【書名】終わらざる夏 (上下)

【著者】浅田次郎  2010年

     お父さんのささやかな幸せと抵抗-終わらざる夏 上お父さんのささやかな幸せと抵抗-終わらざる夏 下

忘れ去られようとしているかの事実に、そこにいたであろう普通の人々の生活、思い、を重ねた、重厚かつ、つらく悲しい物語である。

読み応え度:★★★★★

■事実

日本軍大本営は、アメリカが南洋諸島とアリューシャン列島の2方面から進攻してくるとの予測をし、日ソ中立条約があるのでソ満国境に展開していた陸軍最強の機甲師団を千島列島の先端にある国境の小さな島、占守(シュムシュ)島に転進させた。

     
お父さんのささやかな幸せと抵抗-終わらざる夏 地図

しかし、アメリカは南太平洋の島づたいに日本軍を撃滅しながら本土を目指した。

そのときには北辺にいる精鋭部隊を南方へ移動させる船舶はすでになく、かれらは戦わぬまま昭和20年8月15日に終戦を迎えた。

その機甲師団は第91師団で、兵力23000人。虎の子の戦車第11連隊は74両の戦車を有していた。

8月18日になってソ連軍が占守島へ上陸してきて戦闘状態となった。

日本軍の激しい反撃に耐え切れなくなったソ連軍は、遺棄死体100以上を残して上陸地点である竹田浜方面に撤退した。
戦車連隊の損害も少なくなく、戦車27両が撃破され、池田連隊長以下96人が戦死した。
だが、その代償と引き替えに、第11連隊はソ連軍の内陸部への侵攻を阻止したのである。

その後、各地で小戦闘を交えながらも、現地の日ソ両軍間で停戦交渉が成立し、8月21日午後、堤師団長とソ連軍司令官グネチコ少将が会同して降伏文書の正式調印が行われた。

占守島戦全体における最終的な損害は、日本軍約800人、ソ連軍は約3000人に達した。

終戦後に攻撃してきたソ連軍と戦い、優勢だった日本軍が降伏し、武装解除を受けた。
日本軍捕虜はシベリアへ抑留され強制労働に従事させられた。


■物語

翻訳出版社の編集長で英語が堪能なことから45歳で召集された片岡直哉
医大から召集された軍医の菊池忠彦
金鵄勲章を賜りながら、3回目の召集となった輜重(しちょう)兵の鬼軍曹、富永熊男

  【金鵄勲章】
   金鵄勲章はかつて制定されていた日本の勲章の一つ。
   授与対象は大日本帝国陸軍と大日本帝国海軍の軍人軍属。
   「金鵄」という名前の由来は、神武天皇の東征の際に、神武の弓の弭にとまった黄金色の
   トビ(鵄)が光り輝き、長髄彦の軍を眩ませたという日本神話の伝説に基づく。


占守島に配属された、岩手県を本籍とするこの3人の補充兵を中心に、彼らの妻や子供、母親や縁者、教師や友人たちの運命を重層的に描いていく。

戦争末期の東京の市民の生活、盛岡の市民の生活、徴兵事務の実態、学童疎開の生徒や教師の生活、占守島を守る第一線の将兵の様子。
作者は実際の戦争体験はないはずだが、その描写は丁寧な調査をうかがわせる。

これらを重ね合わせながら、丹念に描き、物語の進展とともに、個々のストーリーが一つの流れに収束していく。

誰一人として戦争を賛美する者はいない。
しかし、それぞれが抗うことができず、戦争に巻き込まれていく。

戦場に出た者はほとんどみんな生還することはかなわなかった。

仮に生き残ったとしても、極寒のシベリアに抑留されて、再び日本の土を踏むことができたかどうか・・・

悲しく、切ない物語であった。


■感想

天皇の「聖断」によって戦争は終わり、戦後が始まったはずだった。
本来、武装解除されるべき日本軍のいた、北辺の地、では、まさしく戦端が開かれようとしていた。

戦争が終わるとき、戦争が始まる。
この大いなる矛盾が、戦う兵、死にゆく兵たちを巻き込んで炸裂するとき、戦争の虚しさと非情さ、そして愚かさが胸を打つ。

国家が行う戦争を、総力戦で支えた将兵や市民の一人ひとりの生活におきかえたとき、戦争の大義、正当性などは見えてこない。

人生を、夢を、ねじ曲げられる人々、そしてそれに従っていく人々が見えるだけだ。

物語であるのだから、できれば、登場人物たちには、戦争が終わり、家族のもと、ふるさとに帰還し、貧しくとも日本の復興に進む姿を想像したかった。

しかし、作者はそんな平和ボケの結末は用意してくれなかった。

歴史の見方はひとつの正解があるのではなく、何を基準に評価するかで何通りもの評価ができるものだと思う。

占守島の日本軍将兵の善戦が、ソ連軍の計画していた北海道占領作戦を断念させたともいえる。
これを、無駄な戦い、戦死者は犬死にと一概に切り捨てるだけでは、歴史を一面的にしか見ないことになるのだろう。

物語の最後の舞台は、彼らのうちの生き残った者が理不尽にも抑留されることになった酷寒のシベリアの強制収容所。

すべてが徒労のなかでうち沈んでいく。
凍てつくような悲しみを癒す「間奏曲」のように聞こえるコサックの兵士、サーシャの独白。

彼の夢とも現実とも定まらない中で、脳裏に浮かぶようすが物語の結末を語る。

日本人だけで3百万人以上が亡くなった太平洋戦争。

現代を生きるわれわれは、歴史の資料の一ページとして風化させることなく、事実として記憶に語り継いでいく必要があると考えさせられた。



とりとめのない、ひとりよがりの感想におつきあいくださり、ありがとうござました。