VE・TRIZを研究に応用する、その利点と注意点 | 工事中

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私は、研究で行き詰っている留学生や日本人の学生のために、企業で新製品の開発や業務改善に活用されている問題解決手法、VETRIZを、大学の研究にも活用する事を提案しようとしている。

 

ここまで、VETRIZの概要を紹介し、それを研究に応用する可能性について説明したつもりである。

 

VETRIZは、企業において新製品の開発や職場の業務改善等で広く使われている、価値創造のためのアイディア発想法である。

 

もちろん、VETRIZは、研究においても新しいアイディアを創出するために有効であると考えているが、私は、むしろ、問題設定等、研究活動におけるさまざまな認識を、関係者と共有するためのコミュニケーションツールとして、その効果をより発揮するのではないかと考えている。

 

なぜそのように考えるのか?

 

私自身、英国留学で研究におけるコミュニケーションでさまざまな困難に直面したこと、同様の困難に直面している留学生や日本人の学生をみて、VETRIZを活用すると以下のような利点があることを指摘したい。

 

①名詞と動詞のみでコミュニケーションがとれるため、誰にでも(もちろん留学生でも)理解がしやすい。

②研究の対象としているシステムに関する誤解が生じにくくなる。

③図によっても表しやすく、言葉で細かな説明をする必要がないため、日本語でも英語でも共通の理解が得られやすい。

④研究を通じて達成すべき状態が明確になる。

⑤解決策のイメージを共有できる。

 

これらの利点を理解したうえで、VETRIZを活用すれば、研究におけるコミュニケーションのハードルは確実に下がるだろう。

 

もう一度コーヒーカップの例を思い返していただきたい。

 

 

コーヒーカップに関する認識を揃える為に、コーヒーカップやその構成要素であるカップや取っ手の「機能(=名詞&動詞)」でとらえるという考え方を説明した。

 

 

 

仮に、コーヒーカップを見たことがないという人に、コーヒーカップを説明するような場面でも、やはり、一つ一つこのように認識を合わせていくのが最も確実なのではないだろうか?

 

そして、それは、高度な専門性をともなう研究においてもまったく同じことが言えるであろう。

 

もしも、このコーヒーカップの例のように、研究の関係者が研究対象としているシステムについて共通の認識を持っているのであれば、皆、同じ方向を向いて研究をすすめていくことができる。

 

仮に、何らかの理由で、認識の齟齬がおきたとしても、たちどころに指摘を入れることができるだろう。

 

しかし、実際のところ、特に研究に行き詰っている人は、不必要に専門用語をつかって説明をしたり、かえって傷口を悪化させるようなことをしていないだろうか?

 

余計な言葉、特に、専門用語が入っているのであればそれはなおさら、物事の本質を覆い隠してしまう。

 

つまり、研究本来の目的を見えにくくしてしまう。

 

ただし、VETRIZを理解して、研究の関係者がうまくコミュニケーションすれば、それでうまくいくかと言えば、そうではない。

 

VETRIZだけでは、イノベーションは起こせない。それは間違いない。

 

VETRIZといった手法を有効に活用して成果を出すには、やはりその分野の専門知識が必須となる。

 

なぜか?

 

それは、専門知識のない人が設定したコンフリクトは基本的に大雑把になりがちであるからである。大雑把なコンフリクトの解決策は大雑把になりがちである。大雑把な解決策は、実行するのが難しい。

 

例えば、

 

自動車は移動するのに便利だが、二酸化炭素を排出する。

 

これは、確かにコンフリクトだが、かなり大雑把な設定だ。

 

この設定であれば、「自動車を使うのをやめよう!」といったアイディアも解決策として出てくるかもしれない。しかし、それは、現代社会において非現実的だろう。

 

だからこそ、専門家によるハイブリッド車や電気自動車の開発が議論になる。

 

では、逆に、専門知識があれば成果が出るのか?

 

それは、私には正直いって良くわからない。

 

高度な専門知識を持つ人が、専門的かつ具体的なコンフリクトを設定し、それを解決することは可能だと思う

 

それが、イノベーションと呼べるほどのインパクトを持つかどうかは、結局はやってみなければわからないといったことになると思っている。