●セゴビアに関する思い出を一つ。わんわん

大学3or4年のころFMラジオを付けたら、突然流れてきた曲に引きつけられてしまったことがありました。それは、ポンセのギターとハープシコードの二重奏でした。わたしもそれなりにギターの曲は知っていましたが、このような曲は今まで聴いたこともなく、ギター演奏の迫力(集中力といった方がいいかも知れません)に引きつけられてしまったのです。しかしながら、演奏の後に曲名の説明が無いまま次の曲に行ってしまい、これが私のなかで謎のまま、なんと二十年以上の長い月日がたってしまったのです。この間、私はギターというより音楽の世界から離れていましたが、なんとしても解明しなければならない謎として、私の頭の片隅に残っていました。わんわんギターを再開した後、ギターの店の方に聴いたところ、それはセゴビアの演奏だろうと教えて頂きましたが、「以前CDで出ていたが、そのシリーズは廃盤になっている」と言われました。「そうか、やっぱりセゴビアか・・、そうだろうな・・、セゴビアはさすがだ。」ということで納得したのですが、今度はもう一度聴いてみたいという切なる思いが強くなり、結局フラストレーションは解消されないでいまも続いています。今は、ナクソスのCDと福田進一と小林道夫のCDを持っていますが、いまいち納得しません(,どちらかといえばナクソスの私にとって無名のギタリストのほうが良い。おそらくギターのゲインを上げるかしてギターを1st的に録音している。ギターを弾く立場からはこの方が心地よい。福田さんと小林さんの場合は、どちらも遠慮しているのか1stがいない感じです。そういう意図の録音なのかも知れないが・・、物足りない。)。それで、いつかCD廉価版で出るのを首を長くして待っています。わんわんそのFMラジオでは、もう1曲、ポンセ作(当時はヴァイス作といわれていた)のプレリュードホ長調にハープシコードを乗せた二重奏もありました。これなら私もやれる(のではないか、パートナーさえいれば・・)、とインスタントラーメンを食べながら思いました(そのラーメンの銘柄も覚えています)。


●話はそれますが

このような断片的な思い出は、誰もが持っていると思います。、私の場合は、イエペスと握手したときの手の感触とか、4or5才のころ女子大(というのはお姉さんがいっぱいいた)のバザーで食べたプリンの味(世の中こんなおいしい食べ物があるんだという発見)とか、小学2or3年のとき音楽の授業のラジオ取りのときに、私だけが笛を落として録音のやり直しになったこと・・等いろいろあります。修正不可能なつらい思い出もありますが、首記思い出は、もうじき解消されるだろうと思っています。


●話をもどして

かなり脱線しましたが、言いたいことは、私なりにセゴビアの偉大さは感じているということです(実は、あのセゴビア節というのが、彼が年を取るほどきつくなり、おそらくそれが彼の原点なのだと思いますが、なかなか好きになれないのです。)。なお、あたりまえといえばそれまでですが、晩年の録音より、ノイズが入っていてもSP時代のセゴビアの演奏が断然すばらしい。これは、最近の若手の演奏を遙かに超えています。ただ、正直に言えば、40代のセゴビアのすばらしさは納得できたので、いつもは、最近の演奏家の録音のいいもののなかで、気に入ったCDを聴きたいという感じでです。