
話は少し変わります。佛滅百年のころ中インドマガダ国のパータリプトラ(現・パトナ)に都を建てて、厚く佛法を保護し、八万四千もの佛塔を建立し、佛教を世界に広めたのはアショーカ王です。マウリヤ王朝第三世として、その栄光の生涯を閉じようとした頃、孫のサンパティを太子として、実権を託すと、それまで自由自在に佛教教団に布施できたアショーカ王も、次第に自由が制限され、最後には自分の食事に出された銀の皿を布施し、さらに食事に出た半分に切られた菴摩羅の実を鶏雀寺のヤサ長老のもとに送り、これが自分のできる最期の布施であると告げました。ヤサ長老は典座に告げて、この菴摩羅の実をすり潰し、野菜汁を作り、鶏雀寺の全比丘に食べさせたと言われています。古来漢訳経典では、これを「阿育王半菴摩羅果の自由」と呼んでいます。
ここに語られる菴摩羅とは従来マンゴーを指すとされていましたが、最近の研究ではマンゴーではなく、アンマロクという別な果実だといわれます。マンゴーはサンスクリット(梵語)ではアームラAamraといい、アンマロクはアーマラカAamalakaで、発音が似ているためにそれが自生しない中国や我が国では混同がなされたようです。マンゴーは美味な果物であり、アンマロクは小ぶりな果物で滋養強壮のために食されるといいます。・・・とするとアショーカ王は晩年、アンマロクをそうした目的で摂取していたのでしょうか。アンマロクは通常、我が国の露地には生育しませんが、10年ほど以前、種子を取り寄せてまいたところ、ほぼ毎年この時期に咲きます。日本では関東地方以西の各地でみられる、コミカンソウ(小蜜柑草、別名キツネノチャブクロ(狐の茶袋)はアンマロクと同じトウダイグサ科の落葉小高木とされています。