岩城さんは、昨年6月に亡くなっています。そのこともあり、この本を再読しました。


●音楽の風景/岩城宏之著/岩波新書
1983年の初版を持っています。ただ、今は絶版になっていると思います。斜めに読んだ後、本箱で20年以上眠っていました。私が大学の頃、岩城さんはN響の常任指揮者だったと思いますが、当時は小沢征爾が断トツに有名で、影が薄かった記憶があります。一応、その他にも、朝比奈、秋山、山本とかいった名前は、私でも知っていましたが、当時の私は、外国の指揮者がより優れていると単純に信じていました。また、友人と大阪フィルの”運命”のカセットを聴いて、”なんか切れがないな”といった話をしていたような記憶があります(ほんとうにそうだったか、先入観だったかは、今となっては判りません)。


●この本についての感想
この本は”指揮者”が書いた”音楽の現場”の本としてかなり正直に書いてあると思います。フルトヴェングラーの「音と言葉」のような高尚さはないが、大変参考になりました。


●アレグロ”Allegro”
イタリアでは「早く」という意味より「活発に」という意味が大きいらしい。なるほど、そうなのか ・・・(私の持っている音楽事典とは逆です)。この本から、現代では当たり前になっている(と思う)「作曲家の意図に忠実に」ということが、当時は十分定着していなく、彼の世代の音楽家が苦労して定着させた事が判りました。そのことが、楽譜の表記法を例に取り、いろいろ分かり易く書いてあります。また、岩城さんは「日本の作曲家は、自分の作品には日本語の表記を入れたらいいのに」とも言ってます。


●音楽のテンポ
いろいろな本で、「(優れた)演奏家は毎回同じ演奏はしない。その時々の状況に合わせて変更する。」と書いてあるが、具体的な記述がなく(私にとって)謎だった。この本では「客の層が若く、空気が乾燥しているのでやや速め」「雨が降っていて、客はじいさん、ばあさんなので、大幅に落として」と変えるようなことを、ウイーンフィルの楽員からアドヴァイスを受けたと書いてある。もちろん、私ごときにはほんとうの意味は判らない)難しい事だと思いますが、一方で「なんだ、そんなことか」という「目からウロコ」の感じもありました。


●「パート」

外国では、”ミュージックパート譜”とは言わずに”music”と略して言うことが多いらしい。それに関連したエピソードが書いてありました。リハーサルのとき、間違いが多いピアニストに対して、岩城さんは”I don't know how about your part!"と言ったら、楽団員全員が大笑いしたらしい。このピアニストが”同性×者”で、part=息子の意味があるため、先のことばは、「おまえのチ×、チ×なんか知ったことか」という意味のために、楽団員は大笑いしたらしい(下品な話ですみません)。この本には、その他幾つか同じような話を載せている。ただ、その話を読んで私は、結局、岩城さんはまじめな方だな(言い換えれば”むっつりすけべ”)と思いました。また、彼はこの本で、(まじめに)失敗談も正直に書いています。


・・・ということで、最後の話も入れて、この本は感動させようという本ではないが、私にとって参考になりました。楽譜はもともと不完全なものですが、現代曲となるとなお一層その観があります。なお、HPで調べると、この本の初版が出た1983年に、岩城さんは参議院選挙に出て落選しています。その後、彼はいろいろなガンにかかり、闘病のなか最後まで精力的に演奏活動を続けたらしい。いろいろ大変だったんた・・・。でも、彼が参議院に出たことは、私にとって謎のままです(まあ、いいけど。今は黒川さんが都知事選に出ているし)。

なお、HPで調べると、彼の功績の一つに、日本の20世紀作曲家(竹満や黛等)の音楽を世界に広めたことが書いてありました。たしかにそうだ。作曲家が楽譜のみで広まること等ありえない。指揮者があって、演奏されてこそ世の中に広まるのだと思います。