久しぶりに妹から SNS が届きました。日本に住む人と連絡を取りたいということで、妹の英語の SNS に日本語で返事を書きました。二人とも子どもの頃から長くアメリカに住んでいて、普段のやりとりは英語です。私は普通に会話調で日本語を書いたのですが、妹からはすごい丁寧な日本語が返ってきたので、ちょっといじりました。

その流れで、このブログの語調について考えてみました。
 
日本にいたのは 15 歳までで、当時は「カワイ子ぶりっ子」が流行っていて、私の喋り方はかなり子どもっぽかったと思います。それに、しばらく男の子を装っていたので、ぶっきらぼうな男性の喋り方も自然です。何も考えずに話すと、Naruto の木の葉丸に一番似ているのかな。「これ」を繰り返すところが特に(笑)。男の子っぽい喋り方と、昔のぶりっ子文化の名残が混ざっているのが自分でも面白い。そんなことを考えていたら、自分の日本語の癖や昔の話も思い出しました。

今日も今までのブログのトーンで書いてみようと思います。
それでは幼馴染の思い出に戻りましょう。

Sくんは Sちゃん(1つ下)とは違って 2 歳上の男の子。隣に住んでいて、Sくん家族と Sちゃん家族とうちの家族は結構親密な関係でした。Sくんと Sちゃんの家族は時々一緒に旅行に行くほど仲が良かったようです。うちの母は人嫌いで、旅行などはとんでもない浪費と考えていたので、私の家族が参加することはありませんでした。でも私は Sくんと Sくんのお母さんになついて、しょっちゅう家にお邪魔していました。

Sくんのお母さんは、私にとって「近所のおばさん」以上の存在だったのかもしれません。今でも SNS や FaceTime で時々話しています。母の妄想がひどくなってからは、おばさんも母に嫌われてしまいましたが、それでもずっと気にかけてくれています。

Sくんの部屋は 2 階。飛行機のプラモデルがあちこちに置いてありました。誰にも話していませんが、私の最初の憧れの人はいとこの Yちゃんで、Yちゃんも飛行機のプラモデルが好きでした。Sくんと Yちゃんは会ったらすごく良い友達になると信じていましたが、二人が一緒に遊ぶことはありませんでした。

Sくんにとってプラモデルはとても大切。一度だけ、集中して着色しているときに「邪魔しないで」と言われたことがありました。しかし2 歳年下の私を避けることもなく、いつもよくしてくれました。大抵は二人で Game of Life(ライフゲーム?)で遊んでいました。Life は二人だけだと結構退屈なのですが、それでもよく遊んでいたような気がします。

私は負けず嫌いで、最初に Life をしたとき負けて泣いたのを覚えています。Sくんが困った表情をして、Sくんのお母さんが上に上がってきました。私は少し焦りました。母に妹を大切にしなかったということで乱暴にはたかれた経験が何度もあり、Sくんに同じことが起きてほしくないと思ったからです。

でも、おばさんは違いました。Sくんが冷静に状況を説明し、おばさんが私にそれが本当か聞きました。私がうなずくと、「下でおやつの用意ができているからおいで」と。泣き終えた私と Sくんは、何もなかったように下に降りて、おばさんとお菓子を食べながら話をしました。

良い幼馴染の思い出はここまで。子どもの頃の記憶は、良いものも悪いものも鮮明に残るものですね。次の機会には、少し苦い思い出を話しましょう。