1945年9月2日、東京湾上、ミズーリ号甲板で、降伏文書調印をされた、重光葵の略歴を調べてみた。

A級戦犯として収監され、恩赦の後、外務大臣として国連加盟、国連総会で万雷の拍手で迎えられたことまでは知っていたが、調べて見るとどうも暗殺されていると思う。

戦後、北方領土をソ連に取らせたの米国だ。その返還交渉を邪魔したのも米国だ。
鳩山一郎、重光葵、河野一郎、と立派に日本の利益を主張しソ連も妥協し漁業交渉は妥結した。河野一郎の功績だと思う。

重光葵は湯河原の別荘ですき焼きを食べた直後、健康だったにも拘らず急逝した。

その後、60年安保に反対したソ連との交渉は途絶え、再開は田中角栄になってから、その後、細川、森、安倍と日ソ関係に春の兆しがあると、なぜか誰かが邪魔をする。
直近では一昨年の7月8日奈良での出来事。

ソ連は北方四島は、対米安全保障の観点で手放せないのは見え見えだ。少しは島民がいるから考えもあるだろう。それは転居させることは可能なはず。保証金でどうにでもなるだろう。

今や岸田政権では日本はトンネルの出口が見えない。
鳩山由紀夫、河野太郎、彼らの言動は反日、親中、親韓、これは裏を返せば、遠米、東亜団結、このように見えて来たのだが。親中も二階のようなのはヘタレだと思う。角栄さんは何処?

1887/07     重光葵誕生 大分県
1943/04〜1945/04   東條・小磯内閣外相
1944/07〜1945/09   小磯内閣大東亜大臣
1945/08〜1945/09   東久邇宮内閣外相
1954/12〜1956/12    鳩山内閣副総理・外相
1955/01    バンドン会議 日本国連加盟支持獲得
1955/04  
1955/12    ソ連日本国連加盟拒否
1956/07    日ソ国交回復交渉 重光葵
重光葵の2島返還受入受領提案を東京拒否
1956/08    ダレス恐喝「ソ連が千島列島を撮るなら琉球は米国がとる」
1956/10    鳩山一郎訪ソ交渉→4島返還主張→日ソ共同宣言(北方問題棚上)
日ソ両国は引き続き平和条約の締結交渉を行い、条約締結後にソ連は日本へ歯舞群島と色丹島を引き渡す(譲渡)。
1956/12    日本国連加盟
1957/01   重光葵 死亡湯河原 享年69
1960/01   岸信介 日米安保改定
1973/10   田中角栄 モスクワ訪問
1993/10   エリツィン来日 東京宣言
日本とソ連との間の全ての条約その他の国際約束がロシアとの間で引き続き適用される  細川内閣
2000/09   プーチン来日 日ソ共同宣言有効確認 森内閣
2001/07  イルクーツク声明 日ソ共同宣言文書で有効確認 森内閣