ツイッターTLから連想した妄想連載イミフ落書き

「(?????)先生…休ませるというのも結構ですがね…何でしょう…体鍛えると治るというのがありませんかね…。私はね、実際には大抵のことはそれで解決すると思ってるんです…。いや、そうでなけりゃあならんと思っとるんですよ…」

☆いくら繰り返しも害のない動作なら、どんな単純動作でも300回、1000回を目指す勢いでやれば、思わぬ効果がある。ただし効率は悪く、時間がかかる。

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昨日同タイトルの続き

性格を変えろと日経ビジネス新人向けの自己啓発本に普通に書かれていた「あの頃」…今はどうなんだろう。

証拠↓

「性格を変えろと言われたが…

〔中略〕

性格というものは、一般にその人が持つ気質と考えられがちですが、そうではありません。つまり、“内向的な気質だから積極的な行動ができないと思いこむ”ことに問題があります。自分に内在する気質さえ知っていれば、意図的に修正して性格を変えていく努力もできます。〔中略〕状況に応じて適切な行動をとれるように心がけましょう」(日本経済新聞社編『誰も教えてくれなかった新入社員の基本』、同社、1998年1月23日1版1刷、p156)

「仕事は、さまざまな人間関係の中で展開されています。学生時代には内向的であった人も、自己中心気味で済ませてきた人も、会社では積極的な行動を求められ、職務を協調し合って確実に遂行していくことが必要とされます」(同上「まえがき」)

「会社の中では自分は白紙の状態だと、まず謙虚に自覚すべきです」(同上p34)

 

「食事も好きなものを選ぶという基準はダメ」と堂々と言われたあの頃…今はどうなんだろう

「健康的な生活の要素とは

〔中略〕

昼食には、そばやラーメンよりも定食を食べる」

(同上、p152、強調は引用者)

 

参考

生活習慣病予防医学の反・外食思想

「すべての食事を自宅ですますことは難しいものです。弁当を持参するのが望ましいのですが、なかなかそこまでできない人も多いでしょう。外食をするときには、何を食べるかに注意してメニューを選ぶようにします。

〔中略〕

ただし、食事は自宅で手づくりのものを食べるのがベストです。自分もしくは家族がつくった、野菜や海藻たっぷりのヘルシーメニューをとることができればなによりです。

ときには外食を利用して楽しんだり、家事の息抜きをするのもいいですが、基本は自宅での食事を心がけましょう」

「〔外食の〕メニューも肉料理よりは魚料理を選ぶとよいでしょう。ラーメン、パスタ、うどん、カレー、丼物といった一品料理は避け、煮物、サラダなどの小鉢がついた定食を選ぶと栄養のバランスがとりやすいです。

健康志向が強い現代では、コンビニの総菜や弁当も野菜を多めにしている商品が出てきています。そうしたものを上手に利用してみてください。

最近は1日に必要な野菜が入ったジュースなども販売されています。野菜が不足しているなと感じたときには、これらを利用するのもよいでしょう」

(福田千晶監修『病気にならない3分間スロートレーニング』、永岡書店、2007年6月10日初版発行、p182~183、強調は引用者)

 

蛇足

「アルコールはほどほどにする(一日に日本酒なら一合、ビールなら一本程度)」(日経前傾書、p152)

「現代日本人の栄養状態は過多にあり、高脂血症、高血糖、高尿酸血症(痛風)、高塩分血症(高血圧)、高体重(肥満)など、そもそも我々は

、『高』のつく栄養過剰=食べ過ぎ病で悩んでいるのです」(石原結実〔いしはらゆうみ〕『病は脚から!下半身を鍛えて病気しらず』、文春文庫、2009年1月10日第1刷、p143、単行本2006年1月、文藝春秋)

「睡眠不足は交感神経を興奮させるので、イライラを起こりやすくします。逆に睡眠を十分取ることで副交感神経が活性化し、イライラの予防になるのです。

〔中略〕

『夕食は午後9時までに済ませる』

寝る直前に食事をとると、胃腸が活動し始めてしまうため、体を休めることができません。夕食は遅くても午後9時までに済ませるようにしましょう」(和田秀樹『今日から「イライラ」がなくなる本』、知的生きかた文庫(三笠書房)、2011年3月10日第1刷発行、p200~202)

「お酒の場合、アルコール自体にリラックス効果はあまり期待できません。とくに量が増えると、交感神経は興奮してしまいます。ですから、一人で飲んでもさほど意味はなく、相手と会話を楽しみながら飲むことではじめてリラックスできるのです」(同上書、p215~216)

「お酒の付き合いでは適度に楽しいお酒の席は、仕事のときとは違う顔を見せたり見せられたりして〔時間・状態・原因〕、親しみがわくものです。ただし、会社関係の人と飲むときにくれぐれも注意したいのは酒量です。“酒は飲んでも飲まれるな”と厳しく肝に銘じましょう」(日経前傾書、p52)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

F. R. O. D.

フランシスコ・リード・オコンネル・ディクソン編「想像上の存在・人間」シリーズ(Francisco Reed O. Dickson ed. “Imagined Being : Human – Reflection on the Origin and Spread of Anti-Nationalism” Ⅰ~,2166~,Xell University Press)

 

「あの思い出せない夢を探して●●を読む」

 

「自発的奴隷制への社会的要請の可能性について」

「○○は『人はそれを社会化と呼ぶ』と言った」

「それは『自己洗脳』と呼んだほうが社会的要請に、より効率的に応えられるだろう」

「その『自己洗脳』を『自分いじめ』と呼んでもよい」

 

「こうした社会的要請は、21世紀初期の日本においてはその社会的様相が、見方によっては平安時代と似ていることとも関係している」

 

「これらは福沢諭吉、とくに彼と民族問題の関係に深くかかわっているかもしれない」

「それはまた福沢の“士族への期待”、そして新渡戸稲造の『武士道』とも関係しているかもしれない」

 

「言語=認識であるとするならば、『言葉で説明できるようになった』ときに初めて『認識した』と言える。このときに『認識した』と『理解した』は同じ意味であろうか?」

「自分に『言葉で説明』して『理解した』と感じられた場合と、他者に『言葉で説明』して『理解した』と感じられた場合は同じであろうか?」

「これは『理解と誤解』の問題と関係している」

 

「筋肉は童話の『大きなかぶ』のようなものだ。例えば次のような場合を想起せよ。

更にお尻の右側を上げ、ひざを曲げて右足を左ももの上に乗せる。そして右ひざを伸ばすとふくらはぎにちぎれるような痛みが生じるかもしれない。それは一つには筋肉が筋肉を引っ張るからである。

一つにはまた左の内またから外側へ、更に左下に伸ばしてみよう。続けていけば左の大腿二頭筋にちぎれるような痛みが生じるかもしれない。同じ理由によるものである。

スクワットで同じことをすると右の内またの前側が痛むかもしれない。同じ理由によるものである」

「これは上体とひざが一直線の状態からどこまで幾何学的直線・角度を崩さずにひざを曲げられるかということとも関連している。私たちはこれを試みるとどこが痛くなるだろうか?それは一つには筋肉が筋肉を引っ張るからである」

「これが呼吸とどのように関係しているかという別の問題がある」

「呼吸はお金の逆だ。即ち『入るを制して出るをはかる』。これはいかに出すかということが重要だが、しかしこれもまた吸った空気をどのように使うかが重要だということと同じなのである。

これは金融と同じだ。優れた金融とは『優れたお金の使い方の提案』であり、お金の最も優れた使い方は、そのように使えば使うほどお金が増えていく使い方である。それはいわゆる『金融資本主義』が、その字面の悪印象にもかかわらず、人類史上最も優れた経済思想であると言わんばかりの人もいる理由でもあるだろう。

それはともかく、つまり吸った空気による利益を『増やす』ように使うには、吸った空気をより多く、より長く吐くことが重要なのである。これは腰痛体操をするとよくわかるのだが、そのために必要な筋力はどの程度か」

「それが一定以上の筋力を要するものならば、その社会的要請に応えるには、その筋力が得られるまでの期間はモラトリアムとして認められるかは、この問題についての意見の内容を決定する最も重要な基準の一つであろう」

「このような考え方がありうることは、右太ももを上げ、上げた右ひざを左手または右ひじでさわるという運動でもわかるだろう。反対側も同様に行う。頭頂に十指を置き、ひじはくの字に曲げるといっそうよく理解できる。あるいはもっと単純に三角筋、僧帽筋が痛くなるまで腕を伸ばしてみる。その人にとって痛くなるまでという点が重要だ」

「呼吸は、もちろん、姿勢と分けて考えることができない」

「これはいわゆるスクワットをしてみればわかる。単純に、立って座るということを繰り返すだけでもいい」

「筋肉間の『大きなかぶ』関係を単純に走ることに応用してみよう。このとき、気を遣わねばならないのは、はじめは絶えず息を吐き続けることを目指すことだ。この段階では、息を吸うのは、思わず『あ、吸ってしまった!』ということでなければならない。そしてかかとからつま先への『着地ライン』と、両足の左右感覚を保つことだ。

そしてこの『着地ライン』が自転車のスポークのように回転するようにすることをめざしてみよう。もちろんそんなことは実際にできるわけがないが、しかし『できないことをそうしようとがんばる』ことによっていわゆる『つま先で地面を蹴る』ことをより効率的に行うことができるだろう。

自分の足を石原藤夫の『ハイウェイ惑星』の車輪型生物のように進化させることをめざすのだ。

繰り返し言おう。できないことをやろうとあがきもがくことで、別の役立つことが実現することがある。つまり体を使った錬金術だ」

続く

「このように筋肉間の関係を童話の『大きなかぶ』のようにとらえると、例えば『腕を曲げる→伸ばす』『ひざ(足、脚)を曲げる→伸ばす』などもより具体的には細かく小さい単位、部品、パーツに分けられる。即ち抽象(理論、観念、幻想、象徴)から具象、具体、実践へと、スペクトル変異(偏移)のように繰り広げられるのである。つまりこれは再統合であり、再体系化である。

しかし抽象は通例においては具象、具体、実践から生まれる。ここに〔も〕○○○○が指摘したらせん状の循環思考がみられる。

いずれにせよ、その『成分の組み合わせ』を明らかにすることもひとつの課題である。つまり抽象観念やそれに対応する具体的事象にも、比ゆ的な意味ではあるが『組成の科学』即ち『化学』があるのである」

「ここで考えられなければならないのは、筋肉運動における意識と無意識の弁証法的関係だ。これはフランシス・フクヤマの『歴史の終わり』やカントの所論と関係している。

例えば○○筋を使って××筋を△△すると考えてこれを実行したとする。」

 

F. R. O. D.

フランシスコ・リード・オコンネル・ディクソン編「想像上の存在・人間」シリーズ(Francisco Reed O. Dickson ed. “Imagined Being : Human – Reflection on the Origin and Spread of Anti-Nationalism” Ⅰ~,2166~,Xell University Press)

 

「あの思い出せない夢を探して●●を読む」

 

「熱病の夜、地震の夜、夢魔の夜、オオクビソラガメ狩りの夢から覚めて」

「『○○筋を意識する』とよく言われる。これはどういうことを意味するのか。これは観念的な表現ではないのか。経験を直接的に表現したものは、その経験をしたことのない者にとっては『観念的で抽象的な表現』となる。経験が共同体的に共有されなくなった社会においては、それまで『パッケージ』で理解された片言節句が、具体的な身体感覚をぎゅうぎゅういっぱいに詰め込んだ、詰め物の贈り物とならなくなる。無味乾燥な空箱となる」

「『○○筋を意識する』とは具体的にはどういう意味か。『そんなこともわからない』」

「『孤独な群衆』」

「『○○筋を意識する』のは一つにはまず『○○筋を動かそうとしてみること』か。『パッケージの贈り物』として受けらなくなった生き物である言葉は、分割されて機械となる」

「『○○筋を動かそうとしてみること』は、『○○筋に何かを感じさせようとしてみる』ことか」

 

「こうしたことについて考えるために、まず次のように体を動かしてみよ。

あお向け

腹ばい

あぐら又は正座

立つ

椅子に座る」

 

「また次のようにしてみよ。

ツイストクランチ

レッグアップツイスト

レッグアップスイング

バイシクルクランチ」

 

「当面する敵の正体は『神々のひり出したうんこ』である」

「『うんこ』にはうんこで対抗しなければならない」

「腹筋を強くするのはお金をかけずに排便するためだ」

「仰向け

腹ばい

四つんばい

あぐらor正座

立つ

椅子に座る

足(脚)で五十音を書いてみる

足(脚)でアルファベットを書いてみる

足(脚)で和歌を書いてみる

足(脚)で英文を書いてみる

足(脚)で数式を書いてみる

足(脚)で図形を書いてみる

足(脚)でグラフを書いてみる

足(脚)で化学式を書いてみる」

「ヒップリフト

ワンレッグヒップリフト(尻上げたまま片足上げ)

上げた足をもう片方の(脚の)ひざにのせる

○○秒~○○秒おいて足をかえる

左右交互に行う

ワンレッグレイズ

レッグアップクランチ

ヒップアブダクション(横臥片足上げ)」

「ヒップリフト

ワンレッグヒップリフト(尻上げたまま片足上げ)

ワンレッグレイズ

レッグアップクランチ

ヒップアブダクション(横臥片足上げ)」

「ニー&チェスト→ローリングクランチ→ヒップリフト→ツイストクランチ→ヒップリフト」

「ニー&チェスト→ローリングクランチ→ヒップリフト→ツイストクランチ→レッグアップクランチ→レッグアップツイスト→ヒップリフト」

「同じ運動(exercise)で筋力向上に応じて課題が変化する」

「運動休止から再開への過程は、『姿勢と呼吸』から始まる『リセット(reset)』として説明される」

「例えば筋を時空震動子的に震わせることから、その筋を使って『何かする』ことへの移行について見てみよう。

これは『筋自体』が目的の段階から筋を道具・手段として別の目的を達成するために使う段階への移行として説明されうる。だとすれば、これを『リセット(reset)』と呼ぶことは適当だろうか。あるいは『リセット(reset)』とはこれとは別の過程とその結果を指すものだろうか」

「したがって『筋力を使って何かする』ためには『そのためにその筋を動かすだけの筋力がある』『それに応じた筋肉がそもそもある』ことが前提となる。これは時空震動子力学による生体工学及び霊体工学のサイバネティックスの原理の出発点である」

 

「仰向けで尻を飛行機の繰り返し離発着訓練のように、あるいは車が前進と後進を繰り返すように前後に動かす場合、ひざから引っ張るのが最も簡便である。なぜ簡便な方を選択するのか?

・時間があるときは難しいほうからやる

・時間がないときは簡便なほうからやる

前者は『時は金なり』だからこそ『自己教育のために時間を先行投資する』のである」

 

「骨盤とは尻の骨のことだと、我々は文献によって知ることができる。これは読書の効用だ」

「筑波山はいとど繁きに紅葉して道見えぬまで落ちてしなむ」

「秋の野の萩の錦を故郷に鹿の音ながら移してしがな」

「○○筋を意識するとはまず何よりも『自分の体の中に○○筋というものが確かに存在している』ということを触覚や痛覚を通じて確かめるということである。それは『国家有機体説の裏返しとして有機体=身体を国家として捉えるなら、戸籍調査に相当するかもしれない。つまりこの場合の神経組織は戸籍担当の公務員に当たる。では体細胞に公務員でない者はいるのか』」

「そのためには場合によってはそれらを無理に動かして痛がらせて存在を確かめる」

「これは、個人間の関係でわざと怒らせて存在を確認したり、国家の外交における挑発による情報収集と似ているかもしれない」

「すべては例えばこのようにつながっているのである」

「骨盤とそれを取り巻く筋肉の存在は、便所の大便器の上で尻を掘〔ママ〕り出してこそ安全に確認できる。それは大便の排泄を伴う可能性が常にあるからである。なぜならけつめどの筋肉こそその動かすべき部分だからである。けつめどの筋肉は、動かすと脱糞してしまう危険が常に存在している」

「また同時にこの時、自分の尻に触ってみる。すると脂と肉の層の下に何か固いものがあるのが、手触りから感じられる。

それをまさぐると、これが尻の骨、大腿の骨、それらをつなぐ関節であると考えられる。これが『大腿骨、股関節を意識する』ということの少なくとも初期の段階ではあるだろう。」

「すべては例えばこのようにつながっているのである」

「こうしたことを朝目覚めてニー&チェストからローリングクランチ、レッグアップの中でも行ってみる。つまり脂と肉の上から触って存在を感じる。そして仰向けのまま、尻でクッションをこすろうとして尻が。」

 

「『肩ひじ張るな』と言いながら心の中では『お前は常に肩ひじ張っていよ』と思っている人。而してその人は『お前が肩ひじ張っているところを俺に見せるな。それは見たくないから。見ていないところで常に肩ひじ張っていろ』と思っている。即ちそのココロは『肩ひじ張っていないように見えるように肩ひじ張っていよ』というところにある」

 

「歴史は、我らの内なる他者の一つである。ただし、それはなかなか我々から立ち去ろうとしないし、我々を過ぎ去ろうともしない。ことに『近代(modern)』はそうである」