この本を図書館に返さないといけないので、こちらを先にまとめようかと。

●今年最初の演奏会
先週。銀座の山野楽器に行ったとき(比較的近いので車で行きます)、偶然、"無料”、"リコーダとリュート"というのが目に入り、エントリーしました。リュートは永田平八(さん)です。私はこのひとのCDを1枚持っています。また、10数年前ギター再開のとき、お茶の水のアンダンテで彼のビウエラの演奏を一度聴いたことがあります。いやらしくない演奏(え~と、なんというか現代のギター的でないと言う意味です)で好感を持ちました。それから10数年ですが、どんな演奏をするのか興味があります。また、リコーダにも興味があります。

●ルター派正統主義のバッハ-「律法と複音」をめぐって/徳吉義和/バッハ全集3巻
●私のルターの予備知識ルター
ルター(1483-1456)、カトリック会の免罪符に反対。聖書(新約、旧約)をドイツ語に翻訳(それ以前にも訳した人はいたらしい)、ルーテル教会の創始者。プロテスタント教会での聖職者の結婚を認めた。賛美歌(コラール)を奨励。
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「キリスト教の歴史」を読むと、ルターがヴィッテンベルク城教会の扉に免罪符に反対する「95箇条の提題」を張ったり(これも伝説の一つという話もある)、聖書をドイツ語に翻訳したのは、なにも「公憤」ではなく、雷と嵐にあったときの死の恐怖から「助けてくれれば僧になる」と誓ったことが発端で、「自分はいかにして救われるか」というもの(らしい)。なお、当時の死に対する恐怖は、ペストの流行と相まって想像できないほど大きく、その中で若いルターが神に誓ったのは理解できる。でも、その誓いを守り行動したのは、さすがドイツ人だ。
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肖像画を見ると、人見知りの私からすると、どうしても善人には見えない。なお、「キリスト教の歴史」では、ルターの宗教改革の動機は、「信仰義認」であり「神のめぐみによってのみ、人は救われる」という(再発見した)福音主義であり、前記の「免罪符」に対する反対は、単に表面に出たものに過ぎない(ようだ)。
●宗教改革の流れ
ルターが起こした宗教改革運動は、下記2派によって進められた。
○ドイツ北部から北欧にかけての国教会や民族教会の形でのルター派
○スイスのツヴィングリやカルバンによってさらに推し進められる改革派
この2派の動きは重要だが、バッハ全集のこの論文では目的が違うので、は詳しく書かれていない。
ルターの死後、ルター派内部では、ルターの改革の流れに沿った「ルター派正統主義」に対して、「心の信仰」を強調する敬虔主義運動が起こる。J.S.バッハは、いわずもがなですが「ルター派正統主義」に属する。
●バッハが勉強した「フッター「神学諸問題提要」
バッハがギムナジウムで勉強したこの教科書にはこんなQ&A書いてあったらしい。
○福音とは何か
○律法と複音の違いとは
○律法と複音の第二の違いは
・・・
その答えは、
○律法は戒めについて明らかにし、福音は恵みの約束について明らかにする。
○(両者は)約束の実質が違う。律法の約束は、働きと報酬に正統な割合がある。福音の約束は、純粋に無代価である。
○(両者は)目的が違う。律法は、(自ら)安心な人、厳格な人、快楽主義者、偽善者に関わり、古いアダムに関わる。福音は、後悔する者、神の怒りを感じ、恐れ無力な者、霊において貧しい者に関わる。
○(両者は)効果が異なる。律法は告発し、恐れさせ、怒りと断罪を結果させる。・・・、複音は信じるすべての救いのための神の力である。
う~ん。バッハはこんな事を勉強していたのか。これが宗教教育というものなのか。確かに、律法と福音の違いがわかりやすく書いてある。
この本は、全部で141頁にすぎないが、最後に「ただ神のみに 栄光あれ」と書いてあるようだ。バッハのあの言葉と同じだ。その作曲者J.S.バッハの思いを、バッハの音楽を聴くときには尊重したいとおもう。
●ローマ・カトリック教会に対して
ルターのコラールには、当時のカトリックに対する理解が伺える。
主よ、みことばにおいて我らを保ち、
教皇とトルコ人の殺しを防ぎたまえ
彼らはみ子イエス・キリストを
み座から引きずりおとそうとしている。

これは、現代訳では、第2行は「あなたの殺しを防ぎたまえ」となっている。だいぶ迫力がなくなる。バッハはBWV126(1725年作曲)では、第1曲にルターの原詩を用い、断固とした神学的姿勢を示している(というのが、この論文の著者の見解)。

現代のキリスト教は、カトリックとプロテスタントの垣根はかぎりなく低くなっていると思う。ローマ・カトリックがすでに世俗権力を完全に失っており、世界のカトリック教会に対しても(ヨーロッパは別として)、それほど強い権力を持っていない以上、「教皇とトルコ人の殺しを防ぎたまえ」という過激な言葉は控えるのが「オトナ」なのだろう。
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これらのことは、バッハに関する評論家諸氏にとっては、常識なんだろう。その上で、「バッハは宗教を超えた宇宙」といっているのだろうが、一般音楽愛好家の私は、なんかだまされているような気もする。

この話、続きます。
・・・ということで。