【第2日目】
今日はミラノの街を散策。
まずはホテルでしっかりと朝食。
ミルク、グレープフルーツジュース、
パンの種類は豊富。クロワッサンにした。
スクランブルエッグ、ベーコン、野菜のソテー、ハムなど料理も豊富。
フルーツも種類があっておいしい。ヨーグルトはプレーンにした。
紅茶のカップが蓋付きでかわいい。
デザートの自家製タルトも数種類。甘すぎず、おいしい。
ホテルを出て大通りを南へ下る。
スカラ座から
エマヌエーレ2世のガレリアを抜けてミラノ大聖堂へ。
正面の白色がきれいである。
日曜日のミサが行われていたが、ツーリストは入れてもらえなかった。
大聖堂前の広場を囲む一角が
エマヌエーレ2世のガレリア
お勉強
ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世(Vittorio Emanuele II di Savoia、1820年3月14日 - 1878年1月9日)は、サルデーニャ王国の最後の国王(在位:1849年 - 1861年)、およびイタリア王国の初代国王(在位:1861年 - 1878年)。
1859年、イタリア統一戦争を開始する。
フランス皇帝ナポレオン3世との間にプロンビエールの密約を取り付け、その支援のもとにオーストリア帝国を退けたものの、代償として王国発祥の地サヴォワとニースを失った。
トリノ、フィレンツェと首都を移転させた後、1870年に教皇領を併合し、ローマに都を構え、イタリア統一を果たした。
1861年3月17日にイタリア議会において国王即位を宣言し、1861年から1878年までイタリア王として統治した。
店舗の開店前なので人通りがないが日中は人でいっぱいだった。
ミラノ最古の鐘楼(11世紀)のある
サン・サティロ教会
へ行く。中へは入れない。
サン・ロレンツォ・マッジョーレ教会
ミラノの建造物の中でも最古の部類に入る。
初期キリスト教の時代、4~5世紀の建築。
教会正面に、ローマ皇帝コンスタンティヌス1世の立像がある。
お勉強
ミラノ勅令は、313年にローマ皇帝コンスタンティヌス1世(当時は西方正帝)とリキニウス(同・東方正帝)が連名で発布したとされる勅令である。
一般に、全帝国民の信教の自由を保障した内容とされる。
世界史で習ったですね。
勅令発布以前、ディオクレティアヌス帝はキリスト教徒を迫害したが、
その後311年、東方正帝ガレリウスは弾圧をやめ寛容令を発した。
これを受ける形で、当時西方正帝だったコンスタンティヌス1世(のちに単独皇帝となる)は、
キリスト教を帝国統治に利用しようという意図もあって「ミラノ勅令」を発布。
他のすべての宗教と共にこれを公認した。
380年にはテオドシウス1世によってキリスト教はローマ帝国の国教とされた。
この「勅令」はすべての宗教の完全なる信仰の自由を保障するものであった。
「ミラノ勅令」という名称からミラノで発布されたと勘違いされがちである。
ミラノはコンスタンティヌス帝とリキニウス帝が会談した場所である。
次は出発前に予約をとっていた、世界遺産
「最後の晩餐」
の見学。
予約番号でチケットが発券され、25人で15分間。
時間になるとおばちゃんがチケットを確認して次の部屋へ入れてくれる。
ドアは自動で閉まってしまうので、モタモタしていると取り残されるので注意!
空調の行きとどいた部屋で、淡い照明で静かに鑑賞できるようになっている。
当然カメラは禁止。
お勉強
『最後の晩餐』は、レオナルド・ダ・ヴィンチが、彼のパトロンであったルドヴィーコ・スフォルツァ公の要望で描いた絵画である。
これはキリスト教の聖書に登場するイエス・キリストの最後の日に描かれている最後の晩餐の情景を描いている。
ヨハネによる福音書13章21節より、12弟子の中の一人が私を裏切る、とキリストが予言した時の情景である。
絵はミラノにあるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂の壁画として描かれたもので、420 x 910 cm の巨大なものである。
レオナルドは1495年から制作に取りかかり、1498年に完成している。
ほとんどの作品が未完とも言われるレオナルドの絵画の中で、数少ない完成した作品の一つであるが、最も損傷が激しい絵画としても知られている。
また遅筆で有名なレオナルドが3年でこの絵を完成しているのは彼にしては速いペースで作業を行ったと言える。
「レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』があるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会とドメニコ会修道院」は世界遺産に登録されている。
17世紀には絵の下部中央部分に食堂と台所の間を出入りするための扉がもうけられ、その部分は完全に失われてしまった。
17世紀末、ナポレオンの時代には食堂ではなく馬小屋として使用されており、動物の呼気、排泄物によるガスなどで浸食がさらに進んだ。
この間、ミラノは2度大洪水に見舞われており、壁画全体が水浸しとなった。
1943年8月、ファシスト政権ムッソリーニに対抗したアメリカ軍がミラノを空爆し、スカラ座を含むミラノ全体の約43%の建造物が全壊する。
その際にこの食堂も向かって右側の屋根が半壊するなど破壊されたが、壁画のある壁は爆撃を案じた修道士たちの要請で土嚢と組まれた足場で保護されていたこともあって奇跡的に残った。
その後3年間屋根の無い状態であり、風雨にさらされないよう、また、壁だけで倒れないようそのまま土嚢を積まれてはいたが、この期間にも激しく損傷を受けている。
建物は設計図が残っていたため、そのまま復元された。
制作当時に奇跡の絵画と呼ばれたが、以上のような経緯から、現在では存在自体が奇跡だと言われている。
1977年から1999年5月28日にかけて大規模な修復作業が行われた。
サンタンブロージュ教会
回廊を通って教会の中へ。
静けさと厳かさがありました。
お勉強
ミラノの守護聖人を祀る、ミラノ最古の教会。
この教会は4世紀末に着手されたロンバルディア・ロマネスク様式の傑作。
ミラノの最古の教会として知られ、中世のロマネスク建築らしくおごそかで美しい教会。
現在に至るまでに何度も改装を重ねており、9世紀に作られた美しい漆喰の天井や壁などは当時の有名な建築家によるもの。
特に入口の回廊には訪れる人を静かに受け入れるような厳粛な雰囲気が漂っている。
教会内部には金細工が施された祭壇や、キリストと聖アンブロシウスを描いたレリーフもあり、そこに流れているひそやかな空気は他の教会と比べるとより静かで、より神聖な気さえする。
祭壇の裏側には大司教のミイラがガラス越しに見えるようになっている。
スフォルツァ城
スフォルツァ城は、イタリア・ミラノにある城塞。
現在は美術館としても公開されている。
1450年にミラノ公爵フランチェスコ・スフォルツァがヴィスコンティ家の居城を改築して現在の姿となった。
城門の上に掲げられた紋章がおもしろかったのでパチリ!
蛇の図柄は珍しいんじゃないかな。
センピオーネ公園を1周。
ナヴィリオ運河を見て、そばのゲラート屋を目指す。
だが、
運河は写真を撮る気持ちもなえるショボさ・・・・
そして、夏だというのに、ジェラート屋はお休み
暑さとあいまって、一気に疲れた
大概のレストランや店舗は日曜日はお休み。
特に8月はまるまるお休みのレストランやホテルがあり、ガイドブックはあまり役に立たない。
結局、昨晩に引き続き、同じレストランで夕食。
まずは、生ビール。
連日の暑さを癒してくれる、ほどよいのどごし。
おいしゅうございました
ミラノへ来たら、やっぱりこれでしょ。
【ミラノ風カツレツ】
イタリア料理の一つで、子牛肉をたたいてのばし、小麦粉・卵・パン粉で衣をつけて炒め揚げしたもの。卵またはパン粉にパルメザンチーズを混ぜることが多い。
ワイン、ピザ、ジェラートもおいしくいただきました
~続く~
今日はミラノの街を散策。
まずはホテルでしっかりと朝食。
ミルク、グレープフルーツジュース、
パンの種類は豊富。クロワッサンにした。
スクランブルエッグ、ベーコン、野菜のソテー、ハムなど料理も豊富。
フルーツも種類があっておいしい。ヨーグルトはプレーンにした。
紅茶のカップが蓋付きでかわいい。
デザートの自家製タルトも数種類。甘すぎず、おいしい。
ホテルを出て大通りを南へ下る。
スカラ座から
エマヌエーレ2世のガレリアを抜けてミラノ大聖堂へ。
正面の白色がきれいである。
日曜日のミサが行われていたが、ツーリストは入れてもらえなかった。
大聖堂前の広場を囲む一角が
エマヌエーレ2世のガレリア
お勉強
ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世(Vittorio Emanuele II di Savoia、1820年3月14日 - 1878年1月9日)は、サルデーニャ王国の最後の国王(在位:1849年 - 1861年)、およびイタリア王国の初代国王(在位:1861年 - 1878年)。
1859年、イタリア統一戦争を開始する。
フランス皇帝ナポレオン3世との間にプロンビエールの密約を取り付け、その支援のもとにオーストリア帝国を退けたものの、代償として王国発祥の地サヴォワとニースを失った。
トリノ、フィレンツェと首都を移転させた後、1870年に教皇領を併合し、ローマに都を構え、イタリア統一を果たした。
1861年3月17日にイタリア議会において国王即位を宣言し、1861年から1878年までイタリア王として統治した。
店舗の開店前なので人通りがないが日中は人でいっぱいだった。
ミラノ最古の鐘楼(11世紀)のある
サン・サティロ教会
へ行く。中へは入れない。
サン・ロレンツォ・マッジョーレ教会
ミラノの建造物の中でも最古の部類に入る。
初期キリスト教の時代、4~5世紀の建築。
教会正面に、ローマ皇帝コンスタンティヌス1世の立像がある。
お勉強
ミラノ勅令は、313年にローマ皇帝コンスタンティヌス1世(当時は西方正帝)とリキニウス(同・東方正帝)が連名で発布したとされる勅令である。
一般に、全帝国民の信教の自由を保障した内容とされる。
世界史で習ったですね。
勅令発布以前、ディオクレティアヌス帝はキリスト教徒を迫害したが、
その後311年、東方正帝ガレリウスは弾圧をやめ寛容令を発した。
これを受ける形で、当時西方正帝だったコンスタンティヌス1世(のちに単独皇帝となる)は、
キリスト教を帝国統治に利用しようという意図もあって「ミラノ勅令」を発布。
他のすべての宗教と共にこれを公認した。
380年にはテオドシウス1世によってキリスト教はローマ帝国の国教とされた。
この「勅令」はすべての宗教の完全なる信仰の自由を保障するものであった。
「ミラノ勅令」という名称からミラノで発布されたと勘違いされがちである。
ミラノはコンスタンティヌス帝とリキニウス帝が会談した場所である。
次は出発前に予約をとっていた、世界遺産
「最後の晩餐」
の見学。
予約番号でチケットが発券され、25人で15分間。
時間になるとおばちゃんがチケットを確認して次の部屋へ入れてくれる。
ドアは自動で閉まってしまうので、モタモタしていると取り残されるので注意!
空調の行きとどいた部屋で、淡い照明で静かに鑑賞できるようになっている。
当然カメラは禁止。
お勉強
『最後の晩餐』は、レオナルド・ダ・ヴィンチが、彼のパトロンであったルドヴィーコ・スフォルツァ公の要望で描いた絵画である。
これはキリスト教の聖書に登場するイエス・キリストの最後の日に描かれている最後の晩餐の情景を描いている。
ヨハネによる福音書13章21節より、12弟子の中の一人が私を裏切る、とキリストが予言した時の情景である。
絵はミラノにあるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂の壁画として描かれたもので、420 x 910 cm の巨大なものである。
レオナルドは1495年から制作に取りかかり、1498年に完成している。
ほとんどの作品が未完とも言われるレオナルドの絵画の中で、数少ない完成した作品の一つであるが、最も損傷が激しい絵画としても知られている。
また遅筆で有名なレオナルドが3年でこの絵を完成しているのは彼にしては速いペースで作業を行ったと言える。
「レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』があるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会とドメニコ会修道院」は世界遺産に登録されている。
17世紀には絵の下部中央部分に食堂と台所の間を出入りするための扉がもうけられ、その部分は完全に失われてしまった。
17世紀末、ナポレオンの時代には食堂ではなく馬小屋として使用されており、動物の呼気、排泄物によるガスなどで浸食がさらに進んだ。
この間、ミラノは2度大洪水に見舞われており、壁画全体が水浸しとなった。
1943年8月、ファシスト政権ムッソリーニに対抗したアメリカ軍がミラノを空爆し、スカラ座を含むミラノ全体の約43%の建造物が全壊する。
その際にこの食堂も向かって右側の屋根が半壊するなど破壊されたが、壁画のある壁は爆撃を案じた修道士たちの要請で土嚢と組まれた足場で保護されていたこともあって奇跡的に残った。
その後3年間屋根の無い状態であり、風雨にさらされないよう、また、壁だけで倒れないようそのまま土嚢を積まれてはいたが、この期間にも激しく損傷を受けている。
建物は設計図が残っていたため、そのまま復元された。
制作当時に奇跡の絵画と呼ばれたが、以上のような経緯から、現在では存在自体が奇跡だと言われている。
1977年から1999年5月28日にかけて大規模な修復作業が行われた。
サンタンブロージュ教会
回廊を通って教会の中へ。
静けさと厳かさがありました。
お勉強
ミラノの守護聖人を祀る、ミラノ最古の教会。
この教会は4世紀末に着手されたロンバルディア・ロマネスク様式の傑作。
ミラノの最古の教会として知られ、中世のロマネスク建築らしくおごそかで美しい教会。
現在に至るまでに何度も改装を重ねており、9世紀に作られた美しい漆喰の天井や壁などは当時の有名な建築家によるもの。
特に入口の回廊には訪れる人を静かに受け入れるような厳粛な雰囲気が漂っている。
教会内部には金細工が施された祭壇や、キリストと聖アンブロシウスを描いたレリーフもあり、そこに流れているひそやかな空気は他の教会と比べるとより静かで、より神聖な気さえする。
祭壇の裏側には大司教のミイラがガラス越しに見えるようになっている。
スフォルツァ城
スフォルツァ城は、イタリア・ミラノにある城塞。
現在は美術館としても公開されている。
1450年にミラノ公爵フランチェスコ・スフォルツァがヴィスコンティ家の居城を改築して現在の姿となった。
城門の上に掲げられた紋章がおもしろかったのでパチリ!
蛇の図柄は珍しいんじゃないかな。
センピオーネ公園を1周。
ナヴィリオ運河を見て、そばのゲラート屋を目指す。
だが、
運河は写真を撮る気持ちもなえるショボさ・・・・
そして、夏だというのに、ジェラート屋はお休み
暑さとあいまって、一気に疲れた
大概のレストランや店舗は日曜日はお休み。
特に8月はまるまるお休みのレストランやホテルがあり、ガイドブックはあまり役に立たない。
結局、昨晩に引き続き、同じレストランで夕食。
まずは、生ビール。
連日の暑さを癒してくれる、ほどよいのどごし。
おいしゅうございました
ミラノへ来たら、やっぱりこれでしょ。
【ミラノ風カツレツ】
イタリア料理の一つで、子牛肉をたたいてのばし、小麦粉・卵・パン粉で衣をつけて炒め揚げしたもの。卵またはパン粉にパルメザンチーズを混ぜることが多い。
ワイン、ピザ、ジェラートもおいしくいただきました
~続く~