ラスト・ゲーム | ちいさな、おはなし。

ラスト・ゲーム


強烈な打球がサードの横を抜け、ファウルラインぎりぎりを縫うようにして転がっていった。

レフトを守る息子は必死で斜めに走り、その打球に先回りしようとしたが、とても追いつける球足(たまあし)ではなかった。

このランニングホームランにより、一度は逆転するなどして善戦してきた我がチームも、トドメを刺されたかのように見えた。残るは最終回だけだからだ。

遥か彼方までボールを追って戻ってきた息子の顔は悔しさに溢れている。
見れば、感情を決して表に出さないあの子が、地面を蹴飛ばして怒っているではないか。

それは、自分に対してだ。

けれど、もうだめだという雰囲気はまったく漂わせてはいない。彼はすぐに、遠くからピッチャーに声をかけた。まだ大丈夫だよ、と。

僕がベンチから激励するまでもなく、息子も、その他の子どもたちも、まったく試合を捨ててはいなかった。

成長したな・・・

しみじみとそう思った。

◇◇
息子の親友、4番のマコトがはなった打球が三塁手のグラブに直接おさまった瞬間、試合は終わった。
この試合、二つのフォアボールとレフトフライで見せ場を作れなかった息子は、試合後、しゃがみ込んで肩を震わせて泣いていた。

彼だけでなく、悔し涙など見せたことのないおっとりノンビリの子どもたちが、一人残らず泣いていた。


彼らは概ね、2年生からこのチームにいる。
この約4年のうちに、いろいろなことがあった。

4年生のときに絶頂期を迎えたチームは、春夏連覇、それも全試合コールド勝ちという快挙を達成する。
その後、指導方針をめぐる大人同士の人間関係の軋轢が原因で、監督がエースの息子を連れてチームを去る。
僕も人間関係の対立に巻き込まれ、一時は本気でやめるつもりだった。しかし息子だけを残すわけにはいかない。

後任の監督にと説得されたが、固辞した。
それどころかヘッドコーチも辞して、とにかく黒子に徹するようにした。

週末の朝は、いつもゲーゲー吐きながらグラウンドに行った。

そんな親の姿を感じ取ったのか、息子は大スランプに陥り、バットにボールを当てるのもままならない状態が続いた。

チームはどん底を迎え、かつての栄光が嘘のように負け続けた。
新監督は悩み、胃を壊した。

一人、また一人とやめていく子どもたち。
野球を楽しいと思わせてあげられなかった申し訳なさから、僕たちコーチ陣も落ち込みまくった。

最後の学年を迎えたときには、チームはとうとう6人になった。チームとして大会にエントリーできる人数に4人も足りない。

5年生の力を借りて、半ば無理やりエントリーした。

僕は息子の才能を信じていたから、バドミントンのシャトルを使ったバッティング練習を夜な夜な彼と続けた。

ゴールデンウイークのある日、息子がとてつもなく大きな打球をはなった。
ガラスのエースと呼ばれたタクが、腕を思い切り振るようになり、ありえないほどの球速が出た。
新監督の息子ハルオが俊足に磨きをかけ、4番のマコトがキャッチャーとして突如急成長しはじめた。
キャプテンのガクトが急にチームを引っ張り始めた。

5年生も懸命についてくるようになった。

ズダボロの状態から、いつの間にかチームは復活した。

長女の大手術騒ぎがあった6月・7月、その兄である息子は何かにとりつかれたように打ち続けた。
いつの間にか相手チームのレフトとセンターがギリギリまで深く守るようになった。

長女が退院したその日の午後、兄はサヨナラ打をはなってチームを決勝に導いた。

そして今回の、最後の大会。
宿敵と言われたライバルチームにとうとう勝ち、
迎えた今日の準決勝で、東京都でベスト3に入ったチームとがっぷり四つの闘いぶり。

最後は突き放されたが、堂々の5対3。立派な闘いぶりだった。

僕はまずキャプテンの労をねぎらい、それからタク、ハルオ、マコトの順に肩を抱いてほめたたえた。

最後に、息子のところに行った。

愛しくてたまらない、彼のほっぺたに手を当てた。


温かかった。

僕は涙がこぼれそうになるのをこらえて、


ごくろうさま。大好きだよ。

と、言った。