気分転換で、とりとめもないことをすこし・・・。

●音楽
「音楽」と聞いて何をイメージするか・・。それは、


・つかむことができない
・つねに流れていく
・全く同じ状況を再現することはできない

 CDなんかは固定されていても、聴く方はつねに変わっている。
・それでいて、直接的に働きかけてくる
 今読んでいる本の言葉を使うと「ディオニソス的」なもの


 (逆の言葉は「アポロ的」)
・思い出
 繋がりがないようですが、書いてみてふと頭に浮かんだ言葉。これも「音楽」と同じ性質を持っていると思われる。遠い過去は固定されている。しかし、その「遠い過去」を全く同じ状況で思い浮かべることはできない。
・形而上学的悲劇
今読んでいる本にかいてありました。でも、説明できません。


・共有できないもの
「音楽」も「思い出」も、表面的なものは共有できるが、深いところでは共有できないのではないだろうか。

●音楽空間は共有できるか
音楽は、人の心に共通空間を作るか・・。私は「否」ではないかと思っています(妥協して、擬似空間はつくれます・・)。おそらく、同じ人の演奏を受け身で聴く場合はそういう共通空間ができるのかもしれない。ただ、自らの一部を削って(注入でもいいですが)音楽を(それなりに)完成させようとしたとき、その音楽空間を共有して作ることができるのだろうか(みんな、あたりまえのようにやってますが・・)。

●印象的な絵画
「心が離れた恋人が同じベッドで寄り添っている」という絵画をNHKの番組で見たことがあります。ベッドで二人が寄り添って眠っています。女性は安らかに眠っていますが、男性は硬い表情で冷たく遠くを見ています。それは、その後の別れを予感させるものです。同じ音楽(共通空間)を作ろうとしても、同じものははありえない・・という感じを持ちました。その女性とは、ワーグナーが死んだ後のコジマ・ワーグナーだったと思います(あとで調べ、間違っていたら訂正します)。

●ビートルズの解散
最近、新聞で「ビートルズ最後の真実」という本の書評を読みました。ビートルズは、最後のころは、それぞれめざす方向が違ってしまい一緒に曲をつくる状況になく、ばらばらに録音し、プロデユーサが編集して曲にしていたようだ。ましてやライブ演奏などは不可能だったらしい。この感じはよく分かります。話は小さくなりますが、私の場合も遙か昔に、二重奏をやったことがありましたが、長期間あまりに近づくと、演奏会の後しばらくは、離れていたくなったものです。重奏をする場合は、個人的な「心の中の音楽の世界」は閉じておくのが良いかもしれないですね。



●そういえば(うらやましい話)
10年ほど前、小さな発表会で新婚夫婦の二重奏を聴いたことがあります。カルリの二重奏曲です。特に、奥さんのひたむきさが感じられいい演奏でした(男性は余裕で弾いていました)。この夫婦は大学(私の郷里の仙台の教育関係の大学です)のギタークラブの先輩(男性)と後輩(女性)で、女性が先輩をほんとうに尊敬しているのが良く分かります。この関係は、みていてとてもうらやましかった。私はひそかに、「その後子供ができて女性が強くなって、そうしたらどうなるのだろう・・・」、と想像したものです。これは、仲の良さに対する嫉妬ですね(こまったもんだ)。

・・・ということで。とりとめのない話でした。