「以下は、旧版『筋権党宣言 草稿』に、その後発見された原稿や資料をもとに再編集したものである。特に前半には動画資料が追加された」

ささ

 

気まぐれ再掲です。宜しければご覧下さい。くれぐれも過度なご期待はなさらないで下さい。

「はじめに

以下は『天宝5号事変』後の捜査で押収された文書を発見順に羅列し、公開のために刊行したものである。このうち、冒頭以下、大半の部分は佐和山清太郎が生前にリーフレットとして頒布したものである。その後の部分は佐和山を信奉する集団、自称『佐和山研究会』が佐和山の遺稿を編集して出版しようとしていたものを警察が押収したものである。

もとより最終的にどのような形になる予定だったものかは不明だが、同『事変』のような惨劇を二度と引き起こさないために、世の諸賢子の学術研究に供するために、ここに草稿の偶然的な発見順にそのまま、できるだけ手を加えずに刊行する」

 

 

 

 

 

 

「動物のオスの筋肉は何のためにあるか。それはメスに奉仕するためで、その他にはない。それはヒトも例外ではない。メスのマンモスの歯を口の中で掃除する虫ケラのように奉仕しなければならない。そのための筋肉だ」

 

 

「私も若い頃、とある貴婦人に恋をしていたことがある。当時、私は既に華族の一族に列する者だったが、その方は宮様と肩を並べる方だと私は思い定めていたので、とてもかなわぬことだとあきらめていた。しかし私よりも目下の者が助言してくれたので、それに従って彼女に、いやそのお方にふさわしい者になろうと、改めて体を鍛え始めた。

 

 

改めてそのお方を見ると、いや拝見すると、豪奢ないでたちに包まれて涼やかなまなざしをされていた」

 

 

 

↑『筋力に劣る者』の例。これでは自らの腕力で国防に貢献することはできない。つまり国民ではないので人間と呼ばれるのに値せず、本来は『非国民』=『非人間(人でなし)』として扱われなければならない。そのように扱われていないのは国家の温情による。

このような者は何ものにもなれない。せいぜい「大昔の餓鬼軍団」か「再生雑魚怪人軍団」くらいのものである。

 

 

 

 

「男が女よりも高い社会的地位にあるように見えるのは、そのほうが女に奉仕するために都合がよいからである。すべての生物は、その置かれた条件によってオスがメスに奉仕するのに最も都合のよい行動様式を取れるように適応進化しており、もちろんヒトも例外ではない」

 

 

 

 

↑『筋力に劣る者』の例。これでは自らの腕力で国防に貢献することはできない。つまり国民ではないので人間と呼ばれるのに値せず、本来は『非国民』=『非人間(人でなし)』として扱われなければならない。そのように扱われていないのは国家の温情による。

 

 

 

「繫殖の優先順位」

 

 

↑『筋力に劣る者』の例。これでは自らの腕力で国防に貢献することはできない。つまり国民ではないので人間と呼ばれるのに値せず、本来は『非国民』=『非人間(人でなし)』として扱われなければならない。そのように扱われていないのは国家の温情による。

 

 

 

「そのお方の両襟に挟まれて首元に見えるのは、おお、それは我が母から寝物語に聞かされた『生きた「世界」の卵』ではないか!私は思った。あのお方とその『世界の卵』をともに我が手に入れなければならぬと」

「こう考えたらどうだろう。

 

 

例えばもしもこの宇宙がひとつの『細胞』だとしたら、それと似たような宇宙が三十八兆、いや人知では数え切れぬほどあり、それらは無秩序に散在しているのではなく、あたかも人体のように全体で一つの多細胞生物の一個体を構成しているのかもしれないと。

れをこそ『あの世』『この世』という時の『この世』という意味で『世界』と呼ぶべきなのではないか。即ちそれこそが、そういう意味における『世界』の真の姿だと捉えるべきなのではないか。

宇宙は、我々宇宙と呼んでいるのはそのほんの微細な一構成部分、部品のようなものにすぎない。

そしてそういう『世界』が八十億も百億も、いやこれまた人知では計り知れないくらいある、いや『いるのかもしれない』と考えたらどうだろう。

そして我々から見た既知の生物がそうであるように、それら『「世界」と呼ぶべき種類の生物』の心身の有様や能力の程度もそれぞれに千差万別だろう。

そして既知の生物の個体がそうであるように、一見似通って区別のつかない『世界』でも全く同じものは二つとないに違いない。そしてその中に既知の生態系で『ヒト』に当たる『世界』があったなら、もちろん異論もあるだろうが私はそれを『神』と呼ばねばならないと考える。しかし我々の間にさえ異論としてその『神』を『悪魔』と呼ぶ者もいるだろう」

「無数の『宇宙』を細胞とする人体のようなこの『世界』の中で自律的に行動する我々はその微小さから言ってウイルスに当たるだろう。もちろんウイルスだからと言って宿主にとって有害とは限らない。だとすれば我々は今宿主たる『世界』にとって有益なのか?有害なのか?有益であるためにはいかに振る舞えばよいのか?

 

 

ここでもまず問題になるのは筋肉と筋力の如何だ。そして最終的には、我々の筋肉をもって『世界』即ち『この世』というもの自体の言わば脳神経組織とすることができればいちばんよい。そのためにはどうすればよいのか。そのためにまず問題になるのがまた筋肉と筋力の如何なのだ。

私は変えない。『この世という意味での「世界」』における『ゴミの出し方』がいくら変わろうとも、私はそのやり方を変えることはない。

私は変えない。『この世という意味での「世界」』における『掃除の仕方』がいくら変わろうとも、私はそのやり方を変えることはない。

 

 

我々の現在のやり方が何者かによって『過去の遺物』とされ、そのやり方によって築き上げた建築物が『前時代の遺跡』と呼ばれることになっても、私はその偉大さ、価値の不変を忘れることは決してない」

 

 

↑『筋力に劣る者』の例。これでは自らの腕力で国防に貢献することはできない。つまり国民ではないので人間と呼ばれるのに値せず、本来は『非国民』=『非人間(人でなし)』として扱われなければならない。そのように扱われていないのは国家の温情による。