皇居東御苑へ行ってきました。
70%くらいは外国人。

スマホでガイタンスを聞くことが出来ます。
大手門から入りましたが、番所が三重にもあり厳重に警備する構造です。入ると坂があり重い甲冑を纏った敵を苦しめるように設計されています。

今、江戸城には天守閣がありません。
1657年の明暦の大火で焼失しています。
1658年に天守台は作られましたが、徳川家光の異母兄弟である、保科正之により天守閣に造る資金を江戸町人のために使えとの命令により建築されませんでした。

保科正之は初代会津藩主で、徳川家光の弟であることを知らずに育ち、家光がその事実を先に知るのですが、暫く内密に観察し人となりを把握し幕府の要職に就け、臨終に耳元で4代家綱、5代綱吉を支えるように頼むのです。

保科正之は藩主に続き切腹することを禁じ、生きて藩のために尽くすよう命じます。
また、年金制度も作り政治手法は秀でてました。
今の政治家は爪の垢を煎じて飲むべきです。

今日の写真を添付します。