歴史上好きな人物 その2
一回書いて放置してた^^;
二番目はやはり、林則徐でしょ。
あんまり知ってる人はいないと思います。
中国の清の時代の人。アヘン戦争の英雄と言われています。
どうにも、自分が好きになる人って、偏ってる。
おべっかを使って上に上がろう系は嫌いだし、逆に徳とか理で道を作っていこうとする人ばかり。
会社生活にも共通するものがあるよね。人間、何も変わってない。
この人は科挙に受かった後、翰林院というエリート養成コースみたいのに入って集中的に現状の把握につとめ、その後民政に力を入れた。そのあたりが認められて、アヘンの災いを立つために匿名全権委任でアヘン対策を進めた。
アヘンの災いは以下。到底政府は容認出来るわけじゃない
・人心の荒廃と、労働人口の減少による税収入の減少
・これまで茶を中心として輸出超過だったものがアヘンによる輸入超過に(貿易赤字国化)
・貿易赤字による銀の流出(銀本位経済への影響が甚大)
林則徐のやり方はアヘン商人に対しても、全て没収としたもののそれなりに損のないようにして上げて、おすとこ引くとこ、緩急をつけてやっていた。
けれど、どこにでも強行派というのがいるもので、それで戦争の方向に行くわけ。
この戦争に対しても彼は手を打って、仕事を無くしている若者に治安兵としてお金を渡して訓練したり、主に敵対するイギリスとの敵対するアメリカ(敵の敵は味方)と手を組んで武器を揃えたりしたんだけれど、中央政府のアホが例によって「そんな事をしたらイギリスのご機嫌を損ねて戦争になるじゃないか」と解散命令をだしたり、返って現地の足を引っ張る。
イギリスにおいて、この戦争が恥ずべきもの、とされているのは、アヘンという商材もあるし、林則徐、中国側が公正に物事に当たっていたという点が大きいと思います(エリオットというイギリス側の代表が虚偽の報告をしていた事もわかっています)
結果、負けて、その戦犯扱いで、ロシアとの国境(イリ)に飛ばされます。
でも、実はこのイリという土地は、後にロシアと国境紛争になるほど、政情の難しい土地でした。
処分として赴いたものの、処理能力に長け、欧米と渡り合った実績のあるこの高官を中国は頼りにせざるを得なかったのが実情のようです。
その後、太平天国の乱が起き、その対処を命じられ現地に移動する途中で他界しました。
歴史にIFは存在しないけれど、もし彼が太平天国の中枢部と早期に会談できていたら、あれほど大きな乱にはならなかったような気がしてならない。
太平天国を率いた洪秀全は科挙に何度も挑んだ人間であったため、林則徐が説くであろう道理が理解できたはずだから。
彼がアヘン戦争からイリで育てた人材が、この後の時代を作っていきます。
有名な左宗棠や沈葆楨が、王安石の思想的な遺産と現実の遺産をそれぞれ受け継ぎ、活躍します。
今も、アヘン戦争の舞台になった、アモイには林則徐記念館があるとの事で、一度行ってみたい、と思ってます。
二番目はやはり、林則徐でしょ。
あんまり知ってる人はいないと思います。
中国の清の時代の人。アヘン戦争の英雄と言われています。
どうにも、自分が好きになる人って、偏ってる。
おべっかを使って上に上がろう系は嫌いだし、逆に徳とか理で道を作っていこうとする人ばかり。
会社生活にも共通するものがあるよね。人間、何も変わってない。
この人は科挙に受かった後、翰林院というエリート養成コースみたいのに入って集中的に現状の把握につとめ、その後民政に力を入れた。そのあたりが認められて、アヘンの災いを立つために匿名全権委任でアヘン対策を進めた。
アヘンの災いは以下。到底政府は容認出来るわけじゃない
・人心の荒廃と、労働人口の減少による税収入の減少
・これまで茶を中心として輸出超過だったものがアヘンによる輸入超過に(貿易赤字国化)
・貿易赤字による銀の流出(銀本位経済への影響が甚大)
林則徐のやり方はアヘン商人に対しても、全て没収としたもののそれなりに損のないようにして上げて、おすとこ引くとこ、緩急をつけてやっていた。
けれど、どこにでも強行派というのがいるもので、それで戦争の方向に行くわけ。
この戦争に対しても彼は手を打って、仕事を無くしている若者に治安兵としてお金を渡して訓練したり、主に敵対するイギリスとの敵対するアメリカ(敵の敵は味方)と手を組んで武器を揃えたりしたんだけれど、中央政府のアホが例によって「そんな事をしたらイギリスのご機嫌を損ねて戦争になるじゃないか」と解散命令をだしたり、返って現地の足を引っ張る。
イギリスにおいて、この戦争が恥ずべきもの、とされているのは、アヘンという商材もあるし、林則徐、中国側が公正に物事に当たっていたという点が大きいと思います(エリオットというイギリス側の代表が虚偽の報告をしていた事もわかっています)
結果、負けて、その戦犯扱いで、ロシアとの国境(イリ)に飛ばされます。
でも、実はこのイリという土地は、後にロシアと国境紛争になるほど、政情の難しい土地でした。
処分として赴いたものの、処理能力に長け、欧米と渡り合った実績のあるこの高官を中国は頼りにせざるを得なかったのが実情のようです。
その後、太平天国の乱が起き、その対処を命じられ現地に移動する途中で他界しました。
歴史にIFは存在しないけれど、もし彼が太平天国の中枢部と早期に会談できていたら、あれほど大きな乱にはならなかったような気がしてならない。
太平天国を率いた洪秀全は科挙に何度も挑んだ人間であったため、林則徐が説くであろう道理が理解できたはずだから。
彼がアヘン戦争からイリで育てた人材が、この後の時代を作っていきます。
有名な左宗棠や沈葆楨が、王安石の思想的な遺産と現実の遺産をそれぞれ受け継ぎ、活躍します。
今も、アヘン戦争の舞台になった、アモイには林則徐記念館があるとの事で、一度行ってみたい、と思ってます。