4月20日(金)。
はちゃめちゃに忙しい時に、一人出張に行くのはちょっとうしろめたい気持ちでしたが、朝に会社で一仕事して東京駅へ。

天気は曇り
いつものことだが新幹
は満席
富士山は全く見えない。

名古屋で近鉄特急に乗り換え。

ここでたまたま同じ特急に乗る各社の委員とホームで合流。

近鉄特急の車内はこれまた満席。
新幹線と違うのは、明らかに観光目的のご婦人のグループが多く、車内がにぎやかなこと。

昼食はひつまぶしのお弁当を売店で購入。
ビールを飲みたいところをぐっと我慢してお茶で完食。美味

途中、津で、ついに雨が降りだした

宇治山田駅で事務局と各社委員全員12名が集合。

マイクロバスで伊勢神宮参拝へ向かいます。


今回の出張の目的は、20年毎に行われる、式年遷宮のための寄付がどのように使われるのかを現地視察で確認すること。
平成25年の式年遷宮の百億円を超える費用をまかなうために平成20年から22年にかけて、経済界から70億円、そのうち私の勤務先が属する業界から
7億円を各社が拠出しました。

その寄付を審議する委員会のメンバーによる現地視察は、本当は、寄付直後の昨年4月の予定でしたが、東日本大震災があったので1年延期になっていました。

受付を済ますと、宇治橋の前で、神職の中西さんがわれわれの案内についてくださいました。

宇治橋を渡る前にまず神社についての説明です。

宇治橋鳥居、後ろが宇治橋

伊勢神宮とよばれていますが、正式名称は「神宮」または「皇大神宮」
皇室の祖先とされる天照大御神をお祭りしています。
はじめは皇居内にお祭りしていたものを、二千年前にこの五十鈴川の地にお鎮まりになられたものだそうです。

この内宮の正殿に
三種の神器のひとつの「
八咫鏡(やたのかがみ)
が安置されているそうです。

三種の神器とは、天孫降臨の時に、天照大御神から授けられたという鏡・剣・玉を指し、歴代天皇が継承してきた三種の宝物で、
八咫鏡 ・ 八尺瓊勾玉天叢雲剣(「草薙剣」)のこと。
八尺瓊勾玉は熱田神宮に、天叢雲剣(「草薙剣」)は皇居内に安置されています。 

次は鳥居についての説明。
他の神社と異なり、中の横木が左右に突きぬけていません

五十鈴川にかかる宇治橋をわたります。
この橋も式年遷宮でかけかえるのですが一足早く平成21年に完成したものです。
この橋は橋脚は欅(けやき)、橋そのものは檜(ひのき)で、宮大工と船大工の手になるもの。

橋板のあわせの技術が船大工によるものですが、和船を作る大工さんが減ってしまったので、全国から集めるのが大変なのだそうです。

橋を渡ったところにある鳥居は前回の式年遷宮で取り壊した正殿の柱を再利用しているもの。
この檜の柱の太さから正殿の大きさが類推できます。

途中、手水舎(てみずしゃ)でお清めをします。
①右手で柄杓を持ち、水をすくいます。
②左手に水をかけて洗います。
③左手に持ち替えて右手に水をかけて洗います。
④右手に持ち替えて、左の掌に水をためて口をすすぎます。
⑤残った水で柄杓の柄を洗います。
ここまで、最初にすくった一杯の水ですべてを行います。

メンバー全員で教わったとおりにしたことは言うまでもありません。 


一の鳥居、二の鳥居と参道を進みます。

それから「神社」には締縄が一切ありません。
すべて、です。
狛犬も大陸からの伝来であり、この「神宮」にはありません。

あいにくの雨ですが、中西さんによれば、お清めの雨で、これはこれでいいことだそうです。
天皇陛下が参拝にお見えになる時も雨のことが多いそうです。
ただ、正殿に参拝されるときは、雨が止むそうですが。

式年遷宮に使う木材は
一万本
とのこと。
国有林のものが過去はつかわれていたのですが、今回から、そのうちの四分の1は敷地内の山の檜を使うことになったとのこと。
大正時代に植林した檜が80年たって、やっと使えるまでに育ってきたそうです。
「神宮」の面積は約55平方kmで世田谷区と同じくらいあるそうです。
広いです 

境内には、樹齢300年を超える杉がたくさんあったそうですが、1959年の伊勢湾台風でほとんど倒れてしまったのだそうです。

雨の境内を説明をしてもらいながら歩いて神楽殿に到着。

中央、奥が神楽殿

靴を脱いで、神楽殿に入り、控室に案内されます。
お巫女さんがお茶を出してくれます。
湯呑茶碗に「神宮」の印があり、それが正面に来るようにしてくれます。

これがその印

控室で、神楽を待つ間、神職の方が少し、お話をしてくださいました。
この日は二十四節気の一つ「穀雨」にあたり、穀物の成長を助ける雨なので縁起がいいのだそうです。ものは考えようで、プラス思考でいけばなんでもそう解釈できるなぁと感心してしまいました。


室内はもちろん祝詞、神楽は撮影禁止でした。
(注意される前に神楽殿の室内を1枚撮影しちゃいました。すみません


お巫女さんが神前へのお供えを捧げ、祭主が祝詞奏上をします。
通常、神道ですと、二礼二拍手一礼ですが、「神社」の神職だけは
二礼八拍 一礼
でした。ちょっとびっくり。
あとで中西さんに尋ねたら、ここでは神職だけが特別にそうするのだそうです。

神楽は雅楽の4人の奏者が4人とお巫女さん4人での倭舞(やまとまい)です。

ずっと正座をしていたのですっかり
足がしびれてしまいました

メンバーも同じでしばらくみんな歩き方がぎこちない


神楽殿を出て、内宮の正殿へ向かいます。

正殿は天皇皇后両陛下しか入ることができないのだそうです。

参拝者は4重の柵のひとつ中にはいったところから拝礼をします。

ここもすべて撮影は禁止。

われわれは特別にもうひとつ柵を入ってところまで案内をしてもらって拝礼をしました(もちろん二礼二拍手一礼)

正殿は弥生時代の高床式倉庫の建築様式とのこと。
はるか昔は米蔵が集落の中心だった(登呂遺跡など確かにそうなっている)ものが発展して国になっていったことから、この建築様式が踏襲されてきたものです。

地面に穴を掘り、太い木の柱を立て(掘立式というそうです)、屋根は萱葺です。

すでに隣の敷地では平成25年の遷宮に向けて上棟式を終えて工事が進んでいるとのことでした。

式年遷宮は戦国時代に中断を余儀なくされたが、それ以外は20年毎に1300年前から現在までずっと続けられてきました(だから次回が62回でも計算違いではないのです)。
われわれが目にしている
「神宮」の建物や森、祭礼の様式などはほぼその飛鳥時代当時からのものと同じと考えてよいそうです。

五十鈴川の「い」は「忌」とか「齋」とかに通じるもので、洗い清めるという意味に通じるのだそうで、「いすゞ自動車」の社名はここからとったとのこと。
毎年、新年に社長以下幹部の方が、参拝におみえになるのだそうです。


全国に神社は8万あまり。
神職は2万人あまり。

全国の神社はそれぞれが独立していて、総本山とか末寺のような組織ではない。

伊勢神宮の職員は650人で、うち神職は110人おり、全国で一番。
出雲大社や明治神宮ですら神職は50人程度。

伊勢神宮は世界遺産にも国宝にも指定されていません。
天皇家の祖先を祭る神社であり、特別な存在であることがよくわかりました。

その後、30分ほど自由時間に雨の「おかげ横丁」を散策。
四日市のホテルへ移動し、定例委員会で寄付案件を審議。
懇親会をして、翌日は懇親ゴルフでした。
とっても楽しいゴルフでしたが、だれひとりグロスで100を切れなかったということで結果の詮索はしないでください。

かな~り勉強になった出張でした。

PS:特に文献で調べた訳ではなく、聞いたことのうろ覚えの記憶なので間違っているかもしれません。