戦争体験者が、中々戦争の事を話さないでいると感じるのは私だけでしょうか?

最近になって、戦中と戦後では日本人が変わってしまったからなのでは?と思うのです。

大和魂を抜かれて、GHQの言いなりになり、勝手に憲法を作り変えられてしまった日本人。学校教育もマスコミも黒塗り行事で180度変わってしまいます。

小野田さんは、ルパング島で日本が敗戦し、しかも昔の日本人の魂が消えてしまったことは以前から知っていたと言ってます。そんな日本に戻りたくなかったのかもしれません。帰国後に貰った100万円は全て靖国に納めてしまい。日本から出て行ってしまいます。そこに戦前の日本人と戦後の日本人の違いを感じたのでしょう。

 

 

『英霊の言の葉』

これを読んで泣かない人がいたら・・・

正直、何度読んでも号泣してしまいます。

1巻から8巻までしか持っていませんが、まだこの後も作られています。

 

 

18歳から50代までの日本の為に戦い戦死した先輩たちの遺書と残された家族の手紙です。

僕らは、すくすくと育ち、子供や孫に囲まれ、ある意味幸せに生かされた国民です。

しかし、大事な子供が国の為に勇敢に戦死した時の苦しみなんぞ、知ることは出来ません。

戦争は悪だとか、日本は侵略したとか、言う方が絶えない世の中ですが、この本から再度学び日本人の魂を聞いてください。

 

陸軍河野五長

昭和19年12月16日

レイテ島西方海域 美濃丸にて戦死

山口県出身 23歳

 

『御面会もできず、出発する事、何だか淋しい気持ちです。

ニッコリ笑って戦友に見送られて行きます。生還を期せずして出て往くにあたり、心から今までの御高恩を謝し、母上 40年間のご苦労に何等お報ひ出来なかった事を深くお詫び申し上げます。

今お別れするに当たり唯一の頼みは、どうか長生きせられて、私の遺骨はお母さんの胸に抱かれて無言の凱旋をすることが、私の願ひであります。

決して生きて還ると言ふ様なことは思ってくださいますな。それ程 今の日本は急迫しているのです。

静かに書く時、何度なく涙ぐんでくる。母上のこれからの苦労を思へば泣けて参ります。お笑いくださいますな。門徒の方にも、自分は元気で征った。命を国に捧げる喜びを如実に体験せんとする自分の心は平常である。宜しく、よろしく、

皆様にお伝えくださいませ。』

 

 

まだ23歳の若者が

家族にも会えぬまま戦地に向かい おそらく生きて帰ることは出来ないだろうと決心して母に書いた手紙

母も未だ40代前半と分かります。

 

僕らは、好きな物を食べ、死ぬ心配もせずに生きて来れました。

 

合掌