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障害児、障碍者の方々について、
理解ができていなかった時の心境についての内容を含みます。
(自分でも嫌になるほど!)
ご気分を害される可能性があります。
そういった方は引き返してください。
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障碍者って、どんなかんじなんだろう?
今まで私が少ないながらも障碍者の方と接してきた場面について、思い返しました。
東京の小学校に行っていたとき。
自分のクラスに知的障害のある男の子がいました。
あまり言葉は発さなかったし、見た目にも少し特徴があったように記憶しています。
足に奇形があり、びっこをひいていたように思います。
私はおせっかいな性格で、その子の身の回りのお世話をよくしていました。
そして、よく遊んでいました。今でもフルネーム覚えています。
担任の先生は、『私でも○○君(その子)の言おうとしていることがよくわからないのに、
よく遊んでくれる』と言っていました。
私はその子の気持ちを知ることをゲームのように楽しんでいたような記憶があります。
転校先の小学校では、
給食や授業の時にもたまに来る、知的障害のある男の子がいました。
でもこの子とは、ほとんど接触機会がなく、卒業を迎えました。
大学生の時。
私は同じ学科の同級生に、目がほとんど見えない同級生の男の子がいました。
その子は、もーーーーーーのすごく優秀で、話も面白い。
学科2位の成績で、卒業式で全学科の前で表彰された時は、化学科の同級生みんな泣きました!
大学院まで同じでしたが、本当に楽しくて素敵な人。もっといろいろお話したかった人でした。
そして大学の時のことでよく覚えているのは……
私は教職を取っていたので、『介護等体験』という実習を行うのが必須でした。
介護等体験とは、教員免許を取得するために必要なカリキュラムの一つで、
社会福祉施設に5日間(だったかな?)と、特別支援学校に2日間(だったかな?)通い、実習をします。
この時の『特別支援学校』は、私たちの場合、肢体不自由、知的障害、病弱者がある生徒が通う
いわゆる『養護学校』、『盲学校』『ろう学校』 (現在はこのような名称ではなく全て特別支援学校となっています。)
の中から選ぶことができました。
私が選んだのは『盲学校』。
養護学校だけは行けない、と思いました。
なぜなら、知的障害を持つ生徒にどう接していいかわからないし、
私が生徒に対して失礼なふるまいをしてしまいそうだ、と思ったから。
盲学校での学びは、とても多く、今でも自分の中で本当に大きな体験、経験となっていて、行ってよかったと思っています。
ただ。養護学校を選ばなかった、選べなかった自分。本当に弱かったと思います。
知的障害がある生徒たちが、(こんなことを、文字にするのは本当に嫌だけど自戒を込めて…)
こわかったのです。
どうしたらいいか、わからなかった。
今思えば、わからなくて当然。初めてのことなんだから。
でも、選ぶ勇気がありませんでした。
・・・選べばよかった。そう思います。
叶うならば、養護学校・盲学校・ろう学校、全て行かせてほしかった。
二十歳ソコソコの若かったあの頃。
でも、同級生にはその時から、知的障害児に関わるボランティアをしていた子がいました。
何度も誘ってくれました。でも断ってしまった。自分にはできないと思って。遠いってことを理由にして。
本当に小さかった、あの頃の自分。呪ってやりたいです。
ボランティアに誘ってくれた、仲良しだった同級生は、今は障害児や障害者、難病者を対象にしたNPO法人を立ち上げたりと、
いくつもの事業に携わり、ハートネットTVにも出るほど活躍しています。
#8にも書いたように、知的障害児や自閉症の生徒の通う学校の教諭をしていたこともありました。
その2年間での経験は、私のこれまでの人生の中で最も濃密な2年間。
宝物のような2年間。
とても有意義な時間だったけど、その学校はダウン症の生徒は受け入れていませんでした。
振り返ってみると、道端ではダウン症の人を見かけることはあるけれど、
実際お話したこと、触れ合ったことは、これまで一度もありませんでした。
初めてのダウン症の型の触れ合いは、ムスコでした(笑)