
学生時代…16歳の頃に、
中学から20代初頭まで一番の親友だった哲夫と二人で、
信濃町の慶応病院に入っていた銀座キムラヤのレストランで働いていた。
高校一年生の夏休みを、
慶応病院に入っている銀座キムラヤの
フロアや厨房で汗を流して働いた。
確か、
ベースかバイクを欲しくて、
夏休みを全部使って朝から晩まで、
慶応病院の銀座キムラヤで働いた。


[ 慈恵医大にも入っているけど、
慶応病院にも入っていたSTARBUCKS ]
そこでの、
笑える面白い話は満載なんだけど、
何となく書きたくないのです。
久しぶりの慶応病院を訪れたけど、
なんの感慨もなかった。

[ 八重桜が奇麗だった。。 ]
古い病院なんで導線が悪くて、
心電図~レントゲン~採血~診察と、
病院の中を時にお袋を車椅子に乗せたり、
杖をついて歩いてもらったりして、
朝の9時過ぎから午後の2時くらいまで、
歩き回った。
諸名の街の駅のど真ん前にあるし、
月曜日と言う事もあって患者さんでごった返していた。
まずは、
検査入院を五月の最後の週に入院して、
バルーンを弁膜の所に入れて様子を見ながら、
本格的な入院は八月辺りになりそうだ。
このカテーテルは、
以前にもブログに書いたけど、
日本で出来る医師が二人しか居なくて、
その一人が慶応病院にいて彼がお袋の主治医になってくれた。
フランスで700人くらいの患者を処置して、
人に帰って来てからも一度も失敗していない医師。
フランスから始まって、
ヨーロッパの多くの国に浸透して、
アメリカでも受け入れられて、
やっと日本で去年辺りから厚生省?が認可して、
やれる様になったカテーテル。
もう一人の医師は、
神奈川県の病院に居るそうだ。
病院の名前は忘れてしまったけど、
そんな二人の医師の一人に出会えて良かった。
元はと言えば、
掛かり付けの近所の横山外科のkei先生の口利きで、
慈恵医大に行ってそこでの主治医の先生の力添えで、
今の主治医に出会えた訳なんですよ。
随分と、
迷惑をかけて来た家族に、
僕が出来うる限りの恩返しをしたいと思っているので、
今は頑張っているんですよ。


帰りがけに、
青山のカウンセリングスクールに寄って、
今年の学校の予定を聞いて夕飯の買い物も済ませて、
家に戻ったら夕方だった。
何の感慨もないと書いたけど、
何とも言えない気持ちが胸に去来したのも事実。
高校一年生の夏休み、
慶応病院の地下にある銀座木村屋のレストランの厨房で、
沢山茹でてあったほんのり塩味の芝エビを半分以上食べてしまった、
とんでもない高校生だった僕を思い出したりもした。
哲夫と二人で、
馬鹿やりまくった遠い夏の日、、
それ以上に馬鹿な事をやったりした想い出を振り払いながら、
明日に向かって進んで行きたいのです。
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