最近、紙名もどなたがお書きになったかも忘れたが、ある新聞記事を読んで、ああ、やはり俺はいくら北朝鮮バッシングの仕事などしても、世間一般で言う「本物の保守とか右翼とか」には決してなれそうにないと思った。同時に、どちらかというと国際問題ではなく田中正造論で反明治政府の思想家の神輿を担いできたことを思い起こした。
それは「海ゆかば」についてのエッセイだった。有名な水漬く屍、草生す屍という歌詞から腐乱死体を思い浮かべることを批判したものである。いや、批判というか、病的であると、歪んだ感性に長々と言及するのも汚らわしいといった内容だったと記憶する。
これに反射的に賛同できないという時点で既に失格である。その文脈に従うなら、大げさでなく文字通り「日本人の名に値しない」。いやもうそれどころではない。本題の前提に関わることなので恥を忍んで白状すると、私ははじめ、この場合腐乱死体以外の何を思い浮かべるものなのかがわからない。水漬く草生す屍と、例えばアニメや戦争スペクタクル映画によく出てくる悲壮感溢れる「なきがら」を重ねるのには相応の…いや、正直に言おう、相当の努力を要した。
そうか、そういうことが求められているのか。それを糸口に私が思い起こしたのは、田中正造論の看板を背負うことによって思い浮かべさせられてきた、田中正造批判、あるいは田中正造顕彰批判のそれこそ「声なき声」のことだった。この二つの根には共通するものがあるのではないだろうか。
誰しも認めたくはないが、人の世に暴力は付き物だ。仕事上、腕力を振るい、誰かを傷つけたり傷つけられたりしなければならないことはある、それがやむを得ないことなら、せめてそれによって正しい成果を上げるために、ありのままの状況を記録に残しておくのも当然だ。そこまではいい。
しかし、それが「見るも無残」とか「目を背けたくなるような」ことなら、必要な人間だけが知ればいいことだろう?どうして不特定多数の人たちにそれを教える必要があるのか、わからないね、ー全然わからないよ。それも「見せる」とか、痛々しい悲鳴だの命乞いだのを「聞かせる」とか悪趣味を通り越して、あんた、本当に精神科医にかかりなさいよ。世間一般で所謂保守とか右とか言われる論壇で、そんなお声に触れる機会も少なくない。いや、増えているようにすら感じられるのは「半分左翼」の被害妄想だろうか。
こんなことを雑文にしてお目にかけずにはいられなくなったのは、戦死者続出の今回を見て、ヴァイオレット・エヴァーガーデンの生々しい戦傷戦死描写を思い起こしたからだ。念のために言っておくが、私は差し当たってどちらがいいとか悪いとか言いたくはない。ただ、等しく「戦場の現実の悲惨」を描こうとしていても、どうしようもなく違う、重ならないところに着地しているのではないか。そしてこの印象が、自分が北バッシングの仕事をしている時に常に意識していたことにも関わっているからだ。
キーワードとして私の脳裡に浮かんだのは「強兵」と「怯兵」だ。ヴァイオレット〜における兵士たちは常に「戦争という名の恐怖」の影を色濃く背負って描かれている。大半の兵士は「スーパーマンではない」ことが強調され、臭いや手触りすら伝わるような流血が毒々しく描かれる。夜戦や乱戦の、画面の見やすさを犠牲にして作られている不安を煽るカメラワークもその印象を強化する。私は、アニメというメディアを通じて、戦争の一面をこれだけ浮き彫りにできるのだなと賛嘆して見ていたが、同時に特に老若男女に関わらず、かえって軍隊や戦争の経験者には嫌がる人もいると思った。何だこれは、これじゃ俺たちがただ悪い事してただけみたいじゃないか。
それに対して敵味方とも強兵揃いが激突するフルメタの今回。兵隊の能力設定はダンチに高いが、死者が何人も出るのは同じだ。胸の痛む断末魔もある。しかし印象はだいぶ違うと私は思った。これは「名誉ある死」だ。実際の戦場でも戦死は、側からは到底そう見えなかったとしても、人と人の繋がりの中では「名誉ある死」なのだ。本物の戦死者を描いたら部外者には伝わらないそのことを、映像作品、特に加工の幅が広いアニメで伝えているのである。そして我が国の自衛官を含め、古今東西、武人にとってはお金は勿論、命と秤にかけても名誉が重いと言われてきた。なるほど、こんな言い方もなんだが、ミリタリーマニアから「リアルだ」と支持されるのはこうしたところにも見える。本物の軍人が「見てほしい」と思っているものを見せてくれる…ように見える。と言うとあざといようだが、これも軍事の啓蒙、その入り口の一つの形だろう。
今回は「戦力集中原則」などの連想も働いたが、また機会があれば。