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完成見学会

地元の紀の川市でお施主様のご厚意で完成見学会をさせていただけます。

有名なめっけもん市場の第3駐車場の直ぐ北隣です。

6月12日 13日  午前9時から午後4時まで予約制で行います。

マイホーム計画されている方、ぜひお越しください.。新しい発見を

たくさんされるかも?

                  おまちしています。

                           ウェスタン ビルダーズ

アメリカでの思い出  Key West

そこに私は、一生忘れられない景色があります。

今日はそんな思い出のお話。


フロリダ半島の先端から、カリブ海に小さな島々が

涙粒が連なったように突き出したKey Westと呼ばれる

すばらしい場所があります。

近くで財宝を積んだ難破船が見つかった事もある所です。


ひょうたん島 島々はフロリダ半島に橋で結ばれ、車で先端まで行くことができます。

アメリカ人の友人に、一度オマールエビ取りに

連れて行ってもらって以来、やみつきつきになり

何度もスキューバダイビングに行きました。


波海岸で釣り人が、何か大物を釣ったらしく

一生懸命リールを巻いているので、何が掛ったのかと見物していると

波に乗って畳2枚も有りそうなマンタが姿を現し

私はど肝を抜かれました。

橋の上からも群れをなして泳ぐ マンタ マンタが見れます。


海の中は奇麗なクマノミ 熱帯魚が群れ、

海底には無数のエビエビの住み家の穴が広がり、

石の下の棚にはオマールエビがびっしり詰まっていました。


海岸から10メートルほどの沖合には、

1メートルほどのバラクーダ(カマス)が群れをなして泳ぎ、

幼魚が直径3メートル位の黒い魂に成って私を包み、

払っても払っても、逃げません。


水泳 水面を泳いでいると、2メートル程下をカツオの群れが

隙間なくびっしり詰まって通り過ぎます。

水中銃を狙いも定めず打つとヒット。

水深2メートル以上に行くとサメに襲われる危険があるから絶対行くなと

注意されていたのも忘れ、どんどん引き込まれます。

(↑これは駄目ですね。)



でも、なんでこれ程、うお座魚が多いのか質問すると、

漁業期間、サイズ、持ち帰り量、禁漁区,、入漁料、それに

厳しい監視取り締まりをしているとの事。


日本でも最近になってこの様な規則が出来たようですが、

アメリカでは今から45年以上も前から定着してたようです。

それと、魚自体余り食べない国でしたしね。


気候はいいし、白い砂とエメラルド―グリーンの海船

青い空空、濃い魚影うお座、色とりどりの熱帯魚、

海 整備されたリゾート施設、島から島への橋。



一生忘れられない天国です。

アメリカの思い出  スカイダイビング

アメリカでの思い出話ばかりですが・・・

私の初スカイダイビングの体験をお話しようと思います。



私が居た頃のアメリカの大学生の週末は、

ガールフレンドが故郷に居る寮生は、一目散に帰郷したものでした。

何らかの理由で寮に残る学生の中には

小説家を目出しタイプライターに一心不乱に向かっている者や、

音楽を聞いたり、テニスを楽しんだりしてる者も居ますが、

だいたいは、女の子にあまりもてない男子学生が多い感じでした。


私も居残り組になったある日、

パラシュートを折りたたんでいた寮生から「スカイダイビングに行かないか?」と

誘われ、以前の遊びで、寒さに耐えられなく、皆の楽しみを

中座させた経験があったため、ここで名誉挽回しなくては!と思い、

一緒に連れて行ってもらうことにしました。



着いた空港はアスファルトもない短い滑走路と

おんぼろの格納庫、事務所兼名ばかりの管制塔。

友人に入会手続きをしてもらいジャンプスーツと、記録帳を受けっとって

教官の後に着いて行くと大きな木の下に階段付きのドラム缶が一つ。


教官はドラム缶の上から地面に飛び、着地と同時に回転受け身をして

こうして着地のショックを和らげるるんだ!

重要な練習だから、OKが出るまでジャンプ、ジャンプ、ジャンプ!

と訓練をさせます。私の場合、1時間程でOKが出ました。


次はパラシュートの操縦の仕方や、空中の事故の対処方法


★メインが開かなかった時の補助パラシュートの使い方。

★ロープがからんで操縦できなくなった時やメインがしぼんだ時、

 風に流され遠方に飛んで行った時の救助方法。

★目的地以外への、着地方法・・・木の上や送電線、水の中

★着地後のパラシュートの処理方法

 (うまく処理しないと風を含むとひきずられます。)


その当時は、現代のようなパラセーリングで使用している様な

パラシュートは高級な為稀で、軍隊で使用しているような

丸型がほとんどでした。


新型は立ったまま歩いて着地できますが、

旧型は着時時6mの高さから飛び降りたのと同じ衝撃があり、

事故のほとんどが着地の失敗です。


説明も復唱も終わり、今日は終わりだなと思っていたところ

「レッツ、ゴー!」


パラシュートを装着され、ジャンプ後10秒で胸にある

パラシュートを開く金具を引き抜き、

セスナの教官に見せるように言われ、セスナへ。


すでに3人が椅子のない床に座っていて、私を入れて4人のジャンパー、

そして教官が2人、パイロットが一人、デコボコの滑走路をガタガタ。

どうにか離陸。


「やらなきゃよっかった、このままジャンプしないで帰ろうか」


そんな事を考えていたら、教官が

「飛ばなきゃ落とす!帰り道はジャンプしかないぞ!」


「もし、失神したらどうしよう?」教官に大声で聞いてみた。

「大丈夫私が助けに行く!」

なるほどパラシュートは着けているけど、先に飛んだ物に追いつけるのか?

「もし生きて帰ったら もう二度としない!!」


30分程で水平飛行にセスナの扉が開き、教官が外のフックに左足をかけ

手でセスナの翼を支えている斜目の筋交いを両手でつかみ、

機外でジャンプ!待機ポーズ。直ぐ中に戻り、私にやれ!と合図。


おびえる私に

「大丈夫ロープでパラシュートを開いてやる。」

「えぃ!もう、どうにでもなれ!」と機外へ。

しばらく捕まっていると、教官が「GO!」私の尻を叩いた。


足をけり手を離し、10秒待って金具を引き見せるため

上空見上げると、ずっと上空にセスナが見え教官がこちらを見ていた。


やった!と思った瞬間体がクルリと回転して上向きに背中から落ちだした。

ヤバイ!と股の間からパイロットシュートに引かれたメインパラシュートが

グーンと上に。その瞬間強い衝撃があったと思ったら空に浮いていた。



地平線まで見える、空港が足元に小さく見える。



「次いつ飛ぼうか?」

何分か前「もう2度としない!!」と思っていた私だったのに。 


帰還マークには帰れなっかったけど、空港の敷地にはちゃんと帰ってきました。


この後、面白くて友人が他の大学に移るまで何回も飛びました。

誰も私をバカにしなくなりました。

私以外の日本人を知るまでは、日本人と言えば

私をイメージして判断されると思ったので、いくじなしと思われるのは嫌でした。



でもこんな経験、日本ではなかなかできませんよね。

貴重な体験をさせてもらったと思います。




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