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以下落書きとして7月25日記事再掲

このブログを極めてマメにご覧になって下さっている方はおわかりのように、私は重度の運動音痴で、以前は確認できなかったが、このSNSという便利なもののおかげで、私が体操しているところを見ると「障害者」とか「何かの患者」と思う方がいらっしゃることも確認できた(と思う)。

幸か不幸か日本の法的基準では私はどちらでもない(ただ、最近、次に述べる理由で、含めようという声もあるらしい)のだが、その基準に従って物事を見ていない方と私のようなのが接近遭遇すると、事故が起こるのである。

 

 

 

閑話休題、そんな私だから、個人としてはオリンピックにはそんなに興味はない。私のレベルだと、見ても自分の心身能力改善に直接役立つことは絶無だから、時間の浪費である。ただ、前職の当時、仕事に必要だと感じて目を向けようと思ったのが、離職後の現在も習慣にもなっており、妄想連載にも反映されている。

 

 

 

「いつもの会場なのでオリンピックのような気がしない」

という意味に聞こえるいく人かの選手氏のお声が印象的だ。

それがプラスになっているとすれば、やはりこれは地元開催の地の利である。それも、前に東京でやったから、今度は大阪名古屋、ではなく

同じ東京メインというのもこの効果の元である。現在も最も多くの国際スポーツイベントが開かれるのはもちろん東京だ。この地の利を活かすなら東京メインをおいてあるまい。

 

 

 

石原元都知事がここまで計算していたとすれば、さすが「現代の右翼革新派の筆頭」である。

コロナ危機の中で反対論の背景には、やって日本選手が負ければ、ただでさえ沈滞ムードが更に深刻化するというのがあったかも知れないが、私は、よく知らないなりに、根拠のない話だと思っていた。

 

 

内政の失点は対外戦で取り返す。これは明治以来の我が近代日本国家の常套手段である。外国との戦いぶりを目眩しにして国内の難題を陰ながら収拾し、体裁を立て直してきた。

 

 

しかし、先の大戦後は不戦憲法のせいで、これができない。そこでスポーツである。人が死なず、国際的に外聞が良ければ同じ効果があるのだ。今では信じられないが、日清日露の戦役も敵国とその同盟国以外の殆どからは概ね拍手喝采の祝福を以って迎えられたのである。そういう、人の命が軽いという倫理観の時代であった。

 

 

それが今は人命が重くなったので、スポーツだ!

 

 

 

 

戦争技術が進んでうっかりやると、以前以上に取り返しがつかなくなったし、以前の正戦論に代わって「古今東西戦争皆罪悪」という新常識も普及しつつある。

 

 

だからスポーツだ!

 

 

いや、決して揶揄しているのではない。

 

 

ただ、これはご本人からはお叱りを受けるのを承知で敢えて申せば、戦前戦中の主戦派の現代版という印象の強い元都知事が始められたこのオリンピックが一面、「人が死なない世界大戦」であるとともに「平和を守る理想的な戦争」として機能している、そしてコロナ対策という内政の失点も覆い隠すという伝統的戦争機能まで果たしている。そのことに感慨を深くせずにはいられないのである。いい意味でよ?

 

以上、間違えてたらごめんなさい