「以下は、旧版『筋権党宣言 草稿』に、その後発見されたか原稿や資料をもとに再編集したものである。特に前半には動画資料が追加された」

 

 

気まぐれ再掲です。宜しければご覧下さい。くれぐれも過度なご期待はなさらないで下さい。

 

「はじめに

 

 

 

以下は『天宝5号事変』後の捜査で押収された文書を発見順に羅列し、公開のために刊行したものである。このうち、冒頭以下、大半の部分は佐和山清太郎が生前にリーフレットとして頒布したものである。その後の部分は佐和山を信奉する集団、自称『佐和山研究会』が佐和山の遺稿を編集して出版しようとしていたものを警察が押収したものである。

もとより最終的にどのような形になる予定だったものかは不明だが、同『事変』のような惨劇を二度と引き起こさないために、世の諸賢子の学術研究に供するために、ここに草稿の偶然的な発見順にそのまま、できるだけ手を加えずに刊行する」

 

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「〔20230710〕筋権主義は外見の視覚的体裁、ありていに言えば『見た目』を重んずる。ただしそれは『何ものにも優先優越する』というものではない。むしろこのように言うべきである。

『最優先される複数の事項の一つ』であると」

 

 

 

 

「」これら複数の事項はどれか一つを他に優先して、つまり他を諦めて捨てて達成するというものではなく、必ずそのすべてを同時に達成しなければならない。すなわち『複数の最優先価値を同時に救い上げねばならない』のである」

 

↑『筋力に劣る者』の例。これでは自らの腕力で国防に貢献することはできない。つまり国民ではないので人間と呼ばれるのに値せず、本来は『非国民』=『非人間(人でなし)』として扱われなければならない。そのように扱われていないのは国家の温情による。

このような者は何者にもなれない。せいぜい「大昔の餓鬼軍団」か「再生雑魚怪人軍団」くらいのものである。

 

「視覚だけではない、聴覚、嗅覚

味覚、触覚といった身体的五感のすべてにおいて筋権主義は名誉、誇り、そして面子を守るに足る美しく整った体裁、不特定多数を満足させる美を求める。そしてそれは、それと並ぶ他の『最優先の価値』を犠牲にするものであってはならず、必ずそれらと同時に実現されなければならない。その結果として求めるべき総合的な価値はもちろん何らかの意味での『勝利』である。

 

誇るに足る名誉ある勝利は、常に美しい体裁が整った、秩序ある『美』を伴う」

 

「このため、筋権主義は身体の姿勢、特に所謂『体幹』のそれを重視し、その基準の少なくとも一つは不特定多数から見て見た目が体裁よく秩序だって人を不快にさせないというところに置く。それができているかは『軍』が判断してくれるであろう」

「万物の霊長ではあるが神ならぬ人間は、その見た目からしか内面を推し量ることができない。筋権主義が人の外見を重視するのはそのためである。それは何よりも『国民の価値観の共有』のために必要である。

 

↑『筋力に劣る者』の例。これでは自らの腕力で国防に貢献することはできない。つまり国民ではないので人間と呼ばれるのに値せず、本来は『非国民』=『非人間(人でなし)』として扱われなければならない。そのように扱われていないのは国家の温情による。

このような者は何者にもなれない。せいぜい「大昔の餓鬼軍団」か「再生雑魚怪人軍団」くらいのものである。

 

『人間』即ち『いずれかの国民』、『いずれかの国民』即ち『人間』は、外見容姿を身体・衣服ともに『人間』即ち『いずれかの国民』、『いずれかの国民』即ち『人間』にふさわしく整えなければならない。そのことによってその者は自分が『人間一般』即ち『いずれかの国民一般』、『いずれかの国民一般』即ち『人間一般』と共通の価値観に従っていることを無言暗黙の裡に周囲に伝えるためである」

 

↑『筋力に劣る者』の例。これでは自らの腕力で国防に貢献することはできない。つまり国民ではないので人間と呼ばれるのに値せず、本来は『非国民』=『非人間(人でなし)』として扱われなければならない。そのように扱われていないのは国家の温情による。

このような者は何者にもなれない。せいぜい「大昔の餓鬼軍団」か「再生雑魚怪人軍団」くらいのものである。

 

「『価値観の共有』は何のために必要なのか。その理由目的は一つではないが、その一つが自国の軍事的防衛であることは贅言を要しない」

「『軍』が、審査の対象となった個人の筋力が必要な域に達しているかを評価する別の基準は、もちろん先にも述べたように、年齢に応じた程度の水準で国防に貢献できるかどうかであるが、これについてはまた後に述べる機会があるであろう。

今ここで言えることは、不特定多数

から見て美しい立ち居振る舞いができるかということも『年齢相応に国防に貢献できるか』という課題に含まれているということである」

「それは内心ばかりでなく、体内の健康状態についても言える。我々は精神にせよ身体にせよ、見た目の身体の姿勢の悪い人間の何を信頼できるだろう。いかなる責任を委ねることができるだろうか。これは一定以上の筋力を持たない人間がいかなる信頼にも値しないのと同じであり、その帰結である。『悪い姿勢』はその筋力がいかなる責任や約束に期待される水準にも達していないこと、したがってその体内の健康状態も然りであることを相手に、周囲に図らずも伝えているのである」

「〔20230711〕所謂『身だしなみ』も一定以上の筋力が必要なのは言うまでもない」

「その一つとして身体を清潔に保つことがあり、そのために一定以上の筋力を必要とする一例として歯みがきがある。

歯みがきが一定以上の筋力を必要とすることは忘れられがちである。人は、一つには歯みがきのために筋力を鍛えねばならないと言っても過言ではない」

「人間は、その個人がたとえ実際には社会的に理想とされる人間(これを本来の意味の『人間』と言う)でなくとも、その場合には少なくともそれを『演じて』生きていかねばならない。

『俳優』にはすべからく一定以上の筋力が必要なのは言うまでもない。これは『理想的人間』即ち本来の意味の『人間』即ち『大人』

になれない、なりきれない『半端人間』『人間もどき』『人形人間』『人間人形』、要するに『半端者』『不熟者』即ち『小人』には、だからこそ正しい意味の『人間』を演じる『俳優』となるために一定以上の筋力を身につけておくことが欠かせないのである」

「これは社会的に見て欠けたところのある者すべてに課せられる社会的義務であってっそれを果たしてこそ『社会化された』即ち『人間になった』と言い、その義務を果たすためにも一定以上の筋力が不可欠なのである」

 

↑『筋力に劣る者』の例。これでは自らの腕力で国防に貢献することはできない。つまり国民ではないので人間と呼ばれるのに値せず、本来は『非国民』=『非人間(人でなし)』として扱われなければならない。そのように扱われていないのは国家の温情による。

このような者は何者にもなれない。せいぜい「大昔の餓鬼軍団」か「再生雑魚怪人軍団」くらいのものである。

 

「以上の意味において『人間になる』ことと『大人になる』ことは同義である。また逆に言えば『人間になる』こと即ち『大人になる』ことは以上のような意味でなければならない」