首記の本を再読したので、メモを書きます。


●この本を購入したのは
丸山眞男は偉い政治学者なのは知っていますが、どの程度凄いのかはよく判りません。彼は、日本政治思想史を学問として打ち立てたが、右も左からも批判される一方、心酔者も多くいるようだ。私は、25年ほど前に何も知らないまま、岩波新書「日本の思想」と言う本を1冊買っています。ただ、まともに読んだ形跡はありません(そんな本をいろいろ持っています)。すこし読んでみると、今度はそこそこ読めそうだ。近日中に、ちゃんと読んでみよう。それで、表題の「音楽の対話」は単身赴任で転勤になる年に、原子力の安全神話を吹き飛ばした、あの東海JCO臨界事故が発生した1999年に購入しました。購入の理由は単に「偉い人が趣味でやっていた音楽の楽しみの本」という程度の興味です。このときの印象は、楽譜を持ち込んで音楽を聴くようなやつは、最近TVで見た、クラシックを聞きながら指揮のまねをするやつと同じく、キザなやつという印象でした。今度はすこしちゃんと読みましたが、この本は、仲野雄という弟子?による、音楽の面からの丸山眞男像の断片集といった本のようです。


●プロローグ
・丸山眞男は、政治思想史の研究の傍ら音楽に没頭していた。そのためもあって、彼のライフワークが完成しなかったらしい。ただ、この本からは、著者(中野雄)は、音楽にのめり込んだ(大)思想家を暖かく見ていることが伝わってきます。


●第1部-ワーグナーの話
・私はワーグナーは、管弦楽曲を聴いただけでオペラを知らないので、良く理解はできません。ただ、オペラは、その豪華さで一度みるとやみつきになるという感じは、私にも判ります(バレエを一度見たことがあり、そういう感覚になりました)。私の想像ですが、丸山眞男は、オペラの構成、音楽と言葉と(象徴的な)物語の進行という複雑さ(ワーグナーは、それを総合芸術と言っていたようですが)に興味を持ったのだろう。一方、私は、純粋音楽(器楽曲)は世界共通であり、調性と12平均律は、インドでの「ゼロ」の発見と同じく、音楽の進歩に貢献しましたが、これは西欧ではなく人類に対する大きな発見と思います。しかしながら標題音楽の代表であるオペラは、それぞれの国又は民族の文化を背負ったものであり、どんなに凄くとも、外国人の私が知らなくともいい世界ではないかと思っています。

・丸山は、バッハ、ハイドン、モーツアルト、ベートーベン、ワーグナー等と異なり、ほんとうの美しさが判らない作曲家として、ドビッシーやメシアン、リヒャルト・シュトラウス等を挙げている。ここらは、私からすると旧時代的で違和感を感じる。趣味は個人的なものなのであり、私と違っても良い。ただこの本が、丸山の意図はどうか知らないが、こういうところまで出しているところが面白いと思う。リヒャルト・シュトラウスを評価していないのは、純粋に音楽作品からの判断ではなく、ナチス時代の彼の行動を評価していないからではないだろうか・・・。

・また、丸山はアメリカに亡命したノーベル賞ドイツ人のトーマス・マンを批判している。丸山は戦争前後の動乱の日本を生きてきた人なので、人の生き方には敏感なのだろう。彼の写真をみると温厚な印象があるが、結構人の生き方で、偏屈に音楽作品を評価しているのではないか(彼自身は、音楽は人と切り離すべきだと言っていますが・・)。ただ、そういう偏屈さこそ、私にとって好きになるところなのです。


●第2部-フルトヴェングラーの話
・やはりナチス時代の芸術家の話は避けてとおれない。私は、正月に「第三帝国の音楽」という本等を斜め読みしましたが、その頃の音楽家はつくづく大変だったと思います。この本は、丸山眞男は、明言はしていないが芸術至上主義のフルトヴェングラーを評価していたことをにおわせている。最近、「フルトヴェングラーとカラヤン」という本が出たようだが、いまのところその本に興味はない。ドイツ人の書いた元本のほうが断然面白い。

・丸山眞男は、「フルトヴェングラーの録音は、戦時中のものが最もいい」と言っている。この本の著者は「そういう極限でこそ美しくなる音楽とは、いったいなんだろう」と丸山眞男に問いかけたらしいが、彼は首を振るだけで無言だったようだ。話はそれますが、ドストエフスキーも、若いころ死刑になりかかって、助かったことがあり、その極限の快感が忘れられなく、大作を世に出す原動力になったようだ(みんな、知っている話でしょうが・・・。小林秀雄の本に書いてあります)。


●エピローグ
・この本の最後に、やはりバッハのシャコンヌが出てきた。シャコンヌの変奏は30あり、その前後に主題が配置されている構成は、ゴールドベルグ変奏曲と同じと書いてありました。そう言われれば、そうだ。なお、この本は、丸山は、執拗低音(通奏低音ではない)を、日本の政治思想を分析する手法として、日本で始めて使ったと書いてあります。
・丸山眞男は、天満敦子の演奏を評価していた。それで、天満敦子は「丸山眞男を忍ぶ会」でシャコンヌを弾いたらしい。彼女の演奏会は、数年前に「テイアラ江東」というホールで1回聴いたことがあります(ホールは満員でした)。私は、そのとき、音楽の良さより彼女の容姿が気になり、もっと痩せていたら・・と、表面的印象を強く感じていました。一方、この本を読むと、丸山眞男は、彼女の容姿の中にある真の姿を見ていたようだ。純粋音楽を聞く場合は、演奏家の容姿に惑わされてはいけない・・・と思いました。


以上、極めて表面的なメモであり、まだ書き足りないのですが、結論を言えば、私はこの本を結構楽しく読みました。また、音楽の本を読むことは、音楽を切り口にして、関係者の本業(の本)を読むきっかけにもなるようだ。


本日、すこし予定があり、一応ここまでとします。