好きな思想家 クリシュナムルティ
どうもー。
こっちはしばらく放置になってます。
こころの世界の探求を辞めたわけじゃないんです。
現実世界が忙しくて。しかも、鳳閣なので、楽しい方にしっぽを振っていってしまう(笑)
でも、いずれにしても心の世界をいけるところまで追求しないといけない事実には変わりはないので、慈顔があれば、意識はそっちに向きます。
一時期、スピリチュアリズムを学んでいました。
が、今はスピリチュアルとは別な道を歩んでいます。
なぜなら、スピリチュアルでは、真実に到達できないと思うから。
なぜ、到達できないか?
その世界観に与件となる特定方向の価値観が多く、価値観が多いと言う事は真実の一部しか見ない(価値観の外は、対象外)と言う事になる。
心の世界の初学者にはよいでしょうね。
変な宗教の規範のようなものはなく、現世で生きる我々に優しい価値観だから。
でも、運命学をやってると分かります。
世界は、平等でもないし、優しくもない。あるのは、厳然とした事実だけ。
その事実を生む理由としてスピリチュアルな世界では、「カルマ」という表現で表します。
でも、後付けなんだよね。
確かに、想念の世界の意思がなければ、説明のつかない事も沢山ある。
俺自身が、すべての出来事が一つの方向を向いている、としか思えない、と言う経験をしたから。
でも、運命学を学べば説明できる。
そこにあるのは、神の意思でも、守護霊の意思でもなくて、与えられた世界の枠と自分の選択。
あくまでも世界を決めているのは自分。
枠は守護云々は、関係なく最初から決まっている。
その枠を、「生まれてくるときの今生の目的」とスピでは説明するけれど、そんなものを導入する必要性も必然性もないわけ。
別に意味はない。
あるのは、厳然とした宿命。事実。
意味づけは、単にその苦しさを説明する方便でしかない。
スピリチュアルの世界観が対応できる中でなら、幸せな状態でいられるでしょうけれど、それで一生いけます?
「理解できない人は、魂が幼い人だから、ゆるそう」でいけます?
そもそも、自分の魂が成長していて、相手が幼い、と言う論証はどうするの?とかね。
だから、スピでは、一時の安寧は得られても、その先にはいけな。
もしどこかが破綻したらすべては破綻する。ある種、欺瞞の中で生きていかなきゃいけないんじゃん、って思うくらい(笑)
自分軸を作るしかないんですよね。
結局。
最近好きなのはタイトルの書いた、クリシュナムルティという方。
元々は、ヒンズー教の某教団のトップに祭り上げられたんだけど、そういう既存の価値観に縛られていては、真実にはたどり着けないと、教団を解散し、思想思索の道に入った。
俺がスピじゃだめだ、と判断したのと同じ。あ、俺、別にスピに依存したり、それがすべてだと思ったとかそういうのは無いです。複数の世界観を同時に学んでいたからね。
いずれにしても、宗教的なわかりやすい表現の中で、いかにして自分の中、小宇宙を探索し、自由な自分になっていくか、の思索の結果をQ&A形式で書いてある。
読みやすいですよ。
あ、スピの悪口に見えないけれど、そうじゃないですよ。
スピで幸せになれる人は、それはそれでOKだと思うし。俺には足りないってだけで。
最初に出会ったのはこれ
今読んでるのがこれ
こっちはしばらく放置になってます。
こころの世界の探求を辞めたわけじゃないんです。
現実世界が忙しくて。しかも、鳳閣なので、楽しい方にしっぽを振っていってしまう(笑)
でも、いずれにしても心の世界をいけるところまで追求しないといけない事実には変わりはないので、慈顔があれば、意識はそっちに向きます。
一時期、スピリチュアリズムを学んでいました。
が、今はスピリチュアルとは別な道を歩んでいます。
なぜなら、スピリチュアルでは、真実に到達できないと思うから。
なぜ、到達できないか?
その世界観に与件となる特定方向の価値観が多く、価値観が多いと言う事は真実の一部しか見ない(価値観の外は、対象外)と言う事になる。
心の世界の初学者にはよいでしょうね。
変な宗教の規範のようなものはなく、現世で生きる我々に優しい価値観だから。
でも、運命学をやってると分かります。
世界は、平等でもないし、優しくもない。あるのは、厳然とした事実だけ。
その事実を生む理由としてスピリチュアルな世界では、「カルマ」という表現で表します。
でも、後付けなんだよね。
確かに、想念の世界の意思がなければ、説明のつかない事も沢山ある。
俺自身が、すべての出来事が一つの方向を向いている、としか思えない、と言う経験をしたから。
でも、運命学を学べば説明できる。
そこにあるのは、神の意思でも、守護霊の意思でもなくて、与えられた世界の枠と自分の選択。
あくまでも世界を決めているのは自分。
枠は守護云々は、関係なく最初から決まっている。
その枠を、「生まれてくるときの今生の目的」とスピでは説明するけれど、そんなものを導入する必要性も必然性もないわけ。
別に意味はない。
あるのは、厳然とした宿命。事実。
意味づけは、単にその苦しさを説明する方便でしかない。
スピリチュアルの世界観が対応できる中でなら、幸せな状態でいられるでしょうけれど、それで一生いけます?
「理解できない人は、魂が幼い人だから、ゆるそう」でいけます?
そもそも、自分の魂が成長していて、相手が幼い、と言う論証はどうするの?とかね。
だから、スピでは、一時の安寧は得られても、その先にはいけな。
もしどこかが破綻したらすべては破綻する。ある種、欺瞞の中で生きていかなきゃいけないんじゃん、って思うくらい(笑)
自分軸を作るしかないんですよね。
結局。
最近好きなのはタイトルの書いた、クリシュナムルティという方。
元々は、ヒンズー教の某教団のトップに祭り上げられたんだけど、そういう既存の価値観に縛られていては、真実にはたどり着けないと、教団を解散し、思想思索の道に入った。
俺がスピじゃだめだ、と判断したのと同じ。あ、俺、別にスピに依存したり、それがすべてだと思ったとかそういうのは無いです。複数の世界観を同時に学んでいたからね。
いずれにしても、宗教的なわかりやすい表現の中で、いかにして自分の中、小宇宙を探索し、自由な自分になっていくか、の思索の結果をQ&A形式で書いてある。
読みやすいですよ。
あ、スピの悪口に見えないけれど、そうじゃないですよ。
スピで幸せになれる人は、それはそれでOKだと思うし。俺には足りないってだけで。
最初に出会ったのはこれ
今読んでるのがこれ
自分らしさ
よく、「俺らしいじゃん」とか「私らしいじゃん」とか言う人いるけど。
らしさって何?
聴けば、○○なところ、と答えると思う。
その○○の起因は?と聴けば、きっと、何言ってるの?と言われるよね。
でも、そこがわからないと。その本人の言う自分らしさ、が自分を幸せに導くのかわからないじゃん。
元々、行動様式を作るにあたって、①生まれ持ったもの、②後天的に身につけるもの、があると思うんだけど、多くの場合の自分らしさは、②の後天的に身につけたもの。
さらに、②の多くはあまり意味の無いものだったりが多い。
子供の頃に親に仕込まれた、とかね。
だから、「自分らしい」と思っている行動にも、その理由やその結果が周りにどう現れるか、をみないといけない。
たいてい、自分が思っているとのは想定外の受け取り方をされてるだろうからね。
あ、①は算命で分かりますよ。
らしさって何?
聴けば、○○なところ、と答えると思う。
その○○の起因は?と聴けば、きっと、何言ってるの?と言われるよね。
でも、そこがわからないと。その本人の言う自分らしさ、が自分を幸せに導くのかわからないじゃん。
元々、行動様式を作るにあたって、①生まれ持ったもの、②後天的に身につけるもの、があると思うんだけど、多くの場合の自分らしさは、②の後天的に身につけたもの。
さらに、②の多くはあまり意味の無いものだったりが多い。
子供の頃に親に仕込まれた、とかね。
だから、「自分らしい」と思っている行動にも、その理由やその結果が周りにどう現れるか、をみないといけない。
たいてい、自分が思っているとのは想定外の受け取り方をされてるだろうからね。
あ、①は算命で分かりますよ。
生命力
今日は、早く起きて、荒川の土手をお散歩してきました。
さすが、新緑の5月。道ばたにはたくさんの植物が息吹いている。

手を伸ばせば、びしびしと生命のいぶきを感じる。
みんなから少しずつ気をもらいつつ^^;歩いた。
ガンガンくるんだよね
条件のわるいところの植物の方が強い気がする。
思えば、植物は自然から地球からエネルギーをもらって、これだけ力強く生きている。
もっとも、自由意思はなくて生かされている。
人間だけだな。自然のエネルギーと調和していきていけないの。
気持ちの力、感情の力、と言うより大きな力をもらったけれど、それは悪く使えば破滅的にも働く。
オグマンディーノにも書いてあったな。「神は何よりも強大な、判断する力、を与えた」って。
今の人って、この力を内向きだったり、悩みだったり、そういう事に使っちゃうじゃん。
石原慎太郎の言うように我欲に使っている部分も大きいとおもうし。
外向きに、調和に、支えたら良いのにね。
今、人間が自然の力で養ってもらって生きようと思っても、数が多すぎるとは思うんだけど。
人間は異物では?とかやっぱいおもっちゃうお散歩でした。
そういや、河原に座るとかしばらくやっていない気がするので、明日の朝は自家製パンでも持っていって朝ご飯にでもしてみるか。
シロツメクサも群生すると結構ゴージャス(笑)
結婚式の新郎新婦席においてもいいんじゃん、って思ったくらいww

さすが、新緑の5月。道ばたにはたくさんの植物が息吹いている。

手を伸ばせば、びしびしと生命のいぶきを感じる。
みんなから少しずつ気をもらいつつ^^;歩いた。
ガンガンくるんだよね
条件のわるいところの植物の方が強い気がする。
思えば、植物は自然から地球からエネルギーをもらって、これだけ力強く生きている。
もっとも、自由意思はなくて生かされている。
人間だけだな。自然のエネルギーと調和していきていけないの。
気持ちの力、感情の力、と言うより大きな力をもらったけれど、それは悪く使えば破滅的にも働く。
オグマンディーノにも書いてあったな。「神は何よりも強大な、判断する力、を与えた」って。
今の人って、この力を内向きだったり、悩みだったり、そういう事に使っちゃうじゃん。
石原慎太郎の言うように我欲に使っている部分も大きいとおもうし。
外向きに、調和に、支えたら良いのにね。
今、人間が自然の力で養ってもらって生きようと思っても、数が多すぎるとは思うんだけど。
人間は異物では?とかやっぱいおもっちゃうお散歩でした。
そういや、河原に座るとかしばらくやっていない気がするので、明日の朝は自家製パンでも持っていって朝ご飯にでもしてみるか。
シロツメクサも群生すると結構ゴージャス(笑)
結婚式の新郎新婦席においてもいいんじゃん、って思ったくらいww

