自己責任ってなんやねん | フィリピン・アラバンのななつことば

2001年に大学生だった私は
MDで宇多田ヒカルを聞きながら通学していました。

そんな頃
「すっごい面白い授業があるよ」
と友人に誘われて行ったのが一般教養科目のジェンダーの授業でした。

その頃はLGBTという単語も一般的ではなかったし、
「ジェンダー、ナニソレおいしいの?」って思いました。


授業に出てから初めてランドセルの色を意識したり、これまでの様々な刷り込みにも気づいたりして
目が開いた気がしました。


「それってジェンダーじゃない」って言い合うのが友人の間でしばらく流行りました。



日本でジェンダーと言えば上野千鶴子先生。

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『世代の痛み - 団塊ジュニアから団塊への質問状 』






友人に貸してもらって読みました。


親子とは一体何なのか、と考えていたところにタイミングよくこの本に出会えてよかったです。


私は1983年生まれなので雨宮さんとは10歳くらい違うとはいえ、自分ごとにしか感じられなくて、
特に前半は苦しくなってしまい読み進めにくかったです。


閉じ込めていた気持ちを目の前に突きつけられた気がして。


親世代の団塊の世代も気の毒だけど、その世代に育てられた私たちも不幸です。

上野先生の言うように、団塊の方々は怒りの矛先を外に向けられたけど、我々は内に向けてしまう。


なぜ自分が「他人に迷惑をかけてはいけない」と呪いのように思ってきたことが、「なるほどそうだったのか!と理由がわかってスッキリしたのと同時に、でも問題はすぐには解決できないわよね、と暗澹とした気持ちになりました。

自己責任って思わされてきたわけよね。

つまり社会のせいよね。


でも社会って何かしら。
投票すれば変わるのかしら。

もう逃げるしかないのかしら。


なんだかとっても悲しい。

負の連鎖は我々の代で止めたい。