「以下は、旧版『筋権党宣言 草稿』に、その後発見されたか原稿や資料をもとに再編集したものである。特に前半には動画資料が追加された」

 

 

宜しければご覧下さい。くれぐれも過度なご期待はなさらないで下さい。

「はじめに

以下は『天宝5号事変』後の捜査で押収された文書を発見順に羅列し、公開のために刊行したものである。このうち、冒頭以下、大半の部分は佐和山清太郎が生前にリーフレットとして頒布したものである。その後の部分は佐和山を信奉する集団、自称『佐和山研究会』が佐和山の遺稿を編集して出版しようとしていたものを警察が押収したものである。

もとより最終的にどのような形になる予定だったものかは不明だが、同『事変』のような惨劇を二度と引き起こさないために、世の諸賢子の学術研究に供するために、ここに草稿の偶然的な発見順にそのまま、できるだけ手を加えずに刊行する」

 

 

 

 

↑『筋力に劣る者』の例。これでは自らの腕力で国防に貢献することはできない。つまり国民ではないので人間と呼ばれるのに値せず、本来は『非国民』=『非人間(人でなし)』として扱われなければならない。そのように扱われていないのは国家の温情による。

このような者は何者にもなれない。せいぜい「大昔の餓鬼軍団」か「再生雑魚怪人軍団」くらいのものである。

「『観察と実験』と『よき伝統』の調和」

「『よき伝統』とは『昔の人はそういう正しいことをよく知っていた』と言われるような伝統のことである。その正しさが『温故知新』『故きを温ねて新しきを知る』と言われるような伝統のことである。『観察と実験』によって現在の科学で正しいということが証明されるような伝統のことである。『観察と実験』という試練に耐える『強さを持った』『強い』『たくましい』伝統である。筋権主義における『強さ』『たくましさ』は最も重要な価値の一つである。これもまた、他の『最も重要な価値』を犠牲にすることなく、しかし必ず実現されなければならない価値である。強さ」

 

 

 

「逆に『悪しき伝統』とは『観察と実験』の検証によって『正しくない』あるいは『時代に合わなくなった』ことが明らかになった伝統である。言い換えれば『観察と実験』という試練に耐えられない『ひ弱な』伝統である。筋権主義において『ひ弱』と言われることは最も忌避すべき『悪』の一つであり、したがって最も重い罪の一つである。『因襲』『因習』とも呼ばれる」

「日本の万世一系の皇室の伝統は古来永きに渡る歴史の激流の最中(さなか)にあって衆目に晒されながら、その中で広義を含む『観察と実験』の試練に耐え抜いて今なお爛漫の花を咲かせている。『よき伝統』であることを証明され続け、今日も『よき伝統』であり続けている、それは『万世一系の皇祖皇霊』が、単に『人類普遍』であるばかりでなく、『宇宙創世』から『世の終わり』に至るまで未来永劫貫かれているからである。そうした真理であることもその歴史が証明しているのである」

 

 

「何が『よき伝統』で、何が『悪しき伝統(因襲、因習)』なのか、それを判別するのは、ラクダが針の穴を通るよりも難しい。而してそれには『観察と実験』の検証によって所謂エビデンスを得なければならないのだが、それを『どのように明らかにするか』には『直感』が不可欠である。『観察者』『実験者』を惑わす『誤った選択肢』がつきものだからであるこの『直感』にはまた一定以上の『筋力』に基づく『筋肉感覚』が不可欠である。鋭敏な『筋肉感覚』、それを支える一定以上の筋力は、『よき伝統』と『悪しき伝統(因襲、因習)』を判別するために、十分条件ではないが、必要条件である」