バッハの理解のため、キリスト教の歴史と中世ドイツの歴史などを勉強をしています。その勉強がバッハの理解に繋がったか・・・。この本と平行して川端純四朗(さん)の「J.S.バッハ-時代を超えたカントール」を細々と読んでいますが、確かに話が有機的に繋がってきました。以前も書きましたが、平面的な理解が、すこしでこぼこしてきた感じです。首記の本も、目次に添って自分のために書いてみようかと。
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でも4回書いてきた「キリスト教の歴史/講談社学術文庫」も終わったわけではありません。(当然)宗教改革の後もキリスト教の歴史は続いていて、その流れにも興味があります。すこし脱線しつつ続けようかと思っています。

●その前に
先週は、またまた忙しかった。自転車操業の連続です。昨日(2/8)は一日中の社外会議で、まとめ役のためしゃべりっぱなしでヘトヘトでした。その帰り、近所の古本屋・ブックオフで下記の本を買いました。
●音よ輝け-バッハからタンゴ/熊本マリ/ショパン
一時売れっ子だったと思います。TVでさっそうと歩く姿が印象に残っています。彼女のCD1枚持っています。この本は、1500円→800円→100円となったところで購入しました。
●夢見るクラシック入門/吉松隆/ちくまプリマー新書
760円→350円でした。吉松さんの本は、図書館で1回借りて読みましたが、なかなか面白かった。ブログもときどき拝見しています。私と(才能は違いますが)北欧音楽と宮沢賢治が好きという感覚は近い(年齢も)。

●宗教改革の精神-ルターとエラスムスの宗教改革/金子晴男金子
●予備知識(両者の著作)
エラスムスの著書は、「エンキリディオン」,「痴愚神礼賛」,「キリスト教君主論」,「対話集」がある。その他、ギリシア語の新約聖書の校訂やラテン語の新約聖書の脚注などもやっていた。そして「自由意志論」がある。
ルターの著作は、「キリスト教界の改善に関して、ドイツのキリスト者貴族に与える書」,「教会のバビロン補囚」,「キリスト者の自由」,「教理問答集」とかがある。彼は世界最大級の膨大な著作をしているようだ。そして1524年に出されたエラスムスの「自由意志論」に対する反論の書「奴隷意志論」がある。また、ルターは賛美歌(コラール)の作者としても名高い。かれの「卓上語録」では「音楽は神のすばらしい賜物であり、神学に最も近い」と言っている。この考えは、(異端者の)私も同感です。なお、ルターは、自らを「くるみ」のようなものと言ったらしい。「外側は堅いが、中は柔らかい」ということのようだ。著者の金子さんは、奥さんと5人の子どもを愛した家庭的な面を引用しているが、それを「俗人」と受け取る人もいるかもしれない。一面ではすばらしい改革者、一面では俗人だったのかも知れない。人間であれば当然ですが、農民戦争の対応を見ると「(自分事を棚に上げると)これがドイツ人か」と思ってしまう。
●本の構成
●第1章/人間と人間観
●第2章/自由意志論争
●第3章/伝統と革新
●第4章/ヒューマニズムの偉大と悲劇
●第5章/神の人間性
●第6章/宗教改革と現代

この本は、私には各章とも新鮮で面白い。代表的なところを何回かブログで書き、(砂のように忘れてしまう)私の記憶を定着させたいと思っています。なお、最後の第6章では、ドストエフスキーの「カラマゾフの兄弟」や「悪霊」が出てくるのには驚きました。ただ、その解説を読んで納得しました。著者は、「現代は無神論とニヒリズムの時代であるが、エラスムスとルターが対決した同じ問題に直面している」と言っている。また、ドストエフスキーはロシア人ですが、当時、西洋から流れてきた(無神論的)合理主義に対するスラブ主義の葛藤があった。ドストエフスキーはこれらの小説で「神無き人間の悲惨」を描いたとの解釈は、一応、昔両方の本は読んだんですが、「どろどろしていて最後の急展開はすごい」といった平凡な理解だったので、(勉強不足の)私には「目からウロコ」でした。

●第1章/人間と人間観
残りの時間で、第1章分を書いておきます。
●エラスムス(1467-1536)とルター(1483-1546)の肖像画エラスムス2
ルターとエラスムスの肖像画はそれ自体で興味がある。ルターの肖像画は、ほとんど文盲の一般庶民を啓蒙する意図でいろいろと描かれた(らしい)。ルターの友人の画家クラーナハが何枚か彼の画を描いている。下のルターの絵は有名ですが、著者の金子さんは「なにものにも動じない決意の表情が出ている」と言っている。一方、エラスムスは、グーテンベルクの活版印刷術の普及により、「書物によって広範な権威を獲得した最初の人」と言い、右の肖像画に対して「エラスムスの顔ほど表情に富み、決然とした顔を私は知らない」という人相学者(なんかうさんくさいが)の言葉を引用している。両者の肖像画をみても、その立場は全く違うことが想像される。
ルター

このブログの最後に、この本で引用されているエラスムスの「痴愚神礼賛」から。

キリスト教徒たちが、多くの試練を受けつつ求めている幸福は、一種の錯乱狂気にほかなりません。・・・、それよりか、事実そのものを十分考えてみてください。


エラスムスは、「人間の人生と社会には痴愚が不可欠である」と痴愚女神の愚を通して語る。真の知恵が「健康な痴愚」のなかにあり、うぬぼれた知恵は「純粋な痴愚」であり、死に至る病であると説いている(らしい)。エラスムスは、プロテスタントとカトリックのどちらにもつかず、穏健的宗教改革を目指したようだ。しかしながら、彼の思想は、結果的に非キリスト教の道を開いた。著者の金子さんは、この本の最後の第6章で、サルトルの実存的(無神論的)ヒューマニズムを解説している。実は「実存主義はヒューマニズムである」という本は大学時代に購入し、黄色く変色したのを今も持っています。正直に言えば、斜めに読んで理解できませんでした。

脱線しながらなので、全然この本の本題にはたどり着きませんが、
・・・ということで。