先日、同郷会に参加したときに
叔父(姨父)の妹にも会った。
叔父は80歳、現役のカメラマン。
同郷会に参加するより、
仕事を選んだ。
いつでも叔父はいつも仕事が優先。
仕事を休んで参加するなんてありえない。
仕事を休む時って、
葬式ぐらいだろう。
叔父は私の周りには少なくなった一世、
つまり中国生まれだ。
叔父の妹にも会うのは久しぶり。
血はつながらないけど、
子供の頃が知ってる。
宴会の時も席が隣になった。
中国の田舎の話になった。
約20年前に福建の田舎へ行った時、
自分ちはもちろん、
母方の祖父母の出身地をはじめ
いろんな親戚の家を回った。
最後に叔父の家に向かった。
叔母の隣にずっといたから、
叔父の親戚はどうやら私を叔父の娘だと
勘違いしていた。
やたら愛想がいい。
中国で愛想よくされると気味悪い。
叔父の家郷に到着して
初めて私が叔父の娘じゃないことに気がつく
親戚一同。
私、全然似てないじゃん!!!
叔父の妹に
その時の写真を見ると
もう一回行きたいなと思うと話しをしたら。。。。
「写真がほしい」という。
叔父の妹は日本生まれ。
家郷に行ってから、
考え方が変わったんだとか。
当時叔父の生活していた家が残っていて、
その写真を撮った。
その家の裏にある砂浜の写真も撮った。
砂浜の向かい側は台湾。
嵐の時はどうしてたんだろう???
ネガはあるんだけど。
焼き増ししてくれんのかな?
最近はデジカメばっかりだったから。
あ、でも従兄がカメラマンだ。
ネガを従兄に渡せばいいのか。。。。
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先に日本へ行った旦那さんを追って、叔父のお母さんは
叔父を連れて日本へ出発しようとしていたらしい。
が、叔父は逃げ回って一緒に日本に行かなかった。
なんでなんだか自分もよくわからないらしい。
船の時間があって叔父のお母さんは
仕方なく姑に叔父を託したんだとか。
叔父は奶奶が大好きだったんだろうな。
叔父は奶奶の言いつけをよく守ったらしい。
「自分が死んだら、村の人たちにちゃんと知らせるんだよ」
叔父に言わせると奶奶は
自分の死期が分かっていたらしく、
亡くなる前の晩、きちんと具体的に叔父に伝えていたらしい。
亡くなった奶奶と一晩一緒に寝て、
陽が昇ってから
村の人たちに知らせたらしいんだけど。
葬儀が終わってからは親戚のお世話に。
今見たいに便利じゃないから、
日本にいる両親に連絡するのも大変な時代。。。
日本に来る前の数年間は、
いろいろと大変だったらしいけれど、
叔父はいろんな大変なことを乗り越え
上海から一人で船に乗ってきて
長崎に無事到着した。
叔父7歳の時の話だったかな?
日本語もできないのに。
だいたいうちの田舎から上海に行くまでが大変だ。
人間寿命はくるけれど、
無事に日本に到着し両親と再会できたこと、
戦時中の苦労、被爆体験。
その他いろんな苦労をしたけれど
叔父は80歳になるまで現役で働いている。
現在の自分自身にできる
先祖に対して礼を尽くせば
先祖は守ってくれる。
叔父のことを思い出すと
いつもそう思う。