自分自身のために始めたブログですが、コメントを頂けるのは、本当にうれしい。自分の考えの不十分なところが分かり、理由無しに頑固になっている自分の考えを(多少でも)軌道修正できます。もともと荒れ地のなかの平屋のバラックなので、直ぐに再構築も可能です。
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そうそう、私の立場は、(自分自身でもよく理解できていないのですが)主知主義の対極にある音楽神秘主義みたいなものと思っています。その「音楽」の一部に「西洋音楽」があり、シャーマニズム的「民族(又は部族)音楽」があり、JAZZや若者の(かっこいい)音楽があります。解明する力は無いですが・・・。

●宗教改革の精神―ルターとエラスムスの思想対決/金子 晴勇/講談社学術文庫宗教改革
近くのダイエーの本屋さんでこの本を見つけたので、購入しました。私の知識の源は、新書と文庫と図書館から借りる本です。音楽から(だいぶ)離れてしまった気もしますし、文庫で音楽の本もすこし出てきているので、何れそちらに戻るだろうと思います。でも、もうすこしキリスト教の世界を知りたいと思っています。読み終えたら、ブログに書こうかと。

●ルター派正統主義のバッハ-をめぐって/徳吉義和/バッハ全集3巻
●死と慰め
この章は、教会カンタータ第106番(BWV106)「神の時は最善の時なり」について、「律法と福音」の観点で、多少内容に踏み込んで書いてある。シュバイツアーが「これがあれば、他のカンタータは無くとも良い」と言った作品で、バッハの22歳の頃(1707年)の作曲らしい。下記は、私が徳吉義和(さん)の記述を勝手にまとめたものです。

●曲の構成
・序奏
・第2曲a合唱「神の時こそいと良き時」
・第2曲bアリオーソ(テノール)「ああ主よ、願わくば」
・第2曲cアリア(バス)「汝の家に遺言をとどめよ!」
・第2曲d三重唱「こは旧き契約の定めぞ」 アリオーソ(ソプラノ)「しかり、主イエスよ、来たりたまえ!」
・第3曲aアリア(アルト)「わが霊をば汝の御手に委ね」
・第3曲bアリオーソ(バス)「今日、汝はわれとともにパラダイスに在るべし」
・第4曲コラール合唱「誉れ、賛美、尊崇、栄光を」

●曲の記述
○この曲は、2つのリコーダと2つのビオラ・ダ・ガンバ(と通奏低音)という楽器編成もめずらしいが、「律法と福音」という観点から見ても面白い。私には、どうめずらしいのか判りません。
○バッハの遺産目録には2つのルターの著作集がある。どちらにも「死への準備の説教」が入っている。「生きている時に、死を思い家を整え、死に直面したらもはや死を思わず、キリストや聖徒に囲まれている自分を思え」との主旨。また、1534年に行なったルターの講義で、律法は「生のさなかにあって我々は死のうちにある」と、安心しきった者たちに不吉な歌を歌って戦慄させる。・・複音の声は「死のさなかにあって我々は生のうちにある」と、言っている。この講義録はラテン語で書かれているが、バッハはその内容を知っていたのかも知れない。BWV106の第2曲c<あなたの家を整えよ・・・>には、この考えが反映されている。
○この曲は、序奏と7曲から構成されていて、第2曲dの合唱を中心に十字架的なシンメトリー構造になっている。「古い契約がある。あなたは死ななければならない」という律法の声をフーガが低音域で展開する。その一方、ソプラノ独唱が新約ヨハネ黙示録の言葉を引用し、「主イエスよ来てください」と呼びかける。両者が葛藤を繰り広げた後、フーガは解体し、最後にソプラノの呼びかけだけが残り、キリストに於て、福音のなかで死もまた「アーメン」と受け入れられる幸いを訴える。

●追記(この本の巻末の曲の解説から
○1707年8/14の母方の叔父の葬儀のために書かれたと言う仮説があるが確証はない。・・・確かなのは、若きバッハが既に透徹した死生観持っていて、感動を伴いつつ訴えていること。なお、この曲は、教会歴とは関係ない(ようだ)。
○旧約(律法による死)と新約(福音による死)の聖句をたくみに綴り合わせた構想は、ルター派神学者の著書「キリスト教の祈りの学校」に由来するが、バッハ自身の構想の可能性もある。
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私はカンタータをそれ程聴いていないし、内容の理解は全然なので、聴いたとたんに「すばらしい」と感じるなんてことはなかったのですが、このカンタータを聴いて、何となく(他のバッハの作品に比べて)音楽が自然で心地よく感じました。その後、HPで調べてお葬式の曲であること、バッハのかなり若い頃(22歳)の作品であること知り、且つ「私的CD評」というブログを書いているogawa_Jさんに作風ががその後のバッハと違うことを教えて頂き、「そうなんだ~」とバッハの早熟(又は老成)に関心したものです。そして、最近「律法と福音」の関係を知り、その構成のすばらしさにまたまた感心した次第です。ただ、こうやって理解していくのには、途方もない時間がかかりそうです。でも、キリスト教の歴史を調べながらとか、バッハの足跡を調べながらという非音楽的アプローチと共に、バッハを聴くのが(今は)楽しい。その上で、自分で演奏をするのも(苦しく、指が痛くなり、自己嫌悪も感じるが)楽しい。

昨日(1/27)、バッハ全集第3巻(と第5巻)を近くの亀戸図書館に返却しました。まだ読んでない箇所もありましたが、これはルールなので仕方がない。来週、時間があればこのシリーズを所蔵している東陽町図書館で、別のバッハ全集を借りようかと。

・・・ということで。