皆さん、おはようございます。
Angelina & Tommy です。
いつもブログご訪問有り難うございます。
書き続けられれば・・・、私の通ってきた過去を暫くの間書いてみようと思っていますので、興味の無い方はスルーして下さい。
1999年もいつも通りの夏で、父は自分の仕事を完全にアシスタントに任せて、3週間もの間、母を連れて私と息子達に逢いに来ました。
昼間私が仕事に出かけている時は、両親に子供達の面倒を見てもらい、夕食後は父と私は毎晩飲み明かし数時間に渡り、現在の事、過去の事、そして未来の事を語り合いました。
その当時よりもっと過去の話になりますが、
私はアメリカの大学を卒業した数ヶ月後日本に帰国し、実家に戻る事無く関西に住み元夫と結婚することにしました。 今思うと、両親の気持ちなんてさっぱり考えていないただのワガママ娘だったんだと思っています。笑
それでも父は ”私の人生だから好きにさせてあげなさい。そうでないと俺はお前と離婚する!とまで母に言ったんだそうです。
そんな勝手な人生を送って来ているのにも関わらず、私達がビジネスをしていた時には、会社の経理、社会保険、労働保険関係や会社運営のノウハウを全て私に教えてくれました。 私は事あるごとに父に電話をし、何から何まで相談していたのを今でもはっきり覚えています。
また、アメリカに戻り法律の分野で働き始めてからもクライアントの開拓方法や専門職として働く人間としての心得を私にアドバイスしてくれました。
私にとっての父は、お父さん以上の存在で、社会人として生きて行く上でのアドバイザーだったと思っています。
あの最後の渡米の時も、父と私は時間が許す限り二人で色々な話をし続けました。
母は ”二人供、そんなに話す事がよくあるね。 いつまでも飲んでないでさっさと寝なさい!”と怒っていたのも想い出です。笑
今、私がこうやってアメリカ社会でこちらの人達と同等に働いていけるも、全て父のおかげだと思って毎日感謝しています。そして、父を長年支えた母にも感謝しなければいけません。
両親が3週間の滞在を終え日本に帰国し、平常通りの3人の生活にもどりました。
その後暫くの間、買っておいていってくれたお米、沢山の食材、アルコール類(笑)や生活用品は、私達の苦しい生活にはとても役に立ち、心から有り難うという気持ちでいっぱいでした。
そして、数ヶ月後の11月の半ばの週末、近所のボーリング場で次男の9歳の誕生パーティーを行うことになり、お昼頃から夕方までの数時間、ボーリングやゲームをして皆で楽しい一日を過ごしました。
誕生日パーティーが無事に終わり、家に戻ると数件の留守番電話メッセージが・・・
この続きは、また・・・
最後までお読みいただき有り難うございました。
お手数ですが、こちらもポチッとしていただけると嬉しいです。
にほんブログ村
にほんブログ村