『兼高かおる世界の旅』

初回放送が1959年

初ロケはローマから始まります。

兼高さんは、着物を着てのリポート

ローマに降りて街中を歩くと まだ日本人も着物も珍しく

道路の反対側からも声をかけられる程の人だかりとなり

着物のお蔭で 外食の殆どがタダになったと

 

そして10年後の1969年

普段着でローマに行くと、周りに日本人の多い事に驚き

若い人も多く、日本が如何に大国になったか感じたそうです。

そして、撮影中も見学する日本人も増えて

同じ国民に見られるとリポーターもやり辛いと・・・

多分、金持ちだと思うんですが

まだ1969年じゃ外国旅行、特にヨーロッパなどの遠方じゃ

家族総出で飛行場まで見送っていた時代でしたから

我が家も1967年に叔母を羽田まで見送っていた写真があります。

 

1969年

ローマでイタリアの景色スライドネガを販売しているところにて

1セット8ドルで販売されていました。 8ドルは当時3千円に匹敵

ところが、日本人と分かると 1000円札1枚でいいと

ドルじゃ無くて、日本円が相当強くなっていたと驚いていました。

ローマには、至る所に噴水が存在し、交差点等にも・・・

千年以上前から どこでも水が飲めるように町が作られていたそうです。

実際、1969年当時でも至る所でこの水を飲んでいる人が多い事。

噴水で水が常時飲めるって、凄いですね。衛生的にはどうか分かりませんが

昔の人は、胃腸も強いですから・・・

 

 

 

31年間も放送された番組でしたが、最終回放送の3日後に進行役の芥川氏(右)が

肺癌の為亡くなります。 

 

 

番組の中で、彼は兼高さんの料理にケチを付けたり、着物を着ると年を誤魔化せますねとか、辛口のコメントで兼高さんが可愛く機嫌を損ねるシーンが、とても素敵で 今見ても微笑んでしまいます。

兼高さんは、生涯独身でした。彼女の品のある口調と、素敵な笑顔、ふざけて逃げ回る可愛い姿など、日本国民から愛される女性でした。

どの国でも何でも食べる姿勢、猿とは相性が悪く撮影中に襲われることもしばしば、

エジプトのピラミッドを登ったり、プロデューサー・ディレクター・編集・マネージャー(お金の調整管理)現地調査など

現代では考えられないほど活発に動き回っていました。

 

50年前の現実世界を見るって、良いですよ~