鹿児島県知覧は、特攻隊出撃基地としては世界最多である。
殆どが少年、青年、今の高校生から大学生の子どもたち。
彼らはなぜ、特攻をしたのか?
彼らはなぜ、笑顔なのか?

10年前、私の近所のおじさんは、16歳で少年志願兵となったと直接話を聞いた。
「父親に殴られ反対されても志願して、爆撃機に乗り出撃した。帰還時、燃料不足から機体優先で一人ずつ飛び降りた、次は俺の番かとひやひやした。」

分かりますか、彼らのこの気持ち。

彼らは何を守りたかったのか?命よりも大切なものがあったはず。

彼らは急いでいた。早くしないと沖縄が危ない。
日本が危ない、日本人が危ない、家族が危ない、それを止められるのは、俺しかない。
そう思ったと思います。
樺太真岡郵便局の乙女は責任を果たし青酸カリを煽り自決した。
皆、自らの役割を認識し自ら命を犠牲にしてでも守ってくれたこの国。

彼らの守りたかったもの、自分はそれを知っているのか?それを理解することが大切だと思う。

大正天皇の下命、
「例大祭では、英霊が息絶えたその時に思いを馳せて祀るように」

私は、沖縄に散華したこの子たちの守りたかったものに思いを馳せたい。
守りたかったものを学び発信して行きたい。
果たして、今、それを守れているのか?
それをせねば、彼らは浮かばれない。