国家を挙げて戦没者を慰霊することを世界で最初に始めたのは、明治2年1869年、明治天皇の思し召しにより創設された、靖國神社の前身、招魂社であります。
英国、仏国、米国はこれに倣ったものです。

その中で、動物までも祀る国は日本だけではないのでしょうか?
過酷だったインパール作戦では、雨にぬかる泥道に足を取られて谷に転落した馬を兵士が引き上げたとも言われています。

馬も我々の家族なのです。

靖國神社には、馬、犬、鳩が【祀られて】います。

(正式には、靖國神社には日本国籍の人しか祀られていません。しかし敢えて書かせて頂きました。)

これが日本のこころ、日本精神だと思います。

靖國神社、遊就館の傍に、愛馬を慰霊する碑があります。

そこにはこのように記されています。

昭和初期から昭和20年8月15日の終戦に至るまで幾多の戦役にかり出されおよそ100万頭の馬が戦陣に斃れた。

軍馬補充部で育成された軍馬や農家から購買、徴発馬が、斥候、行軍、戦闘のため戦場を駆け巡る乗馬として、あるいは如何なる難路にも屈せず重い火砲を引く輓馬、軍需品を背負い搬送する駄馬として戦地に赴いた。

御国のために戦場を駆け巡り、屍を野辺に晒したもの数知れず、終戦まで生き長らえても、再び懐かしい故郷に還ったのは僅か1,2頭である。山紫水明の生まれた故郷を思い起こしたことであろう。それでも黙々と生を終えた。

この馬像の作者、伊藤国男氏(明治23年〜昭和45年)は生涯に千すう百頭もの馬像を手掛けた彫塑家である。同士は戦場において輝かしい功績を遺した戰歿馬のことが脳裏から一時も離れず、私財を傾け鎮魂の証としてこの像を制作、靖國神社に献納したが、台座に費やす財はなく、数年間建立されることはなかった。

かつて馬術の選手として2回オリンピックに出場し、戦後は皇居内の乗馬クラブで教官を務めた城戸俊三氏は、この話を聞くや、早速、旧軍人や馬主に呼びかけ、昭和32年4月に戰歿馬慰霊像献納協賛会を結成、広く浄財を募り、翌年4月7日に建立除幕式を行い、靖國神社に奉納した。

台座の「戰歿馬慰霊」の揮毫は元皇族の北白川房子様の染筆である。
以来、毎年桜花爛漫の4月7日を「愛馬の日」とし、《戰歿馬慰霊祭》がこの場で行われている。