホの名作『夜のカフェテラス』を描いたものです。
 

 

1990年にルーマニアからゴッホ没後100年を記念して発行された切手です。このような著名な画家の作品を描いた切手は数多く発行されており、それらを集めて整理するとミニ美術館といった感じの展覧会を自分で楽しむこともできます。ゴッホの作品もこの『夜のカフェテラス』に加えて数多くの作品が、各国から発行された切手の図案として描かれています。

オランダ生まれのゴッホですが、1888年2月から1889年5月にかけては南フランスのアルルで過ごします。この時期に製作したのが『夜のカフェテラス』で、夜の光景ながら黒い色を使わず、青い夜空とガス灯に照らされている黄色のテラスの対照が強い印象を与える名作です。ここに描かれたカフェのモデルは「カフェ・ファン・ゴッホ」として現在も実在し、観光名所にもなっています。
 

中東からの石油供給が混乱する中、先月23日に高市首相とメキシコのシェインバウムの電話会談が行われ、日本から要請に合意してシェインバウム大統領が日本に国営石油会社ペメックスを通じて100万バレルの原油を輸出することを明らかにしました。この関連で今日取り上げた下の切手はメキシコ国営石油会社に関するものです。

 

 

1988年にメキシコからメキシコ石油産業国有化50周年を記念して発行されたもので、1938年に国有化されたことが分かります。それまでアメリカ系やイギリス系の資本により支配されていた同国の石油産業が、労働争議をきっかけに当時のカルデナス大統領が「石油国有化令」を発布して国有化されました。国有化に伴い設立されたのがメキシコ石油公社ペメックス(PEMEX=Petroleos Mexicanos)で、印面右上にこの名称と1938・1988の年数が示されています。国有化後一時的に生産減になりますが、メキシコは1960年設立のOPEC(石油輸出国機構)には加盟せず、1970年代に大規模油田が発見されるまでは国内需要への安定供給を目指す方針を続けました。メキシコ湾岸に大規模油田が発見されて以降は産出量が急増し、輸出も増加します。

メキシコの主要油田地帯はカンタレル油田などが分布するメキシコ湾の南部カンペチェ湾一帯で、印面中央部の油井のやぐらが描かれている部分に該当します。最大の油田であったカンタレル油田は近年産出量が減少し、新たな大規模油田として近くのザマ油田の開発に乗り出しています。

ホルムズ海峡の閉鎖により、ペルシア湾岸の産油国からの石油の輸出が大きな影響を受けています。ペルシア湾岸に大規模な油田が多いことに関連して、今日取り上げたのは油田の地質構造と油井が描かれた切手です。

 

 

1968年発行のクウェートの切手で、1938年に発見された同国最大の油田であるブルガン油田の発見30周年を記念したものです。印面下部に石油トラップと呼ばれる地質構造が描かれています。いくつかのパターンがある石油トラップのうち、最も多いのが(印面に描かれた)褶曲作用による地殻変動で作られた背斜トラップと呼ばれるもので、ゆるやかに地表面に向かって地層がお椀状に曲がっている構造のものです。

水分や石油が溜まる隙間の多い貯留岩の中で、水より軽い石油が上部に曲がっている地層の中で水の上に溜まり、その上部の緻密な岩盤層である帽岩によって閉じ込められる構造です。印面の図では黒い部分が石油ですが、そこにやぐらを設けた油井(ゆせい)と呼ばれる井戸が掘られます。褶曲構造の背斜部を見つけることが大規模油田発見への近道ですが、ペルシア湾岸は地球の構造の中では最も新しく造山運動が起こった新期造山帯という部分に属する地域で、褶曲構造の地層が多く見られる地域の一つです。

クウェートはペルシア湾奥北西岸に位置する面積が日本の20分の1弱という小国ですが、原油の埋蔵、産出、輸出のいずれもが世界10位以内という産油国で、日本の輸入相手国としてもサウジアラビア、アラブ首長国に次ぐ3番目の国になっています。なお、印面のピンク色の部分(地質構造を描いた部分を含めて)はクウェートの国土の形を描いた地図になっています。
 

アメリカとイランによるホルムズ海峡の封鎖合戦が話題になっていますが、前回に引き続きイランの石油にちなむ切手を取り上げました。下の切手にはイランの国土と石油パイプラインのルートが示されています。

 

 

1965年にイランから石油産業国有化14周年を記念して同図案2種で発行されたうちの1種です。すなわち1951年にイランの石油産業が国有化されたわけです。イランの油田は1908年に中東で初めて発見された歴史があり、当初から開発したイギリス系のアングロ=イラニア石油が利権を握っていました。この利権独占に対して、資源ナショナリズム的な考えにより反旗を掲げて石油国有化を要求したのがパフラヴィー王朝下のモサデグ首相で、1951年5月に国有化を断行します。

 

これに対してイギリスは国際石油資本と共同でイラン石油を締め出し、減産に追い込まれたイラン財政は悪化します。1953年の軍クーデターでモサデグ政権が打倒され、パフラヴィー2世の専制政治が復活することにより国際石油資本(メジャー)の合弁会社がイランの石油を管理することになり、モサデグが試みた国有化は失敗に終わりますが、その後1979年にパフラヴィー王朝を打倒したイラン革命で真の国有化が実現することになります。

 

イランの主な油田はペルシア湾奥の沿岸に集中していますが、切手図案には切手発行当時のイランの石油パイプラインのルート(現在は増えている)が示され、最大の精油所があるペルシア湾最奥部のアーバーダーン(アバダン)から首都のテヘラン方面に伸びているのが分かります。なお、このアーバーダーンも今回の戦闘で空爆を受けています。ちなみに、切手図案の右上の肖像は当時のパフラヴィー2世(パーレビ国王)です。

現在、世界が最も注目する場所となっているペルシア(ペルシャ)湾とホルムズ海峡ですが、周辺部も含めた同地域の地理的な位置関係が分かりやすいのが下の切手です。

 

 

2009年にイランから発行された同図案の普通切手の一種で、ペルシア湾の海域が濃い青色で描かれています。ホルムズ海峡はペルシア湾の入口(出口)ということで、北へ向かって突き出した半島状の部分で東側の薄い青色で描かれたオマーン湾と区切られており、非常に狭い海峡になっていることが分かります。この突き出した半島状の部分はアラブ首長国連邦とオマーンの領土で、海峡を挟んだ北側一帯はイランの領土になります。

 

切手にはペルシア語に加えて英語の表記があり、イランの国名(I.R.IRAN = Islamic Republic of Iran:イラン・イスラム共和国)と額面650リアルが確認できます。また、都市名は英語で表記されており、半島部のアラブ首長国のドバイ、ホルムズ海峡北岸のイランのバンダレ・アッバースの記載が確認できます。このバンダレ・アッバースは古くからの貿易港で、現在は軍港としての機能も持っており、3月にはイスラエル軍による空爆が実施されています。