F. R. O. D.

フランシスコ・リード・オコンネル・ディクソン編「想像上の存在・人間」シリーズ(Francisco Reed O. Dickson ed. “Imagined Being : Human – Reflection on the Origin and Spread of Anti-Nationalism” Ⅰ~,2166~,Xell University Press)

「前の宇宙」の終末期にその中の米国で発行された叢書。前の宇宙の転生とともに書物は失われたが、その記憶は「時の乙女」の子孫である「御三家」をはじめ、いくばくかの転生者によって「作中の現在の宇宙」に引き継がれた。

以下、前回の終末部。

「イライラを続けていくと交感神経優位になるために、高血圧や虚血性の心疾患になりやすかったり、消化に悪影響を与えて胃潰瘍になりやすくなったりします」(和田秀樹『今日(キョウ)から「イライラ」がなくなる(ホン)』(三笠書房発行(知的生き方文庫)、2011年3月10日第1刷発行、p59)

 

 

「雨ニモマケズ

風ニモマケズ

雪ニモ夏ノ暑サニモ マケヌ

丈夫ナカラダヲモチ

慾ハナク

決シテ(いか)ラズ

イツモシヅカニワラッテヰル

一日ニ玄米四合ト

味噌ト少シノ野菜ヲタベ

アラユルコトヲ

ジブンヲカンジョウニ入レズニ

ヨクミキキシワカリ

ソシテワスレズ

野原ノ松ノ林ノ蔭ノ

小サナ(かや)ブキノ小屋ニヰテ

東ニ病気ノコドモアレバ

行ッテ看病シテヤリ

西ニツカレタ母アレバ

行ッテ稲ノ束ヲ負ヒ

南ニ死ニサウナ人アレバ

行ッテコハガラナクテイゝトイヒ

北ニケンクヮヤソショウガアレバ

ツマラナイカラヤメロトイヒ

ヒドリノトキハナミダヲナガシ

サムサノナツハオロオロアルキ

ミンナニデクノボートヨバレ

ホメラレモセズ

クニモサレズ

サウイフモノニ

ワタシハ

ナリタイ」

(宮沢賢治「雨ニモマケズ」。引用底本は文藝春秋編『教科書でおぼえた名詩』、株式会社文藝春秋(文春文庫+PLUS)、2006年5月10日第1刷、p26~28)」

「1.ほのぼのとあかしのうらのあさぎりにしまかくれゆくふねをしぞおもう

2.いずくともはるのひかりはわかなくにまだみよしののやまはゆきふる

3.おやおもうこころにまさるおやごころ○○

4.ひとのおやのこころはやみにあらねどもこおもうみちにまよいぬるかな

5.みよしののやまのしらゆきつもるらしふるさとさむくなりまさりゆく

6.はるたつといういばかりにやみよしののやまもかすみてけさはみゆらん

7.かぞうればわがみにつもるとしつきをおくりむかいてなにいそぐらん

8.みわのやまいかにまちみむとしふともたずぬるひともあらじとおもえば

9.いきやらでやまじくらしつほととぎすいまひとこえのきかまほしさに

10.おちこちのたつきもしらぬやまなかにおぼつかなくもよぶことりかな

11.わかのうらにしおみちくればたかおなみあしべをさしてたづなきわたる

12.ゆうさればさほのかわらのかわぎりによもまよわするちどりなくなり

13.うぐいすのこえなかりせばゆききえぬやまさといかではるをしらまし

14.あかねさすむらさきのゆきしめのゆきのもりはみずやきみがそでふる

15.○○しおもかないぬいまはこぎいでな

16.あおによしならのみやこにさくはなのにおうがごとくいまさかりなり

17.ねのひしにしめつるのべのひめこまつひかでやちよのかげをまたまし

18.いろみえでうつろうものはよのなかのひとのこころのはなにぞ

19.ことのねにみねのまつかぜかようらしいずれのおよりしらべそめけむ

20.さおしかのあさたつおののあきはぎにたまとみるまでおけるしらつゆ

21.いまこむといいしばかりにながつきのありあけのつきをまちいでつるかな

22.つくばやまいとどしげきにもみじしてみちみえぬまでおちてしなむ

23.あきのののはぎのにしきをふるさとにしかのねながらうつしてしがな

24.かくばかりへがたくみゆるよのなかにうらやましくもすめるつきかな

25.あうことのたえてしなくばなかなかにひとをもみをもうらみざらまし

26.ちとせまでかぎれるまつもきょうよりはきみにひかれてよろずよやへむ

27.たれをかもしるひとにせむたかさごのまつもむかしのともならなくに

28.たといみはむさしののべにくちぬともとどめおかましやまとだましい

29.たといみはえぞのしまねにくちぬともたまはひがしのきみをまもらん

30.おもしろきこともなきよをおもしろく○○

31.あまがけるたまのゆくえはここのえのみはしのもとをなおやまもらん

32.さくらちるこのしたかぜはさむからでそらいしられぬゆきぞふりける

33.このよをばわがよとぞおもうもちづきのかけたることもなしとおもえば」

「いわはしのよるのちぎりもたえぬべしあくるわびしきかつらぎのかみ

ときわなるまつのみどりもはるくればいまひとしおのいろまさりけり

きみがよはちよにやちよにさざれいしのいわおとなりてこけのむすまで

いろはにほへとちりぬるをわかよたれそつねならむうゐのおくやまけふこえてあさきゆめみしゑひもせす

ばんごうとしふるかめやまのしたはいずみのふかければこけふすいわやにまつおいてこずえにつるこそあそぶなれ

われをたのまぬおとこつのみつのおにとなれさてひとにうとまれよ」

 

「動かなかった、あるいは動きにくかった自分の体が、念仏や祈祷文(特に日本のキリスト教では文語訳のそれ)を唱えることによって動き出す、あるいは動きやすくなることがある、これはなぜか」

「それが身体、即ち物質よりも先に存在している言葉、つまり情報であり、記号、信号、指令、命令だからである。

後天的な情報が学習過程を経て先天的な身体に作用しているというのは見せかけに過ぎないということが起こりうる余地がある。

『隠れた物理法則』が存在している。それが“未来”に

現れる(顕れる)のだ」

「それが顕現する条件となる心的回路を『信仰』と呼ぶ」

「「ヨハネによる福音書」に曰く、『はじめに言葉があった。言葉は神であった』

これは過去の出来事の記述ではない。過去形で語られていても、これはそのような物理法則が顕在化する未来を語った予言であり、預言なのだ」

「『福音』とは何か。英語でGood newsである。これから起こる『よきこと』を知らせるのである」

「『イエスキリストのような人』はかつて存在したかもしれない。そしてその人の言行は福音書に描かれた人物像に限りなく似ていたかもしれない。しかし、福音書に描かれたそのもののイエスキリスト、ギリシャ語でイエス―スクリストゥースは古今いまだに存在したことはない。存在しえないからか?既知の物理法則にその為したる奇跡があり得ないからか?
そうではない。そうではない。これから現れるのだ。

まず、『言葉』、すなわち情報、記号、信号、指令、命令が物質に先んじて存在し万物、それもその全ての『存在自体』にまで作用するようになる。そういう物理法則それ自体が『主神』すなわち『主なる神』である。そしてその物質化、即ち」肉体化としてそのお方の『本質』において福音書に描かれたありのままのイエスキリストが現れる。しかし福音書はそれが著された時と場所の人々にとってわかりやすいように比喩、たとえ話になっているので、実際にそれが具体的にいつどこでどのように起きるのかはわからない。

しかし以下のことは言える。

『足萎え』が『神』あるいは『仏』の言葉によって立ち上がる時、それは『隠れた法則』」の瞬間的な顕現であり、その全面的な発動の先触れである」

「もう一つ言える。聖書が示唆するように、『真の神人』の出現より前に、多数の『それに先立つ人』そして同じく多数の『偽救世主』『偽の神の御子』が現れるのである」

 

「潔斎」

 

「環境経済学のうち、生活水準の現状維持目的のものが『オーソドックス』と言える。『ありきたりnondescript』と書いて『オーソドックスorthodox』と読む」

「・消費削減(による環境負荷軽減)と消費増(による経済成長持続)の両立を具体的な目的とする」

「・『炭素排出権取引』の思考方式の、他への適用

すなわち、消費削減分の一部を環境負荷軽減目的のものとし、残りを別の主体の消費増に充てる。

その『主体』は国でも個人でもあり得る」

「誰のどのような使途の消費増に充てるのかが問題となる」

「立場の違いからドラスティックな対立に発展しうる」

「『○○のため』。○○に入る言葉が重要となる。情報が物質に先立つ世界では『キーワード』は文字通りの意味の『「鍵」となる言葉』になる、つまり発するだけで物理状況を変える。つまり『呪文』となる」

「省エネ」

「家計」

「経済事情」

「信頼」

「求心力」

「『○○のため』とは『ねらい』ということである。『めあて』とも言う」

「アンガーマネジメント」

「政治的な価値判断の権利行使を停止する」

「マインドマップへ」

 

「筋肉と神経」

「筋肉はなぜ、どのようにして脳の命令に従うと考えられるのか」

「脳からの電気信号による命令に対して筋肉は化学反応で応える。

而して脳からの命令の仕組みは物理学的には電気信号としてしか説明されない。しかしその内容に立ち入ってみれば、その中でもいくつかの種類がある。

そのうち、『意識して』行われるものには代表的には二種類ある。

即ち

一つは言語。聴覚的には音声、視覚的には文字だ。

もう一つは、文字以外の、特に命令実行のための模倣の材料になる動作映像だ。

或いは次のようにも考えられる。

即ち言語は、それが直接伝える以外の記憶や経験、連想を呼び起こす時に、映像を直接見せたり実際の状況の音を聴かせるよりも効率的に、つまり同じ時間でより多量の情報を伝えることができるのである。

ここで避けることができない問題にぶつかる。

つまりcode。」

 

「我々は、我々の現在の宇宙に先立つ宇宙での経験から、我々の宇宙が全体として一つの人体のような構造をしていることを知った。我々の体が無数の小宇宙から成り立っていることも。

また逆に考えると我々の体が数えきれないほどの細胞から成り立っているように、この大宇宙もまた無数の細胞的小要素から成り立っているのだ。

 

宇宙はいつからなぜどのようにしてこのようになったのだろうか?

 

ここに、一つの事件があった。

『第一次宇宙大転生』である」

 

以下、20240430以降の追記

 

「反対者との間で学習課題としては合意され得る三つの領域がある。

体を動かすこと

アンガーマネジメント

失敗学

であり、

この他にも今後合意され得るかもしれないが、今はこの三つだけが確認されていると言ってよいだろう。我々の叢書はそのように考える。しかしあるいは後々反対される、あるいは我々の立場が変わるかもしれない。

上記の順番は順不同であり、それは三つのいずれを優先する者との間でも争いが起こらないようにするためである。我々の叢書はその優先順位について自分の意見を敢えて表明しない。強いて言えば三つのいずれかを優先することで合意し得る者たちの間で争いが起こらないようにすることである。即ち古典的な所謂左翼勢力の用語をこれも敢えて使うなら『統一戦線(の結成を最優先する、小異を捨てて大同につく意味の大同)主義』である。なぜなら我々の叢書は特定の人格的な存在との狭義の『戦い』『闘い』をすることを目的としていないからである。我々の叢書は『問題の解決』を目的とする。その必要の範囲内においてのみ、特定の人格的な存在との狭義の『戦い』『闘い』をする。

こうした『問題解決』のためにはその時点、その状況に応じてこの三つのうち、どれを優先すべきか?その答えが、我々の叢書が採用する優先順位であり、それについての意見である。それへの反対者が、この三つを優先する者たちの中でも最も鮮明に我々及び我々の叢書に敵対する。

しかしそうした敵対者であっても、この三つを必要と認めるなら、更にそれ以外でも我々がこれらと同じく必要と認めるなら、優先順位で敵対していても協力、ないしは広義の共闘はできると我々の叢書は信じている。それは我々の信念の一構成部分であり、我々の叢書が我々の叢書である限り、その点で我々の叢書が変わることはないのである」

時の乙女