【第7日目】
朝食をとりながら今日の予定を考える。
フィレンツェの中心部はほとんど歩き回ってしまった…
そうだ
ピサの斜塔
を見に行こう
ということでピサへ行くことにしました。
早速、駅まで歩いて10分足らず。
券売機でチケットを買い、9:28発の電車に乗車。
あっという間に満席となり、発車。
こんな電車でした。
10:30ピサ中央駅に到着。
東京から1時間とすると、鎌倉に行ってくる感覚でしょうか。
駅を出て、インフォメーションでMAPをもらう。
インフォメーションへ行くと必ずどこから来たかを聞かれ、スタッフがチェックしていた。
もちろん「TOKYO JAPAN」って答えていました。
すでに日差しは強く、東京より湿度が低いのが救いといった状態。
暑い
15分ほど歩くと見えてきました!
斜塔です。
入館のチケットはと、チケットオフィスで見ると、14:30まで売り切れ。
3時間も待っていても、やることもないし、暑いし、だいたい私は高所恐怖症なので、なにがなんでも斜塔に昇りたいという意欲はありません。
そこで、周囲の観光客と同じことをして遊びました。
そうです。これ
周りの観光客はみ~んな交代交代に写真を撮って遊んでいました。
ここの芝生だけは入ってもよいと看板がでていました。
フィレンツェ中心部と違って、緑があると気持ちが安らぎます。
せっかくやってきたのでドゥオーモに入ります。
しかし、本当にすごい傾きです!
お勉強
ピサ市にあるピサ大聖堂の鐘楼であり、世界遺産「ピサのドゥオモ広場」を構成する観光スポットである。
高さは地上55m、階段は297段あり、重量は14,453t、地盤にかかる平均応力は50.7tf/m2と見積もられている。
一時傾斜の増大と倒壊の危惧があったがその後の処置により、当分問題ないと判断されている。
現在の傾斜角は約5.5度で、傾斜の進行は止まっているそうである。
最上階層のみ鉛直に建てられている。
オリジナルの建築計画上では現在あるものよりも遥かに高い鐘楼ができる予定であったという。
しかし「ピサの斜塔」として世界で最も有名な不等沈下の事例として現在もその姿を保つこととなった。
おまけ
ピサは科学者ガリレオ・ガリレイの生誕地である。
ピサは強固な海運国家として成長し始め、歴史的なイタリアの海洋国家4つのうち1つ(その他の3つとは、アマルフィ共和国、ジェノヴァ共和国、そしてヴェネツィア共和国)に数えられる伝統ある栄誉を獲得した、11世紀に頂点に達した。
海洋都市国家ピサの旗
ちなみに現在のイタリア海軍旗は前述の4つの海洋国家の旗を合わせたものである。
ヴェネチア(左上)、ジェノヴァ(右上)、ピサ(右下)、アマルフィ(左下)
最近、十字軍物語2(塩野七生 著)を読んだばかり。
ちょっと聞きかじりの知識でした
過去に、ローマ人の物語、海の都の物語、ローマ亡き後の地中海世界などほとんどの著作は読んでいます。
ちなみに塩野七生さんは高校の大先輩でした。
十分に斜塔を楽しんだので、ランチをして帰ることにしました。
カヴァリエーリ広場を過ぎると数件レストランがありましたが、結構値段が高い。
道を1本裏に入ったピッツェリアに入りました。
冷たいビールで乾杯
それにあつあつの石焼窯のピザ
それはそれはおいしかったです。
ピサ中央駅14:30発の電車に乗車。
15:30フィレンツェへ戻りました。
ショップを見て歩きまわりながら、
サンティッシマ・アンヌンツィアータ教会へ行きます。
とても素朴で静かな教会でした。
しばらく、中で座って厳かな静寂にひたっていました。
お勉強
フィレンツェにあるルネサンス様式の教会。
13世紀に小礼拝堂として創建。
15世紀にミケロッツォ=ディ=バルトロメオとレオン=バティスタ=アルベルティにより再建され、現在の姿になった。
ポントルモらによるフレスコ画がある。
この日は相当に暑かったと思う。
奥さんとふたり、それぞれに500ccのペットボトルの水を一気飲みしても汗も出ない
あわや脱水状態一歩前か
ホテルまで戻る道すがら、またしてもショッピングをしながら歩き回る。
ホテルで一息入れ、19時過ぎに夕食へ出かける。
フィレンツェ最後の晩は、
サンタ・クローチェ教会の広場
に面したレストランへ。
20時過ぎまで明るいのですが、西日を受ける教会の白いファザードが、ワインを飲みながら過ごすうちに、だんだんと闇に溶け込んでいくのは気持ちのよい光景でした。
このレストランはちょっと高めのようだったので、ワインは白をグラスで。
ディナーのメニューは
グラスワイン(白)
生ハム&モッツァレラ
ボロネーゼ
ティラミス&チョコレートケーキ
今宵もおいしゅうございました。
ホテルへの帰り道に、やはりジェラートをいただく。
~続く~
朝食をとりながら今日の予定を考える。
フィレンツェの中心部はほとんど歩き回ってしまった…
そうだ
ピサの斜塔
を見に行こう
ということでピサへ行くことにしました。
早速、駅まで歩いて10分足らず。
券売機でチケットを買い、9:28発の電車に乗車。
あっという間に満席となり、発車。
こんな電車でした。
10:30ピサ中央駅に到着。
東京から1時間とすると、鎌倉に行ってくる感覚でしょうか。
駅を出て、インフォメーションでMAPをもらう。
インフォメーションへ行くと必ずどこから来たかを聞かれ、スタッフがチェックしていた。
もちろん「TOKYO JAPAN」って答えていました。
すでに日差しは強く、東京より湿度が低いのが救いといった状態。
暑い
15分ほど歩くと見えてきました!
斜塔です。
入館のチケットはと、チケットオフィスで見ると、14:30まで売り切れ。
3時間も待っていても、やることもないし、暑いし、だいたい私は高所恐怖症なので、なにがなんでも斜塔に昇りたいという意欲はありません。
そこで、周囲の観光客と同じことをして遊びました。
そうです。これ
周りの観光客はみ~んな交代交代に写真を撮って遊んでいました。
ここの芝生だけは入ってもよいと看板がでていました。
フィレンツェ中心部と違って、緑があると気持ちが安らぎます。
せっかくやってきたのでドゥオーモに入ります。
しかし、本当にすごい傾きです!
お勉強
ピサ市にあるピサ大聖堂の鐘楼であり、世界遺産「ピサのドゥオモ広場」を構成する観光スポットである。
高さは地上55m、階段は297段あり、重量は14,453t、地盤にかかる平均応力は50.7tf/m2と見積もられている。
一時傾斜の増大と倒壊の危惧があったがその後の処置により、当分問題ないと判断されている。
現在の傾斜角は約5.5度で、傾斜の進行は止まっているそうである。
最上階層のみ鉛直に建てられている。
オリジナルの建築計画上では現在あるものよりも遥かに高い鐘楼ができる予定であったという。
しかし「ピサの斜塔」として世界で最も有名な不等沈下の事例として現在もその姿を保つこととなった。
おまけ
ピサは科学者ガリレオ・ガリレイの生誕地である。
ピサは強固な海運国家として成長し始め、歴史的なイタリアの海洋国家4つのうち1つ(その他の3つとは、アマルフィ共和国、ジェノヴァ共和国、そしてヴェネツィア共和国)に数えられる伝統ある栄誉を獲得した、11世紀に頂点に達した。
海洋都市国家ピサの旗
ちなみに現在のイタリア海軍旗は前述の4つの海洋国家の旗を合わせたものである。
ヴェネチア(左上)、ジェノヴァ(右上)、ピサ(右下)、アマルフィ(左下)
最近、十字軍物語2(塩野七生 著)を読んだばかり。
ちょっと聞きかじりの知識でした
過去に、ローマ人の物語、海の都の物語、ローマ亡き後の地中海世界などほとんどの著作は読んでいます。
ちなみに塩野七生さんは高校の大先輩でした。
十分に斜塔を楽しんだので、ランチをして帰ることにしました。
カヴァリエーリ広場を過ぎると数件レストランがありましたが、結構値段が高い。
道を1本裏に入ったピッツェリアに入りました。
冷たいビールで乾杯
それにあつあつの石焼窯のピザ
それはそれはおいしかったです。
ピサ中央駅14:30発の電車に乗車。
15:30フィレンツェへ戻りました。
ショップを見て歩きまわりながら、
サンティッシマ・アンヌンツィアータ教会へ行きます。
とても素朴で静かな教会でした。
しばらく、中で座って厳かな静寂にひたっていました。
お勉強
フィレンツェにあるルネサンス様式の教会。
13世紀に小礼拝堂として創建。
15世紀にミケロッツォ=ディ=バルトロメオとレオン=バティスタ=アルベルティにより再建され、現在の姿になった。
ポントルモらによるフレスコ画がある。
この日は相当に暑かったと思う。
奥さんとふたり、それぞれに500ccのペットボトルの水を一気飲みしても汗も出ない
あわや脱水状態一歩前か
ホテルまで戻る道すがら、またしてもショッピングをしながら歩き回る。
ホテルで一息入れ、19時過ぎに夕食へ出かける。
フィレンツェ最後の晩は、
サンタ・クローチェ教会の広場
に面したレストランへ。
20時過ぎまで明るいのですが、西日を受ける教会の白いファザードが、ワインを飲みながら過ごすうちに、だんだんと闇に溶け込んでいくのは気持ちのよい光景でした。
このレストランはちょっと高めのようだったので、ワインは白をグラスで。
ディナーのメニューは
グラスワイン(白)
生ハム&モッツァレラ
ボロネーゼ
ティラミス&チョコレートケーキ
今宵もおいしゅうございました。
ホテルへの帰り道に、やはりジェラートをいただく。
~続く~