第十章
第十祖。脇尊者は、伏駄密多尊者の下で仕えること三年であったが、一度も(脇を付けて)睡眠することがなかった。ある時伏駄密多尊者がお経を読んで無生ということを体現した。脇尊者はそれを聞いて覚りを開いた。
第十祖。脇尊者。伏駄密多尊者の左右に執侍すること三年。未だ嘗て睡眠せず。一日尊者、修多羅を誦し、及び演無生を演ぶ。師聞て悟道す。 {本則及び現代語訳}
補註―脇尊者(紀元70-150頃)梵名はパールシュバPārśva 波栗湿縛尊者―脇の意味。中インドまたは北インドの出身。仏教の有力な部派である説一切有部の代表的論書『大毘婆沙論』の編纂に中心的役割を果たしたとされ、この論に彼の説が伝えられる。出家したのが老年であったため、悟りを得るまでは脇をつけないという誓いをたてて修行に励み、三年で阿羅漢の悟りに達したという。『付法蔵因縁伝』の記述は短いが、後秦の鳩摩羅什訳の『馬鳴菩薩伝』にはかなり詳しく説いており、その半分は脇長老の事績を述べている。なお真諦三蔵の訳した『婆藪槃頭法師傳』では世親の師を佛陀蜜多羅としている。『伝光録』の機縁は通常『景徳伝灯録』によっているが、この段はむしろ道元禅師の『正法眼蔵行持上』を引用しているようであり『摩訶止観弘決』の記述を引用している。これには太祖もかなり感化を得ているようです。
この段のテーマはあくまでも脇尊者がわずかな睡眠時間も惜しんで修行をしている所に、師の伏駄密多尊者がお経を読んで「無生」という事を身を以て示したので、脇尊者が覚りを開いたという事です。私ども宗門の僧侶は大抵、毎朝本堂で読経をしますが、これは別に何かのためではなく、日常生活の一部として、これを勤めているだけであり、そのこと自体が掛け替えのない人生のひと時であるから、これを大切にせざるを得ない世界なのです。読経が得意であるとか、発声が良いとかの問題でもない。これは全く一座の坐禅と同じであり、無所得の行です。それ以外に覚りを求めることはありません。そこをここでは「無生」と表現しています。以下に瑩山禅師の提唱があります。その提唱の要旨は八十歳と謂う高齢で出家したため、昼は参学誦經し、夜は安禪思惟して、最後まで睡眠しなかったと書かれるが、これはあくまでも脇を席に付けて睡眠することがなく、いわゆる坐睡を貫いたので、周囲の人が貴んで「脇尊者」と慕ったという事です。
師は中印度の人也。本名は難生。初め師、将に誕まれむとするに、父夢めむ。一の白象の背に宝座有り。座の上に一の明珠を安ず。其の光、四衆を照らす。既に覚するに遂に生る。伏駄密多尊者、至て中印度に行化す。時に長者香蓋有り、一子を携えて来り、。尊者を瞻礼して曰く。此の子、胎に処すること六十歳。因みに号難生と号す。復た嘗て一仙者に会へるに、謂此の児は凡に非ずと謂へり。当に法器たるべし、今、尊者に遇ふ、当に出家すべしと。尊者為に落髮授戒す。処胎六十年。生後八十年。都盧一百四十年也しに。始めて発心す。老耄せることいたりて老耄せり。此れによりて発心せんとせし時。人皆いさめて。汝すでに老耄す。徒に清流にあとしてこれなににかせん。出家に二種あり。一には習禪。二には誦経。汝たゆべきにあらず。師世人のそしりをききて。自誓ひていはく。我出家して若し三蔵を学通じ。三明を得ることなくは。誓脇不著席。如是ちかひて。ひるは参学誦経し。よるは安禪思惟して。卒に睡眠せず。初め出家せんとせし時。祥光座を燭して、仍て舍利三七粒現前することを感ず。これより精進し疲れを忘れること三年。遂に三蔵を学通じ。三明智を開く。一日尊者修多羅を誦し演無生を演ずる時、師聞て悟道し。卒に第十祖に列す。{機縁}
ここでは瑩山様が修多羅に就いて述べます。修多羅―〈梵〉sūtraー経―とは元来糸または糸状のものを意味したが,それが,特定の聖典をさすようになった。仏教では,釈尊の教えが文章の形で表現されたものを経 (スートラ) と称し,修多羅などと音写する。これらは,釈尊の入滅直後に行われたとされる第一回の経典の編纂事業 (結集〈けつじゅう〉) をはじめ,その後二回ほどの編纂を経て,整理され,発展させられたという。ここでの瑩山禅師の提唱は、かつて道元禅師が天童山の如淨禅師から示された内容を忠実に踏襲しています。 『宝慶記』には「堂上和尚、示して曰く、了義經とは、世尊の本事・本生等を説きたまへる經なり。その往昔の縁、あるいは名字を説くも、未だその姓を説かず、住処を説くといえども、未だ寿命を説かざるときは、則ち未だ了義にあらざるなり。劫・国・名・姓・寿命・眷属・作業・奴僕等を説き了りて、説かざることなきを、了義と名づくるなり。」―この如淨禅師のお示しに対して道元禅師は直ちに自身の疑問を述べます。「たとい一言半句なりといえども、道理を説き了れるを了義と名づくべきに、如何んぞ、ただ広説のみをもって了義と名づくるや。たとい懸河の弁なるも、もし、未だ義理を明かさざれば、須らく不了義經と名づくべきか。」この青年僧侶の真摯な疑問に対して如淨禅師は「汝が言うことは非なり。」と押え、「世尊の所説は、広も略も倶に道理を尽くせばなり。たとい広説するも道理を究尽し、たとい略説するも道理を究尽す。その道理において究竟せずということなし。ないし、聖默も聖説も、みなこれ仏事なり。所以に、光明を仏事とし、飯食を仏事となす。生天・下天・出家・降魔・成道・維衞・涅槃・尽くこれ仏事なり。見聞する衆生は、俱に利益を得るなり。所以に須らく知るべし、みな了義なりということを。」と懇切に教えられて、道元禅師は終に「和尚の慈誨のごとく保任せば、乃ち仏法祖道ならん。と了解したことは、非常に有名な逸話となっています。この天童山の問答が、そのまま太祖様に継承されています。それが以下の提唱です。
知るべし佛祖の功業として、かくのごとく精進。つかれをわすれて参學・誦経・安禪・思惟す。祖師も又尋常に修多羅を誦し、及ひ無上をのぶ。此れ修多羅といふは、正真大乗経也。同佛説なりといへども、大乗経にあらざれば、誦することなし。了義経にあらざれば、依ることなし。此の大乗経といふは、纖塵をはらふととかず。妄想を除くといはず。了義経といふは、必ず理を尽し、妙を尽すのみに非ず、即ち其事を尽し来る。所謂事をつくすといふは、諸佛の発心より菩提の涅槃にいたり、三乗五乗を説き来て、劫国名号みなもてつくさずといふ事なし、此れを了義とする也。然れば佛経は如是としるべし。たとひ一句を道得し、一理を通得すといへども。一生参学の事おはらずんば、即ち是れ佛祖とゆるしがたし。然れば必ず精進忘疲、発心群をぬけ修行倫を絶して、子細に参到し。委悉に究弁して、夜をもて日につぎ、志をたててちからをおこし、佛祖出世の本懐、自己保任の旨趣、悉く明弁して、一生の間にをひて、理として通ぜずといふことなく、事としてつくさずといふ事なふして、即ち是れ佛祖なるべし。近来祖師の道すたれ。参学の実処なきによりて、卒に一言を通じ一理を通ずるをもて、足んぬと思へり。恐くは是れ増上慢の類なるべし、大におそるべし。道ふをきかずや。道は山の如く、登ればますます高し。徳は海の如し、入ればますます深し。深きに入て底をきはめ。高きに登りて頂をきはめて、始て真の佛子たらん。身心徒に放捨することなかれ。人人悉く道器なり、日日是好日なり。只子細に参と不参とによりて、徹人未徹人あり。必ずしも人をえらぶにあらず、時<をえらぶにあらさること。今の因縁をもて知るべし。既に百四十余、老耄す。然れども志し無二によりて。精進疲を忘れしかば。卒に一生に参学しおはる。実に可憐老骨の身として。左右に侍する事三年。卒に不睡眠といふ。今人は殊に老ておこたることあり、はるかに往古の先聖を思ひやりて、寒苦をも寒苦とせず、暑熱をも暑熱とせずして。身命を断ずと思ふ事なかれ。心慮不及と思ふことなかれ。若し能く如是ならば、すなはち稽古の人なるべし。是れすなはち有道の士なるべし。若し稽古あり有道ならんが如きんば、たれか是れ佛祖にあらざらん。すでに修多羅を誦すといふ。夫れ修多羅を誦すること。必ずしも口に誦し。手に取りて以て転>経とのみすべからず。子細に佛祖の屋裡にして、いたづらに声色の中に功夫せず、無明胎中に行履せず。処処に智慧発生し、時時心地開>明して、すべからく修多羅を誦すべし。十二時中恁麼に行履し来るに、曽て依倚せざらんが如きんば、即ち是れ無生の本性を体達せざるなかるべし。しらずや、生じ来れども従来するところなく、死し去れども亦去処なし。当処に出生し、随処に滅尽す。起滅時とともにおこたらず。故に生是れ生にあらず、死是れ死にあらず。然も参学人として。生死を以て心頭にかくることなかれ。見聞を以て自らへだつることなかれ。たとひ見聞となり、声色となるとも。自の光明蔵なり。眼根より光明を放て。色相荘厳をなし来り、耳根より光明を放て。音声の佛事をきき得たり。手裏に光明を放て。転自転他。脚下に光明を放て、進歩退歩。今日又恁麼の道理を指説せんがために、卑語をつけんと思ふ。要聞麼{拈提}
正法を伝えた佛や祖師の修行にはこのような精進があったことを知るべきだ。それは自己の一時的な心情に振り回されず、佛道の学び・読経・坐禅・思惟をすること。私だけでなく祖師も同じく平素、お経を唱え、行き着くところに行き着いた行い=無上を実修した。ここでいうお経とは自他同じく覚りの岸に渡る教え=大乗経の事。お経にも種種有るが、大乗経でなければ唱えない。世の中には方便を説いて真実を明かさない=了義経でないものがあるが、その教えにはしたわない。ここでいう大乗経とは些細な自己の煩悩を改め、迷いの行いをやめるのではない。了義経とはものの本筋を説き明し、理想を具現するだけではない。今の息はいましないわけにはしかない=その事を尽くし来る。それはどういう事かといえば佛道を行じた祖師の自覚の生命を志す=発心から自覚の在り方、終着点までを示し、個人の器の大小に随ってそれぞれの指針=三乗・五乗を説き明し、具体的にどのような国や世界で修行するか教え示さないことがない。このようなお経を了義経というのだ。だから佛の経典とはそうしたものだと知らなくてはならない。そこで経典の一句を理解し、一つの道理を体得しても、今の息は今しないわけにはいかない=「一生産学の事終わる。そうでなければ佛祖と認める事が出来ない。改めて言えば仏道修行とは疲れに邪魔されず、自覚の生命に生きる事は他人と比較せず、自己の方針で、できうる限りの努力をして、坐禅に生かされる自己を大切にして日夜怠らない。それでこそ佛や祖師は何のためにこの世に生れたのか、自分が生涯に成すべき在り方は何なのかをはっきりさせることなのだ。これこそ理として通じないことがなく、事として尽くさないものがない。これを佛といい、祖師と言うのだ。最近は真面目に仏道修行をする人が少なくなり、一つの言葉を理解し、一つの道理を実感しただけで、自信過剰な人間だ。もうそれでよいと勘違いして、もうそれでよいとする者があるが、それは怠け者のいう事、することだ。古人の言葉に「道は山のようなものであり、登ればますます高くなり、德は海のようなもので、入れば益々深くなる」とある。深い所に入って底を極め、高い所に登っていただきを極めてこそ、はじめて仏の弟子という事が出来る。生きているこの身体と生命を無駄遣いしてはならない。人は誰でも仏道のために生きているのであり、一日一時として大切でない時間はない。それをしっかりと受け止め努力すれば徹した人となり、努力しなければ不徹底な人となる。それはその人の器量ではなく、時宜が悪いという事でもない。
この話からも理解できる。百四十歳と言えば大変な高齢で、気力も衰え見えるが、仏道の志が自己の生命となっていたため、その精進は疲れを感じる事がなく、終に今の息は今しなければならないと受け止め、老骨にムチ打って師匠にお仕えすること三年、その間に脇を寝床に付けて眠らなかった。今の人は年を取ったからと、怠ける事があるが、それは間違いだ。遥か昔の修行の先輩が良い見本を残してくれている。寒くてきついからと理由を付け、暑さきびしいと口実を付けて、怠ってはならない。暑さ寒さは決して修行の妨げにはならない。自分にはできないと決めつけてはならない。もしこの事が実践出来たら、古人を見習う人、仏道に生きる人と言えよう。だから故人を見習う人、仏道に生き切る人は誰でも皆な佛であり、祖師なのだ。
お経を唱えるとは、決して口に唱えたり、手に取って経典をかざすことではない。佛道の世界には決まったお経があるのではない。生活のすべてがそのままお経であり、お経を唱える事なのだ。すべてが自覚の世界であるならば、現在自分が意識している世界で動くのではなく、何時とはなしに存在している自分の事実を尺度とせず、寧ろ自覚の生命に誘われていること、その時その時に佛の力が働いていることが、実はお経を唱えている事なのだ。寝ても覚めてもこのように修行生活をしていれば、自分がどうしてこうなっているのかさえも気が付かない。自分が自覚の人生に生きていることに気が付かない。古人の言葉がある。「生まれたからと言って、持ってきた何物もないし、去ったからと言って、どこへ行くのでもない」と。それはまた出逢うところの総べてが我が生命なのだ。時々刻々常に人生最後のひと時なのだ。だから出会いも分れも自己の生命のすべてなのだと受け止めれば、生れる事も、死ぬことも皆な生死の全現なのだ。だから修行者は生死を念頭に置いていけない。見ること聞くことも、それは他人事ではない。見ること聞くことのすべてが自他一体の光明蔵なのだ。眼のそこから光明を放ち、存在感を持たせ、耳の中から光明をて、音声の佛事を聞くことを可能とし、手の中から光明を放て、自分をお経とし、他人をお経とする。脚の下から光明を放て、進んだり、退いたり。今日この道理をはっきりさせるため、一つの言葉にまとめよう。聞いてくれるかな。{以上拈提現代語訳}
口で説いたり、行いで示したり、随分と沢山のお経を読み続けたものだが、
転じ来り転じ去る幾く経卷ぞ、此に死し彼に生じて章句区なり。
転来転去幾経卷 死此生彼章句区 [頌古及びその現代語訳]
