妻が永眠しました。

簡単に経過を報告します。

201911月にスキルス性胃癌が発覚し、腹膜播種がひどく、何もしなければ半年持たないと言われ、抗がん剤投与後、翌年2月に全摘手術をし、その後、3種類の抗がん剤で治療を続けたのですが、大腸への転移などがあり、2021927日にその生涯を終えました。

妻は発覚してから、亡くなる数日前までいろいろなことをアメブロにあげていましたが、最後はiphoneが持てず、小さな声で「持てない、無理や」との声を悲しく聞き、わたしは涙しました。

妻は闘病中に決して、弱音や愚痴を一言も言いませんでした。
本当に一言も言いませんでした。

家族や友達を心配させない為か、本当に普段通りで、第1次抗がん剤治療や全摘手術、その後の第二・第三の抗がん剤治療の副作用(悪心や脱毛など)が出ても、アルコールを嗜み、先んずるに限ると理髪店で剃髪にし、笑いのネタにしていました。

2021年の、お正月以降、主治医から「残された時間を大切に・・・」と告げられても

「そうですか。わかりました。それでは先生、紹介状をお願いします」

妻は、取り乱すことも、泣くこともなく、私の前で淡々とそう答えました。

父をガンで亡くし、それを見てきて達観していたのか、淡々と運命を受け入れているようでした。

その後、自宅で、緩和ケアに入院?と聞いたら「迷惑でなかったら、居れる時までおりたい」

そのあと自身で近くの内科医にかかりつけ医を頼みにいき、また、病院にも、いつでも緩和ケアに入院出来る様にとお願いしにいきました。

20215月には、医療従事者としてコロナワクチンを優先的に接種してもらえるのに、1回目は自力で会場まで行き、2回目は、送迎してほしいと言って、頼るのが悔しそうにしてました。

20217月に娘が帰国すると、嬉しそうにしておりました。

8月になり、わたしと二人だけになると何回も「いろんな所に行けたし、いろんな温泉も行けたし、楽しかったよ、後悔はしてないよ、ありがとう・・・」繰り返すようになり、その度に涙しました。

9月になり、「もう、無理、入院するわ」と言って、自身で病院に連絡しました。

14日にとりあえず、満床の為、一般病棟に入院し、その日に緩和ケアの主治医から、「半年間もこんなになるまで頑張ったね。脱水症状を起こしているからすぐ点滴をします。」それを聞いて、家においといたのは間違いではなかったか?虐待ではなかったか?と今でも自問自答しております。

点滴後はすぐに肌の艶も戻り、食事も美味しいと、少しは食べてくれるようになり、周りを安心させてくれ、15日にわたしが娘を関空に送ると、妻から、電話で「緩和ケアが空いたので病室を代わるわ、費用は、何らかの保険金で賄えるから、負担はかけないから安心してください」そんなことを気遣っていました。

そして病室で二人だけの時には「天国の門で、20年は待っているわ、それ以上は無理」と告げ、わたしのことを知っているのに、20年も生かそうとしてくれました。

そんな心優しい妻でした。

そして、モルヒネのテープから、静注に変えてくれと、わたしが一旦帰宅した時に、看護師にお願いして、モルヒネのコントロール下に完全に置かれ、声をかけても反応することなく、しかし、看護師さんからは、「声は聞こえてますよ」もしかしてと思い、「今日は泊まります」と看護師さんにお願いして、傍に添い寝で付き添ったですが、情けないことに30分ほど寝落ちしたその隙に、彼女はひっそりと逝ってしまいました。

20219272257分、妻は永遠の眠りにつきました。

享年59歳でした。

 

妻とは違い文才のないわたしですが、子供たちとそして妻と仲の良かったわたしの妹に諭され、ここに乱文で申し訳ないですが、顛末を記載させていただきました。

 

最後まで応援していただいた皆様には、感謝の意しかありません。

 

そして、どうか皆様、ご自愛くださいませ。

 

それでは、失礼します。