ジョグジャカルタ旅① | ジャカルタごはん

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2023年9月、ジャカルタに転居。
ジャカルタ生活の記録です。

年始に3泊4日でジョグジャカルタに行きました。

インドネシア国内で初の宿泊を伴う旅行でした。

その記録を少しずつ書いていきたいと思います。

 

ジョグジャカルタはインドネシア語では「Yogyakarta(ヨグヤカルタ)」と綴りますが、古い綴りではJogjakartaであるため、Jogjakarta(ジョグジャカルタ)と発音されることが多く、Jogja(ジョグジャ)とも略されます。

「平和の町」という意味だそうです。



地理的にはジャワ島の真ん中にあり、インド洋に面しています。

ジョグジャカルタはジャカルタ同様に特別州で、共和国として独立したインドネシアでは唯一、地域王室制度が存続し、スルタンが州知事を務めています(後述)。

かつてジャワ島の中心地として栄えた古都であり、ユネスコの世界遺産に登録されているボロブドゥール寺院遺跡群やプランバナン寺院群への観光の拠点となる観光都市です。

また、1949年に設置された国立の総合大学であるガジャ・マダ大学(Gadjah Mada University)を中心に、多くの私立大学がある学園都市でもあります。

日本の京都に似ており、実際、ジョグジャカルタ特別州は京都府と姉妹都市の提携を結んでいます。

一方で、最低労働賃金がインドネシアで最も低額で貧困率が高く、他島や都市部への移住者や、国内外への出稼ぎ者が非常に多いそうです。

 

ジョグジャカルタ地域は古来マタラムと呼ばれ、8世紀にヒンドゥー系の古マタラム王国が勃興し、この時代にプランバナン寺院群がつくられています。

16世紀後半、イスラム系のマタラム王国が勃興しますが、バタヴィア(現ジャカルタ)に植民したオランダ東インド会社により次第に制圧されていきました。

マタラム王国は衰退し、1745年にスラカルタ王国が誕生、1755年にスラカルタ王国から分家してジョグジャカルタ王国が誕生しますが、ジョグジャカルタの王はオランダ東インド会社の庇護のもと、スルタンの称号を得ました。

(後にジョグジャカルタからは1813年にパクアラム家が、スラカルタからは1757年にマンクヌゴロ家が分かれ、旧マタラム王家は4家となります。)

 

1945年8月15日に日本が降伏すると、インドネシアはすぐに(8月17日)独立を宣言しますが、再植民地化に乗り出したオランダと独立戦争が起こります。

時のスルタンであるハメンクブウォノ9世は、ジョクジャカルタを臨時首都とし財政的な援助を行うなど、独立戦争をサポートしました。

その貢献により、インドネシアが1949年に共和国として正式に独立後も、スルタン領は特別州として存続が認められ、スルタンはその特別州の州知事を務めることとなりました。

現在のジョグジャカルタ特別州知事はハメンクブウォノ10世になります。

今後も州知事が王室から世襲で続いていくのかどうかは議論が多いところではあるようです。

 

長くなったため、今日はここまで。

旅先の歴史や文化についてふれるのが旅の面白いところであり、このブログも色々調べながら書いています。

更新も少しずつになってしまいますが、どうかしばらくお付き合いくださいませ。