西部劇が未だに好きなもんで・・・

リボルバーもSAAだけではなく、他のリボルバーが出てくると嬉しいですね~

レミントンのリボルバーも その中の1つです。『ペイルライダー』でイーストウッドがカッコ良くシリンダーごと交換するシーンもレミントンでした。

これを真似するなら古いCMCの金属製レミントンカートリッジコンバージョンか、後のHWSのプラのコンバージョンモデルしかないですもんね。

 

開拓時代の終末に出てきたのが、レミントンM1890です。

トム・ホーン(映画でなく本物の本人)が使用していたのがM1890で、シリアルナンバーが1254です。後のオークションで、94,875ドルで落札されています。未だと1300万くらいになりますね。

レミントン1890 伝説のガンマンに関連する最も価値のあるリボルバーの 1 つです。 シリアル番号 1254 。トム・ホーンの生涯は詳しく記録されています。 彼は鉄道労働者、ワゴン運転手、駅馬車運転手、陸軍偵察員、ピンカートン刑事、保安官代理、ワイオミング州のスワン・キャトル・カンパニーに雇われた猟場刑事として働きました。 ジェロニモの降伏にも貢献しています。  1898 年にルーズベルト大統領のラフ ライダーズに参加し、その後ラスラーの狩猟を再開しました。 ピンカートンとして、彼は4年間で17人を殺害したと報告されています。1901年、スワン・キャトル・カンパニーでラスラーの殺害に従事していたとき、14歳のウィリー・ニッケルを殺害した罪で告発され、有罪判決を受けました。 ホーンはウィリーの父ケルスを殺そうとしていただけでしたが・・・事実は分かりませんが腕の立つスナイパーでもありましたからね~  トム・ホーンの最後の言葉は、「他に言うことはない。そのままやってください」と、処刑されました。 最初の裁判は非常に論争に満ちていたため、ララミーで模擬再裁判が行われ、ホーンは無罪となっています。

この リボルバーはジョン・コーブルからトムに贈られました。 コーブルは、Swan Cattle Companyとして知られる牧場主のコンソーシアムを率います。 コーブルはホーンの弁護費、墓石、葬儀費用、そしてホーンの自伝『トム・ホーンの生涯』の出版費用を支払ったほどの仲でした。その後コーブルはすべての所有物を手放し、ネバダ州エルコで自殺します。このリボルバーは 1978 年のガン レポート マガジンの 18 ページに掲載されており、 この銃は、2006 年第 2 四半期のレミントン協会アメリカ雑誌の表紙にも登場しています。銃はテッド ベル コレクションとゲイリー フィリップスのコレクションに収蔵されていました。  

 

レミントンM1890をモデルガンで作ったのが、CAWです。

販売された時は、同社の1875のファースト及びサードモデルや

バレルの長短バリエーションも豊富で、1890は後半に販売されたので満腹状態の為に触手が伸びなかったのが本音です。

 

時間が経ち 振り返ってみると1890が欲しくなるもんでして・・・気が付けば・・・

同じ1890が2丁も CAWのプラですよ、

SAAとは、全く違う魅力。   再現性は素晴らしいね~流石CAW!

グリップは木製。これだけ作るのもコストが掛かりますね。

 

シリンダー44口径 インサートもガス抜けが良い形状(発火しませんが)

 

エジェクターロッドの形状も再現に拘りを感じます。

 

武骨なヒップライン? バックストラップとフレームが一体化されているところが

また良いんですよね~ ゴツさに痺れます。そして重い!プラとは思えないくらい

重いと緊張感が高まり・・・鼻息が・・・

 

 

先日手に入れたHWSのライトニングとも顔合わせ、

 

僕はブルーイングのテクもないし、もしできても大切にしまってしまう貧乏性なので

こいつらは、磨きブルーイングで、触り倒してその辺に置いておきますわ、