開運 スピリチュアル算命学 -49ページ目

イライラ

まいどー(笑

個人の感情を書くのははじめてかな?

いや、とてもイライラしているんですよ。本業でね。
その裏には、自分の運気がぐんぐん上がってきているのも分かっていて、その結果として生まれた状況に対するイライラ。

解消にはもう一段の向上が必要なんだけど。

スピではなぜ幸せになれないか?

おはようございます
えんど です

今朝は朝5時に家をでて、大宮氷川神社と氷川女体神社をはしごしてきました。

大宮氷川神社にある摂末社の門客人神社、宗像神社、御嶽神社も回ってきました。
早朝の神社はいいですよねぇ、あの空気が。

さてさて、別にスピリチュアルを否定してるわけじゃないんですよ。
これまでの宗教規範に比べて遙かに自由度は高いし、各種宗教の教理をもう一段抽象化したレイヤで語ろうとしている点は評価しています。



ただ、2点嫌なところがあるんですよねぇ。

一つは、思想の根幹に近い霊についての概念と優しすぎる世界観。

もう一つはカルマの法則。

どっちにしても、逃げの理由に使われることが多いじゃないですか。
おまけに、何か嫌な事・変な事があると「これはどういう意味?」とかね。

何にでも意味づけされると脱力して「勝手にやってろ」と言いたくなる(笑)

見えない世界の意図の前に自分の責任を考えないと。

もちろん、大枠での運気というか、生まれ持ったもの、というのはあるけれど、それをどう使うかは個々人の判断。別に、そんな処まで神に規定されているわけではない。

状況において、それをどう生かすか、どう振る舞うかは個々人の判断。

自分に与えられた物をどう生かすかの積み重ね。

人生の責任は、見えない世界じゃなくて、自分自身にあります。

だから、神の意図とか、見えない世界の働きかけを考える前に、自分自身の行動振る舞いを考えるべきなんだよね。

人によるんだけれど、どっちかというと、悪い使い方をしている人が多い、というのが実感。
その原因が、優しすぎる世界観(霊の存在に依拠した概念)と、カルマの法則、の2つに有ると思ってるわけ。

私が一緒に勉強した人たちはどちらかというと、探求派と言うか、あくまで真実への探求の方法論として取り組んでいる人が多かったのは恵まれていたな。

まぁ、そんなんじゃ自分の判断できっちり生きる事ができなくなっちゃうじゃん。
自分の本来の運気、宿命を生かせないよ。

あー

なにげに私、スピの人じゃないです(笑)

一応、学びましたが、どうしても現実から遊離した感がずっとつきまとい。

スピでは幸せになれないし、救われない、と言う結論にいたりましたです、はい。

ただ、スピを言い訳にして自分に優しくしすぎないなら、問題ないです。

別に全面的に否定をしているわけではないのです。

最近、よく読んでいるのが、クリシュナムルティの本。
スピの人はスピの領域に分類しますが、この人はスピじゃないです。哲学ですよ。

私は、そこまで高めないと意味がないと思ってるので。

でも、誰でもそこが目的とは思わないですけどね。